… rain … 2







梶に抱かれた日から一週間後、本当に梶は高校を辞めた。

仲直りをするチャンスは何度もあったのに。
頑なにそれを拒んだのは俺の方だった。
いや、本当は梶の口からはっきりと“さよなら”と言われるのが怖かった。

高校を辞めた梶から一切、連絡はなくなった。
学校という接点がなくなった今、俺と梶を繋ぐモノは何もない。

“ごめん”

たった一言。
そのたった一言が子供の俺には言えなかった。

時間が経てば経つほど気持ちは凝り固まっていった。
結局、梶にとって、俺はそれだけの存在だった。
そう思うことで俺は自分を納得させた。
そして、俺は梶と会えなくなって初めて自分から梶にちゃんと好きだと言ったことがなかったことに
気付いた。
自分の心を伝えることもせず、サヨナラも言えず、俺と梶は終わった。
そう、俺の初恋は小さな後悔を残したまま、十二年前に終わった。

あれから十二年。
先の見える安定した道を選んだ俺は公務員になった。
高校を卒業してからの十二年間に同窓会は一度だけあったが、クラスの違う俺と梶が会うことは
なかった。
そう、十二年前に気まずい別れ方をした俺と梶が会うことはなかったはずだった─




























高校を卒業してから十二年。
高校時代から付き合いの続いている友人達と久し振りに会う約束をした俺は週末の賑やかな街を
待ち合わせ場所の居酒屋に向かっていた。
週末を楽しむ為に街を行き交う人達に紛れ、目的の店まで最寄りの駅から歩く。
少し歩いて、大きな通りを曲がった俺は、路地裏にある見慣れた扉に手をかけた。

「お、星野。こっち、こっち」

奥まったテーブル席からの呼びかけに軽く手を上げ、答える。
四人がけのテーブル席には俺以外の三人がすでに揃っていた。

「遅れて、ゴメン」

「いいよ。俺らも来たばっかりだから」

「俺達、今、生中頼んだけど、お前、何にする?」

「俺も生中にするよ」

社会人生活七年間で着慣れたスーツのジャケットを脱ぎ、イスの背にかける俺の横で高校時代、
一番よくつるんでいた安岡が俺の分のオーダーをしてくれる。
その安岡に軽く礼を言って、ネクタイを指で少し緩めた俺はやっとのことで一息ついて久し振りに
会う三人の顔を眺めた。

俺も含め、四人とも業種は違うがサラリーマンになった。
社会に出て、七年。
仕事にも慣れ、職場にも慣れ、刺激はないがそれなりに遣り甲斐のある安定した毎日を俺達は
それぞれのフィールドで送っていた。

注文したビールを飲み、頼んだ料理を口にしながらお互いの近況を報告しあう。
社会人生活七年目の苦労を愚痴り、

『お互い大変だな』

なんて、お互いを労う言葉を口にしたりする中でそれは安岡の口から発っせられた。

「あ、そういえば、この前さ…」

急に思い出したといった安岡の口振りに俺達は視線を安岡に向けた。

「会社の後輩と飯食った後に飲みに行こうってなってさ、後輩がいい店が
 あるっていうから行ったらさぁ、梶がいたんだよ」


“梶”

十二年前に封印した名前に俺の箸を持っていた手が固まった。


「最初、雇われかなって思ってたんだけどさぁ、話してたらアイツの
 店らしくてさ。正直、なんか、羨ましかったよ。別にサラリーマンが
 嫌なわけじゃないし、梶は梶で大変なこととかもあるんだろうけどさぁ。
 同じ年でちゃんと自分のやりたいこと見付てさぁ」

「まぁ、梶は昔からサラリーマンになるタイプじゃなかったからな」

「同じ歳で一国一城の主か。でも、資金はどうしたんだ?」

話題はすっかり梶のことになった。

「あんまり突っ込んで聞くのも悪いかなって思ってさ、聞かなかったんだけど。
 援助してくれる人がいるみたいな感じだったな」

「それって、パトロンかよ」

「アイツなら有り得そうだもんなぁ、昔から年上の女にモテてたしなぁ」

「女だって決まったわけじゃないだろうが」

「そういえば、有吉も良く来るって言ってたな」

「アイツら仲良かったもんな。って、星野も梶と仲良かったよな?」

突然、振られた話に俺はすぐに反応出来なかった。

「星野?どうした?」

「あ、何でもないよ…」

安岡の問掛けに慌てて応え、笑顔を作る。

「今日、お前らと飯食う話したら、気が向いたら来てくれってさ」

「それ、いいな。じゃあ、ここ出たら梶のとこ行こうか」

話はいつの間にか梶の店に行こうという流れになっていた。

「じゃあ、決まりだな。星野も行くだろ?」

無邪気に俺に返事を求める安岡に俺は曖昧に笑うしかなかった。





















『将来、自分の店を出したいんだ』



眩い光を放ちながら十二年前、梶はそう言った。
その余りの眩さに俺は心の中で目を細めた。
そして、子供の俺はその光がいつか自分をも光らせてくれるんじゃないかなんて、甘い夢を
見ていた。

十二年経った今でも梶は眩い。
それに比べて俺は。

俺は

今の梶の眩さは俺の目を潰すかもしれない。
十二年経った今でも、俺は梶に誇れるモノが何もない。
そう、全く何も。
梶と別れて十二年。
大人になった俺は、自分を守る為の嘘が得意なただのズルイ大人になっていた。



























一緒に行こうという安岡達の誘いを断った俺は一人ぼっちのマンションに帰ってきた。
灯りをつけたワンルームの部屋はいつもと何も変わらない。

そう、何も変わらない。


『傘、入れてくれよ』





『お前が好きなんだ』





『好きだって言えよ』





『お前、俺に惚れてるだろう?』






梶…


梶が俺の前から消えてから十二年。
その十二年間にそれなりに恋愛もしてきた。
ちゃんと相手を大切だと思う気持ちもあった。

だけど


『お前が好きなんだ』


いつもどこかで、それは心の片隅や頭の片隅で、俺を束縛して。
俺はその束縛から逃れることを諦めていた。






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