… rain … 12






『まぁ、今は、お袋さんとも上手くいってるから、いいかな?』

梶の話を聞きたいと言った俺に比企さんは、そう言った。

そして、梶の話は比企さんとの出会いから始まった。

『インドでさ、白人相手に日本語で怒鳴ってるヤツがいてさ、それがアイツだったんだよね』

白人相手に日本語で喧嘩していた梶を面白いヤツだと思った比企さんは梶に声を掛けた。

『お互い、ちょうど一人に飽きてたのかもね』

二回目の旅行ということもあり、梶は一人でインドに来ていた。
そして比企さんも一人旅だったことと比企さんも一時期、バックパッカーだったこと、
そして何よりも比企さんがショットバーを経営していたことで二人は親しくなっていった。

『俺の親父も再婚したばかりで家庭環境も似てたんだよね』

梶の母親が亡くなったのは梶が十二歳の時だった。
それからは、父一人子一人でやっていたが、梶が十五歳の時、親父さんは再婚した。

『多感な時だからね。頭では理解出来てたんだろうけど気持ちがおっつかなかったんだろうな。
 本当のお袋さんと親父さん、大恋愛だったみたいだから、アイツにすれば親父さんに裏切られた
 ような気もしたんだろうし、新しいお袋さんにどう接したらいいかも分からなかったんだろうね。
 店をやりたいっていうのも本当だろうけど、とにかく早く独立したいって感じだったな』

予定のない旅だった比企さんと梶に時間は沢山あった。
旅のことにショットバーの経営のこと。
そして、家族のこと。
異国という非日常に七つの年の差。

『日本じゃないっていうことと、年の差かな。後は昨日まで知らない人だったし、時間は
 死ぬほどあったからね』

失恋のことや家庭の深い話まで。
比企さんが先に日本に帰るまで二人は色んな話をした。

『ショットバーのことがあったからね。本気なら力になりたかったから帰国前日に
 携番教えあって別れたかな』

比企さんが帰国してから二ヶ月後、比企さんのショットバーに梶は突然、現れた。

比企さんのショットバーで働きながら経営を学びたい。
そう言ってきた梶を比企さんは雇った。


「独立するまで結構、かかったんですね」

梶の店を手伝い始めて、すぐに梶の店が開店して今年で二周年だということを俺は巧己君から
聞いた。
梶の二度目の旅行は確か十九歳くらいだから、自分の店を持つまで八年近く掛かっている。
それが短いか長いかは俺には分からないが、出資してくれる人がいるなら、もっと早く
独立出来たんじゃないだろうか。
そう思い言った俺に比企さんは複雑な顔をした。

「うーん、本当はもっと早く独立させてやる予定だったんだけどね」

十六歳からショットバーでバイトをしていた経験と飲み込みの速さから比企さんも独立に時間は
掛からないだろうと思っていたらしい。
だけど、すぐには独立出来ない出来事が梶の身に起こった。

「アイツが二十歳の時かな。親父さんが心筋梗塞で急に亡くなってね」

二十歳の時に親父さんが亡くなった。
それは、俺が知ることの出来なかった事だった。

「アイツの所って自営だったから独立どころじゃなくなってね。お袋さんが親父さんと一緒に
 会社切り盛りしてたみたいなんだけど、親父さんが亡くなったショックでお袋さんは、
 葬式や会社どころじゃなかったみたいだしね」

梶は、もう独立なんて言っている場合ではなくなった。
親父さんと新しいお袋さんとの間に出来た弟は、まだ四歳なのに肝心の親父さんは亡くなり、
お袋さんはショックで塞いでいる。
否が応でも葬式のことから会社のこと、お袋さん達のことまで全て梶が背負うことになった。

「こんな言い方はいけないのかもしれないけど親父さんが亡くなったことで、お袋さんとも
 分かり合えたんじゃないかな」

親父さんは梶に跡を継がせるつもりだったらしい。
梶が物心付いた時から親父さんは梶をよく職場に連れて行った。
そのお陰と梶が備え持っていた器用さから親父さんがいた時と全く同じとまではいかないまでも
会社が傾くことはなかった。

「実際、かなり大変だったと思うよ。まだ二十歳でなんの心の準備もないのにいきなりだからね」

会社のことで必死になっている間に一年、二年と時間は過ぎて行った。
お袋さんも少しずつ悲しみから立ち直り、以前のように会社に出るようになった。

「アイツが二十四の時かな。それまでも定期的に連絡はとってたし、俺の親父も経営者の
 端くれだったから、アイツの役に立てばと思って親父も紹介したりして家族ぐるみの
 付き合いはしてたんだけど」

梶は十九歳の時と同じように突然、比企さんのお店に現れた。
お袋さんが会社は、もう大丈夫だから自分のやりたいことをやって欲しいと梶に言ったそうだ。

「アイツも、かなり悩んだみたいなんだけどね。俺も親父に会社を手伝えって煩く
 言われてたしね」

比企さんの店の雇われ店長から梶は出直した。
そして、三年後、梶は独立した。

「ま、そんな感じ。アイツ、今は店の近くで一人暮らししてるけど実家にも良く帰ってるよ」

比企さんの話に俺は、どんな言葉を言えばいいか分からなかった。
大人になってるはずだ。
俺の知らない梶の十二年。
それは、俺が簡単に知ってはいけない十二年だった。

「…俺、なにも知らなくて」

梶に対する罪悪感で俺の声は沈んだものになった。

「仕方ないよ。最近まで連絡とってなかったんだろ?」

「でも…」

俺を慰めるように比企さんは優しい笑顔を浮かべた。

「こんなこと言うのは不謹慎かもしれないけど人には時期ってモノがあるんじゃないかな?」

「時期ですか…?」

比企さんの言葉を聞き返す俺に比企さんは頷く。

「そう。二年前がアイツにとって、その“時期”だったんだよ。アイツが経験したことは全て
 無意味じゃないし、あのまま何事もなく独立してたとしてアイツが今のようにやれてたとは
 俺は思わないんだよね。結局、物事は転がっていくように転がっていくっていうか…
 あ、なんか説教じみたね。ごめん」

「そんなことないです」

サラリとした口調なのに、それとは反対に比企さんの言葉は俺にはない七年の重みがあった。
梶が何故、比企さんを慕うのか。
この数十分で俺は分かったような気がした。






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