… rain … 6






目が覚めて最初に感じたのは喉の渇きだった。

ベッドから起き上がり、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出す。
ミネラルウォーターのキャップを開け、一息に半分まで飲む。
水で濡れた口を拭い、窓を見るとカーテンを閉じていない窓の外にはオレンジ色の夕陽が沈みかけていた。
俺が寝ている間に雨は止んだんだろう。
雨のお陰で浄化した街を照らす夕陽は綺麗だった。
窓から見える夕陽に何も変わらない部屋。

いつもと何も変わらない。
何も変わらないのに。

喉の渇きと痛む頭が、あの出来事が夢じゃないことを俺に実感させた。

あんなに飲んだのに。

梶に握られた手首も梶に抱き寄せられた感覚も全てが鮮明に体に残っていた。

全てを記憶から流したかった。
雨が全てを流していくように。
梶との想い出も。
梶との再会も。
そして、梶の指輪も。

だけど

一番、流したいのは何時までも12年前の想い出にしがみついている自分だった。
















ペットボトルにまだ半分残っているミネラルウォーターを手に俺はベッドに戻った。
ベッドの枕元に置いてある時計の針は夕方の5時を差していた。
明け方から何も入れていない胃は昨日のアルコールのせいで気持ち悪くて何かを食べたいという気持ちにはならない。
完全に抜けていないアルコールのせいで、重い頭を抱え、まるで磁石が引き寄せられるようにベッドに倒れ込む。
そのまま目を閉じて、自分だけの暗闇を作ろうとした時、俺の耳に微かな携帯の着信音が聞こえてきた。
何もかもどうでも良かった。
投げ遣りになり、携帯を無視する。
着信音がくぐもって聞こえるのはブリーフケースに入れたままだからだろう。
今は誰の声も聞きたくない。
そう思っているのに。
止んでは少し時間をおいて又、掛かってくる携帯に俺は根負けし、ベッドから起き上がるとブリーフケースから
携帯を取り出した。
取り出した携帯のディスプレイには知らない番号が光っていた。
もしかしたら、梶かもしれない。
一瞬、そんなことを考え、通話ボタンを押すのを躊躇する。
だけど、鳴り止まない携帯に俺は覚悟を決め、通話ボタンを押した。

「…もしもし」

『もしもし、星野?』


どこかで期待していたのかもしれない。
心のずっと奥で。

だけど、携帯の向こうから聞こえてきたのは有吉の声で、その有吉の声に混じって有吉の背後からは
救急車のサイレンの音も聞こえてきた。
嫌な予感がした。

「有吉…?今、救急車のサイレンが聞こえたけど…」

『あぁ、今、病院の前なんだ。お前、知ってるだろ?星光会病院』

「星光会病院…?どうして、そんな所に…」

それは隣町の救急病院の名前だった。
有吉の口から出たその病院の名前に携帯を握る手が震えてきた。

どうして、そんな所から俺に電話を…
有吉が


『俺もさっき留守電聞いたから詳しいことは分からないんだけど、梶が事故、起こしたらしい』

有吉の言葉がすぐには頭に入ってこなかった。

事故を起こした?
誰が…?


「え…?」

『俺の知ってる子が今、梶の店手伝ってて、昼過ぎから何回か着信があったんだけど、
 今日、朝からクライアントとゴルフで出れなかったんだ。だから、さっき留守電聞いて、
 今、俺も病院に着いて…取り敢えず、星野に連絡した方がいいかと思って』

早口で話す有吉に有吉も焦っていることが分かった。

誰が…?
梶が?
事故?


「…嘘だろ…?」

みっともなく声が震えた。

梶が?
有吉はなんて言った?


“梶が事故、起こしたらしい”


そうだ。
そう言った。
梶が事故を。

頭の中で繰り返し繰り返し呟く。


『俺だって、嘘だって思いたい』

何度も何度も頭の中で繰り返し、何度目かにやっと梶と事故が繋がった。

『取り敢えず伝えたから。俺は今から病院に入るよ。携帯は繋がらないから』

電話を切ろうとする有吉を引き止めようと俺は必死になった。

「有吉…待ってくれっ」

『悪い。俺も状況分からないから。又、連絡するよ』

「ちょっ…有吉っ」

俺の引き止めの言葉の途中で無情にも通話は切れた。
有吉からの電話が切れてからも俺はすぐに携帯を切ることが出来ず、茫然と携帯を握り締めていた。















部屋で茫然と立ち尽くしていた俺が我に返った時には優しく街を包んでいた夕陽はすっかり姿を消し、
窓からは夕陽の代わりに静かで冷たい夕闇が部屋に忍び込んできていた。
携帯を耳から離しても有吉の言葉と声がずっと耳から離れなかった。
きっと梶が事故にあったのは俺を送った帰りだ。

どうしよう。
俺のせいだ。
俺があんなに潰れたから。
いや、違う。

違う

俺が雨になりたいなんて願ったからだ。
俺が雨になって梶を包みたいなんて自分勝手なことを願ったから。

俺のせいで…

梶はやっと自分の夢を叶えたのに。

時間が経てば経つほど不安は膨れ上がっていった。
怖かった。
梶に、もう会えないかもしれないという恐怖が俺を急き立てた。
俺の小さなプライドやわだかまりなんかは梶の命の前では無意味なモノだった。

俺は財布と鍵だけを握り締めマンションを飛び出していた。

早く

早く

梶の元へ

気持ちだけがせっていた。
マンションの前で運良く捕まえたタクシーに乗り、行き先を告げる。
星光会病院までは車で15分位だ。
だけど、その15分が俺には果てしない時間に感じられた。






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