… rain … 1






男に抱かれたのは初めてだった。

そして、その十七歳の時のたった一度のセックスがその男との最後のセックスになった。



梶に惹かれたのは、梶が俺と全く正反対のタイプの人間だったからだ。
梶はまさに“自由”という言葉を具現化したような生き方をしてる男だった。
高校にも来たり、来なかったり。
来たとしても授業に出たり、出なかったり。
何にも縛られず、自由勝手に振る舞う梶は高校の中ではいつだって注目の的だった。

刺激のない学生生活を送る俺も含めた大多数の学生にとって梶はまるで、犬の群れの中に
放り込まれた狼のようだった。
同じ種類なのに明らかに俺達とは違う。
それが梶だった。

そして、そんな梶を俺は嫉妬と羨望の混じった複雑な想いで見ていた。
梶のように自分の思うように過ごしてみたいと思うのに、結局、小心者の俺は周りに置いて
行かれるのが怖かった。
無難に日々を過ごして、ちゃんと先の見える道を歩く。
それは二十九歳になった今も変わらない。
そう。
俺は梶に置いて行かれた十七歳の頃から何も変わっていない。

梶と初めて言葉を交した時を俺は今でも鮮明に覚えてる。


『傘入れてくれよ』


雨の降る放課後、傘を広げた俺の横に来て、梶はそう言った。


『傘入れてくれよ。駅まででいいから』


さっきまで話したことすらもなかったのに。
呆然とする俺を放って、それだけを言うと梶はまるで昔からの友人かのように俺の傘に入って
きて俺の手から傘をとって歩き出した。


『お前、星野(ほしの)だろ?』


何故、俺の名字を知ってるのか。
不思議で梶の顔を見上げた俺に梶は笑った。


『有吉から聞いたんだ』


有吉とは生徒会で一緒の奴で、そういえば梶と有吉が一緒にいるところを俺は何度か見ていた。


『傘なくて困ってたんだよな。丁度、お前がいて良かった』


屈託なく言う梶に俺は返す言葉を見付けられなかった。



高校から駅までは歩いて、十五分。
その十五分の道のりを梶の声を聞きながら俺は梶と並んで歩いた。

そして、その小さな出来事をきっかけに俺達は親しくなっていった。
梶が学校に来ないのは夜にショットバーでバイトをしてるからだということも知った。


『将来、自分の店を出したいんだ』


屈託なく自分の夢を話す梶が俺には眩しかった。
眩しくて、羨ましかった。


『でも、店を出す前にアジアも旅してみたい。ガンジス川で泳ぎたい。
 だって凄くないか?人一人の一生をあの川は凝縮してるんだぜ』


まるで、小さな子供みたいに目を輝かせて話す梶が眩しくて、羨ましくて。
そんな梶の側に俺はずっといたいと思った。
ずっと、いつまでも梶と一緒に。
その自分の感情が友情を越えたモノだと気付くのに時間はかからなかった。
だから、梶から

『お前が好きなんだ』

と言われた時には、有頂天になった。
嬉しくて、嬉しくて。
有頂天になって。

その先に待ってる崖に気付きもしなかった。
しかし、絶望は突然、やって来た。
梶から好きだと言われて半年後、俺は初めて梶に抱かれた。
梶の部屋で初めて梶と体を繋げて、幸福の絶頂にいた俺は梶の言葉で幸福の絶頂からどん底に
突き落とされた。


『俺、学校辞める。知り合いがバックパッカーでアジアをめぐるらしいんだ。
 だから、学校辞めて、それについて行こうと思うんだ』


いつもと何ひとつ変わらない屈託のない声だった。

初めて愛し合った乱れたベッドの上で梶は下着だけをつけた姿でタバコを吸いながら俺に
そう言った。

すぐには梶が何を言ったのか理解出来なかった。

辞める?
何を?
行く?
どこに?

悪い冗談だと思った。
いや、冗談だと思いたかった。

“好きだ”と囁いた唇が今は俺から“離れる”と言っている。
大人になった今なら、それは決して別れの言葉ではないと分かるけれど、十七歳の子供の
俺にとって、梶の言葉は別れの意味にしか受けとれなかった。


『…俺は…?』


余りの衝撃にそんな言葉しか出なかった。
“待っててくれ”その時にはまだ、そんなセリフを期待していたのかもしれない。


『真幸(まさき)には学校があるだろ。大学だって行きたい所あるんだろ?』


『…そうだけど』


大学に行くのだって、何かしたいことがあるからじゃない。
皆が行くから。
それだけが理由だ。

梶と違って俺には何もない。
夢もしたいことも。
何もない。


『なんでもっと早く話してくれなかったんだよ』


嫉妬が羨望を上回った瞬間だった。

同じ男として俺は梶に嫉妬した。
夢があって、それを実現する為に行動しようとしている梶が羨ましくて妬ましかった。


『つい、この間決めたんだ。急な話だったから』


嫉妬と羨望。
そして、相談してもらえなかった虚しさ。
置いて行かれるという焦りに寂しさ。
自分では処理出来ない感情の渦に俺は簡単にのまれた。


『…俺はお前のなんなんだよ…』


行きどころのない感情は梶にしか向けられなかった。


『…遠くに行くならなんで俺を抱いたんだよ』


『真幸?』


ずっと梶の側にいたかった。
いれると思ってた。
希望で輝いてる梶の側にいたら、なんにもない俺でも少しは輝けるような気がした。


『…なんで、俺に好きだなんて言ったんだよっ』


突然、声を荒くした俺を梶は不思議そうに見ていた。


『…どうせ別れるなら、お前のことなんて好きにならなきゃ良かった』


『…なんだよ、ソレ』


『…お前と寝るんじゃなかった』


『本気で言ってんのか?』


惹かれる要因になった二人の違いはその余りの違いに一度噛み合わなくなるとまるでどこまでも
交わらない平行線のようで。


『待てよ』


と言う梶の言葉を振り切り、俺は違和感のある体を無理に叱咤して家に帰った。






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