… rain … 14






梶の店の手伝いをやめて三週間が経った。
俺にはバイト前の日常が戻った。

朝、起きて職場に行き、仕事をこなし、一人きりのマンションに帰る。
バイト前の日常を俺はバイト前と同じように淡々と過ごしていた。

梶の店に行かなくなって三週間。
その間、梶の店には、一度も行っていない。

“やぁ”なんて言って、まるで何もなかったかのように。
ずっと一緒にいたかのように梶の店に行けるほど、俺の知らなかった梶の時間と梶に対する想いは
軽くなかった。

そして、梶に対する罪悪感も。

自覚してしまった感情に諦めることも出来ず、だからといって、それを真っ直ぐ梶にぶつけることも
出来ず、俺は立ち尽くしていた。
















いつもと同じ朝だった。
いつものように出勤し、自分のディスクに座り、仕事をこなしていく。
事務処理をこなしていくうちに時刻は十二時近くになり、もうすぐ昼休憩だと一息ついた時、
窓口担当の林さんに名前を呼ばれ、俺は顔を上げた。











名前を呼ばれ、顔を上げた俺が窓口のローテーブルの向こうに見付けたのは軽く右手を上げ、
微笑っている有吉の姿だった。


『仕事で近くまで来てさ。星野のこと思い出して。もうすぐ休憩だろう?
 良かったら昼飯、一緒に食べないか?』


有吉の誘いを断る理由はなかった。
どこでもいいと言う有吉といつも行く定食屋で昼食を済ませた俺は有吉に誘われるまま、
定食屋近くの喫茶店に入った。

テーブル席で向かい合わせに座り、注文したアイスコーヒーを飲みながら他愛のない話をする。
昼食を食べていた時から感じていた何か言いたげな有吉の様子に気付きながらも、どうすれば
いいのか分からない俺は、有吉に合わせ、当たり障りのない会話を続けた。
そんなぎこちない会話が五分ほど続き、アイスコーヒーも残り少なくなった時、有吉はふと会話を
切ると俺を真っ直ぐ見てきた。

「梶のことだけど…」

梶のこと…

有吉が突然、現れた時から予感はしていた。

「俺が、口を出すことじゃないことも、余計なお節介だってことも十分、分かってる。
 だけど…」

一旦、言葉を切った有吉の顔は真剣だ。

「お前達、もう一度、ちゃんと話した方がいいんじゃないか?」

「…」


梶と話す…

俺を気遣いながら話していると分かる有吉の口調に俺は黙って有吉の顔を見詰めていた。

「このままじゃ、お前も梶も立ち止まったままだろう?」

立ち止まったままという有吉の言葉は、まさに今の俺の状況そのままで、俺は何も言えなかった。

「俺が言うことじゃないんだろうけど…。梶は、アイツは、まだお前を忘れてないよ。
 だから、お前と別れたあの日から立ち止まったままだ。よりを戻せって言ってる
 訳じゃない。無理なら無理でいい、でも…お互い、ちゃんと話した方が、どんな結果に
 なろうと前に進めるんじゃないか?」


俺だけじゃなく、梶も又、あの日から動けずにいる。

ずっと

ずっと…


「俺は…」

声は出したものの次の言葉に繋がらず結局、口を閉ざした俺に有吉は苦く微笑いテーブルに
乗せていた腕に嵌めている腕時計に視線を移し

『休憩、もう終わるな。出ようか』

と言った。
















「今日も暑いな」

空調の効いた喫茶店の扉を開け、先に表に出た有吉が照りつける太陽を見上げ、言う。
その有吉につられ俺も空を見上げる。
見上げた空は、どこまでも蒼くて、雨は降りそうにない。
その、雨が、降りそうにない空を見上げながら俺は、雨を想った。

















『俺、お前に詫びなきゃいけないことがあるんだ』

市役所前まで俺と有吉は無言で歩いた。
そして、別れ際、

『じゃあ、行くよ』

と言って有吉に背中を向けた俺は、有吉の言葉で振り返った。

『あの日、梶が事故を起こした日、本当は知ってたんだ、梶が無事だって。
 知ってて、お前に電話した。カマかけた』

薄々、気付いていた。
気付かない振りをしていたけど。

『あの日、お前、真っ直ぐ病院に来たよな?あれが、お前の答えじゃないのか?』

少し冷静になって考えれば分かるだろう有吉の嘘に俺は騙された。
あっさりと簡単に。


“あれが、お前の答えじゃないのか?”


有吉と別れ、職場に戻ってからも有吉の別れ際の言葉が頭の中から消えなかった。

俺の答え…

俺の

梶と会えなくなってから雨が嫌いになった。
何故なら、雨は、梶を思い出させるからだ。

だけど、嫌いだと嫌だと思いながらも心の奥で俺は、ずっと雨が降るのを待っていた。
そう。
自分に嘘を付いていたけど。
ずっと、ずっと雨を待っていた。


『傘、入れてくれよ』


十二年前のあの日のように梶が現れるんじゃないかという淡い期待を抱いて雨を待っていた。

会いたくて。

会いたくて。

会えないもどかしさに筋違いに梶を恨むほど梶を待っていた。

なんて、馬鹿なんだろう。
十二年前から俺は何一つ、成長していない。

ずっと、ずっと嘘を付いていた。
自分に。

罪悪感だなんて誤魔化して。
嘘を付いて。

梶の店を手伝いたいと言ったことだって本当は、梶に罪悪感を感じたからじゃない。
本当は梶の側にいたかったからだ。
そう、梶の側にいたかった。

もう逃げられない自分の本心に気付いたとたん、俺は居てもたってもいられなくなった。
その焦る気持ちに我慢出来ず、イスから立ち上がり上司の元に真っ直ぐ歩いていく。
焦る気持ちが顔に出ていたんだろう。
早足で自分のデスク前に来た俺に上司は驚いた顔で俺を見上げてきた。

「星野君…?どうした?何か、あったか?」

「すみません、母が病院に運ばれたらしくて。申し訳ないですが、早退しますっ」

勢い込み、早退を申し出た俺に上司は呆然と俺を見上げていた。
だけど、尋常じゃない俺の様子と事情が事情だと思ったんだろう。
呆然とした顔のまま

「あぁ…分かった」

と頷いた。














二十九にもなって何をしているんだろうという思いはあった。
身内を使った嘘を付いて早退をするなんて。
だけど、止まらなかった。
何故か今日、今でないとダメなような気がした。

ブリーフケースを握り締め、職場から駆け出す。
時刻は、三時で今の時間なら梶はマンションにいるはずだ。
気持ちばかりが焦る。
梶は逃げやしないのに。
まるで今日、伝えないと梶が、あの日のように俺の前から消えてしまうような気がして。
焦る気持ちを抱え、俺は駅に向かい、走り続けた。






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