… 
pleasure …










「この子、貴方のことが気に入ってるみたい」


週末、ネオンというアクセサリーを纏った街で食事を楽しんだ後、潜り込むように
歩き出した街で見付けたペットショップのガラスウィンドウを人差し指で軽く叩きながら
恋人はガラスの向こうにいる仔猫を楽しそうに見つめながら言った。


「どうして、分かるんだ?」

「だって、ずっと貴方を見てる。ねぇ、中に入ってもいい?」

ガラスに付けていた指を離し、振り返って俺に問う。
その甘えるような視線に俺は苦笑しながら頷いた。



















店内は決して広くは無かったがペット製品は収まり良く配置されていた。

「両親とも血統書付きの猫なんですよ」

ガラス越しに見た仔猫をゲージ越しに見つめる美月(みつき)に店員は仔猫に
ついて説明をしている。
その説明を聞いているのかいないのか美月は微笑みを浮かべているだけだ。

ゲージを滑る美月の指に仔猫は手をかけようと必死だ。




もし、人を犬と猫に分けるとしたら美月は間違いなく猫だろう。
さっきまで身体を擦り寄せていたかと思えば一秒後には俺の存在など忘れたかの
ように振る舞う。


捕まりそうで捕まらない。


そういうところが俺を夢中にさせる美月の魅力の一部分だ。
その美月がゲージ越しに仔猫と戯れる姿は、まるで猫同士がじゃれあっているようで
俺は口元に笑みを浮かべた。

「お前が動物好きだとは知らなかったよ」

「別に。他の動物はどっちでもないけど、この子とは気が合うから」

美月が振り返り微笑む。

「気が合う?」

「うん。だって、この子さっきから貴方ばかり見てる」

同じものが好きだから、気が合う。
美月の瞳はそう言った。

「生き物を飼ったことは?」

「子供の時に猫を飼ったけど。引越しで人にあげてしまって…」

まだ、遊び足りないのかゲージの向こうから仔猫は愛らしい鳴き声で美月を呼ぶ。
その自分を呼ぶ声に美月は話が途中なのも忘れ、顔を仔猫に戻した。
どちらが遊んでもらっているのか分からない光景に口元が綻ぶ。
新しい友人に夢中になっている恋人の姿に俺は心を決めた。

「子供の時に飼ったことがあるなら、飼い方は大体、分かるな?」

背中に掛けた言葉に美月は振り返って不思議そうな顔をした。

「お前がいいなら、そいつを連れて帰ろうか?」

「でも…」

俺の提案に瞳が一瞬にして輝く。
瞳を輝かせながらも戸惑う言葉を口にしたのはマンションのことを考えてのことだろう。

「マンションのことなら大丈夫だ。ペットは禁止じゃなかったはずだ」

ペットのことを考慮に入れていた訳ではなかったが好都合なことに俺が友人に頼んで
探してもらった美月のマンションはペットを飼うことを禁止してはいなかったはずだ。

「本当にいいの?」

「あぁ」

「嬉しい。ありがとう、光輝(こうき)さん」

まるで桜の蕾が綻ぶような微笑みが恋人の顔に広がる。
そのしっとりとした艶やかな微笑みにこの微笑みが見れるのなら全てを差し出しても
構わないと思う俺がいた。



























仔猫を飼う為に必要な物を買い揃え、メインの仔猫をキャリーに入れて俺達は
マンションに戻った。

ワインを開け、ソファーで寛ぐ俺の前で美月はキャリーから新しい家族をまるで
宝物を扱うような手付きで取り出し、俺の横に置いた。

見慣れない光景に仔猫は大きな瞳をさらに大きく見開き、キョロキョロと辺りを
見回している。

「今日からよろしくね」

歓迎の挨拶をしながら喉を撫でる美月に仔猫はミャーと鳴いて答える。
新しい環境に慣れるまで大変なのではないかと心配したがどうやらその心配は
無駄に終わったらしい。
仔猫はまるで自分がここにいるのは当然のことのような顔をして俺の足に小さな
身体を擦り寄せてきた。

「この子、やっぱり、貴方がいいみたい」

美月が俺の足に手を置き、小さく笑う。

「名前を付けてやらないとな」

俺は苦笑して、まだ名前のない仔猫の頭を撫でた。

ワインを飲みながら、俺達は仔猫の名前を出しあった。
仔猫は自分の一生を左右するかもしれない事を俺達が議論しているというのに
知らん顔で呑気に俺と美月に交互にじゃれ付いている。

「…ミューズ。ミューズなんてどう?」

ワインボトルが空いた頃(俺が三分の二を飲み、美月は三分の一を飲んだはずだ)
美月はこれしか無い、といった面持ちでそう言った。

「芸術の女神か…」


ミューズ 、詩や音楽、絵画、あらゆる芸術を司る女神。


「名前負けしないか?」

芸術の女神なんて大それた名前を付けられようとしている仔猫は新しい環境に
はしゃぎ疲れたのか俺の横でいつの間にか静かな寝息をたてていた。

「ぴったりだと思うけど。貴方を気に入ったぐらいだから」

ワインのせいで少し潤んだ瞳が楽しそうに細められる。

「女神ははしゃぎ疲れたらしいな」

ソファーの下にあるミューズのベッドをソファーの上にあげ、ミューズをベッドに移す。
安心しきっているのかミューズは目を覚ましたものの自分専用のベッドで又、
安らかな寝息をたて始めた。

「まだ、飲む?」

ガラステーブルにある俺の空のワイングラスに視線を落とし美月が問う。
ふと、上げられた瞳と桜色に染まった首筋にワインよりも俺を酔わせるものが
あることを俺は思い出した。

「いや、もういい。それよりもミューズをプレゼントした見返りをくれないか?」

ソファーの下に座っている美月の耳を指で辿り、顎に移動させる。
そして、そっと顔を上向かせる。
俺を見つめる桜の蕾はすでに綻んで溢れかえるほどの芳香を放っていた。

「…ここで?それとも、ベッドで?」

「バスルームでという選択もある」

「一緒にシャワーを浴びてベッドでっていうのは?」

瞳が誘うように微笑む。

「それは思い浮かばなかったな。それじゃあ、それにしよう」

魅惑的な恋人が提示してきた選択に軽く微笑み同意する。

その同意の証に俺は恋人の腕を引き、短いキスを交わすとバスルームに向かう為に
恋人と一緒にソファーを後にした。




 
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