… rain … 11






いつもの日曜日と同じように開店一時間前に店に着いた俺は梶から貰った合い鍵でドアを開け、
スタッフルームに入った。
誰もいないスタッフルームで店に出る為の身支度を整え、調理場を通り抜け、店内に入る。
店内では珍しく俺より先に出勤していた比企さんが開店準備をしていた。

「お疲れ様です」

カウンターの中で氷を削っている比企さんに挨拶をし、俺もカウンター内に入る。

「よ、お疲れ」

俺の挨拶に比企さんは手元に向けていた視線を俺に向けると笑顔を浮かべた。

「あの、梶は?」

いつもなら俺より先に出勤しているはずの梶の姿がないのを不思議に思い、比企さんに尋ねる。
俺の質問に比企さんは笑顔を苦笑いに変えた。

「俺も聞きたかったんだけど、昨日、梶となんかあった?」

「…え?」

比企さんの質問の内容に俺は戸惑った。

「いや、昨日、店閉めてから、小池君達とアイツと一緒に飲みに
 行ったんだけどさ、アイツ、バカみたいに飲んで潰れてさ。
 アイツがあそこまでになるのって、久し振りに見たから」

「…そうなんですか?」

「うん、だから、昨日、スタッフルームでなんかあったのかな?ってね」

「…別に…何もないです」

梶が開店準備に遅れてくるなんて俺が店を手伝い始めてから初めてだった。
だけど、昨日、スタッフルームでの遣り取りで、梶がそんな風になるまでの話もなかった、
はずだった。

「まぁ、何もないならいいけど。俺が小池君達にアイツの昔の話、
 したからかなとかも思ったんだけど、アイツ違うって言うしさ。
 いや、言わないだけで、本当は俺のせいかなぁ」

視線を空中に彷徨わせ、比企さんが独り言のように呟く。

「梶の言うように比企さんのせいじゃないと思います。あの話だって、
 かなり昔の話ですし…」

意地悪をしつつも本当に梶のことが可愛くて仕方がないといった雰囲気の比企さんを
安心させる為にフォローを入れる。

「あ、なんか星野君にまで心配かけて、ごめん」

そんな俺に比企さんは頭を掻きながら苦笑いを浮かべた。
















俺より先に来ていた比企さんが買い出しなどもしてくれていたお陰で開店準備は、あっという間に
終わった。
梶が、まだ来ない店の中で手持ち無沙汰になった俺は比企さんに勧められるままカウンターの
イスに座った。

「取り敢えず、お疲れ。どうせ、まだ客も来ないだろうから」

イスに座った俺の前にミントの葉が浮かぶ透明な液体が入ったトールグラスが出される。

「俺、アルコールは…」

日曜日は夜八時までというのが梶との約束だ。
まだ仕事も終わっていないのに飲む訳にはいかない。
そう思い言った俺に比企さんは笑った。

「それ、アルコール入ってないから」

「…ありがとうございます」

比企さんの心使いにお礼を言い、グラスを口に運ぶ。
口の中に広がる微かな苦味と炭酸に出されたものがトニックウォーターだと分かる。
空調の効いた店内と喉を潤すトニックウォーターの冷たさと爽やかさに俺は梅雨時の湿度を
忘れることが出来た。
店内には比企さんの趣味なのかボサノバが流れている。
店内に流れるボサノバと爽やかな炭酸。
梅雨明けはまだだが、この店の中だけは一足先に夏を迎えたようで、俺は独り微かに笑った。

「星野君て、梶と高校時代に仲良かったんだよね?」

「え…はい、そうです」

ゆっくりとトニックウォーターを飲む俺の向かいで比企さんはタバコを吸っている。
その比企さんの質問が何を意味しているのか分からなくて俺は比企さんの顔を見た。

「梶のツレにしては珍しいタイプだよね」

「珍しいですか…?」

珍しいのだろうか…
何が珍しいのだろうと考えたのが顔に出たんだろう。

「あ、変な意味じゃないよ。なんていうかアイツの友達にしては
 ちゃんとしてるっていうか。あ、この言い方も変か」

他意はなく言っただろう比企さんの言葉に俺は苦笑いを零した。

「俺が今まで会った梶のツレって、俺も含め、みんな梶みたいな
 タイプだったからさ。星野君みたいなタイプって初めてだから」

比企さんに言われ気付いたが確かに高校の時以降は知らないが高校時代の梶の友人関係は
有吉も含め、みんな梶と似たタイプだった。

自由人で人を惹き付ける魅力があって目標を見付けると、それに突き進んでいく。
俺とは正反対のタイプだ。

「…そうですね…梶とは正反対で、高校の時から俺は平凡で。
 どうして、仲良くして貰えてたのか分からないんです」

そう。
どうして、こんな平凡な俺を梶は好きだと言ったのか。
未だに分からない。

思わず俺は愚痴じみた言葉を漏らしていた。

「うーん、なんていうか、俺からしたら平凡とか普通って一番、
 難しいし、すごいことだと思うんだけど?」

「…すごいですか?」

比企さんの言葉に俺は驚いた。

「うん。俺は梶と似てるから分かるけど、俺も梶も弱いよ。弱いから
 必死っていうか。その点、星野君は安定してる感じがするからね」

「安定してますか?」

そんなことを言われたのは初めてだった。

「ま、俺が勝手に思っただけだけどね。ほら、梶が最初の旅を決めたのも
 親父さんの再婚で家に居辛いからだったんだよね?」

「親父さんの再婚って…?」

そんな話は知らなかった。

「え?星野君、知らなかった?」

「はい…」

比企さんの問いに頷く。

「有吉君は知ってたみたいだったから、星野君も知ってると思ってたんだけど」

比企さんは不思議そうな顔をする。
有吉は知っていたのに、何故、俺には教えてくれなかったのか。
そういえば、梶と親しくなってから、梶の口から家族の話を聞いたことはなかった。
夜、ショットバーでバイトをしていると聞いた時、家族に怒られないかと聞いたら梶は、
うちは放任主義だから大丈夫だと言っただけだった。
聞かれなかったから話さなかったと言われれば、それだけのことだけど。

梶本人がいないのに、いいんだろうかという罪悪感はあった。
だけど、どうしても欲求には逆らえなくて。

「その再婚の話、聞かせて貰ってもいいですか…?」

俺は、そう口にしていた。






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