…愛の大嵐 … 2










抵抗は止めたのに両腕の拘束は解かれなかった。
両腕を縛られ頭上に上げている僕自身に晃男の舌が絡まる。

「…ぁ…っん…やっ」

晃男の指は僕の中でいやらしく蠢いていて、二箇所を同時に責められ僕は声を
押し殺すことが出来なくなっていた。
羞恥心でおかしくなりそうなのに両腕は縛られていてなんの役にも立たない。

「…おね…が…っ…やめ…っ」

頭を振りながら何度目になるか分からない懇願を口にする。
どれだけの時間、晃男に嬲られていたのかは分からないが、その何度目になるか
分からない懇願にようやく晃男は僕を解放してくれた。

「そろそろ本当の仕事を果たして貰いましょうか」

その晃男の言葉の後、晃男の指が蠢いていた場所に指とは比べ物にならない物が
押し付けられる。

「…やぁっっ!!」

自分の中に入り込もうとする異物に僕は悲鳴に近い声を上げた。



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自分の中にいる晃男の動きに悲鳴を上げていたのは最初だけだった。
何度も揺さぶられるうちに感じ始めたのは苦痛だけではなかった。
背骨を駆け抜ける甘い衝撃に晃男と繋がってからすぐに自由になった両腕を晃男の首に
絡め、晃男に縋りつく。
僕を狂わせているのは晃男なのに。
その晃男しか僕がしがみ付けるものはなかった。

「…あっ…ぁっ…!」

夢中で晃男に縋りつきながらはしたない声を上げ続ける。

「そんなに気持ちがいいですか?」

さっきまでとは違う熱の篭った晃男の声に僕は頭を左右に振った。

「ちっ…がっ…や…あぁっ!」

それが訪れたのは頭を左右に振り、否定をした直後だった。
頭の中で、いや、身体の中で何かが弾け飛んだ。

これは何だろう…

身体がビクビクと痙攣し、意識が薄れていく。
恐くはなかった。
ただ、心地良くて、安らかで。

「……あき…」

「…香月…」

薄れていく意識の中で晃男の名前を呼んだ僕の目に映ったのはひどく悲しそうな顔で僕の
髪を撫でながら戸惑うように僕の名前を呼ぶ晃男の顔だった。



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目が覚めて最初に目に入ったのは見慣れない天井だった。
ぼやけていた頭が徐々に覚醒していく。


『…香月…』


晃男は僕の名前を呼んで髪を撫でてくれた。
あれは夢だったのだろうか…

その晃男の姿はもう、無い。
晃男は柳沢家を憎んでいると言った。
破滅させると。

なのに、何故…

行為の最中の晃男は決して優しくは無かったが残忍でも無かった。

何故…

もっと暴力的に抱くことも出来た筈なのに。

身体の奥に残る気だるさに昨晩の行為が脳裏に蘇る。
その余りの甘美さに自分が溶けて無くなってしまいそうなそんな出来事だった。
淫らな声を隠しもしないで晃男に縋りつき、はしたなく乱れた自分を思い出し、溜息をつく。
前髪を掻き揚げようと額に伸ばした手首の内側には昨夜の晃男が残しただろう紅い印が
鮮やかに色づいていた。



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昨晩の行為は嵐のようで僕には起き上がる気力も体力も残ってはいなかった。
しかし、このまま晃男が帰るまで晃男のベッドで寝ている訳にはいかない。
何故なら僕は晃男に捧げられた生贄なのだから。
生贄という自分で思い付いた言葉に心の端にチクッとした痛みが走る。
そう、生贄なんだ、僕は。
それ以外には何も無い。
鈍痛の残る身体を気力だけで奮い立たせ、上体を起こす。
ベッドから降りようと足をカーペットの敷かれた床に付けた時、部屋の扉をノックする音が
僕の耳に聞こえた。



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控え目なノックの音が聞こえる。

「…はい…」

自分の着ているパジャマが乱れていないかを一通り確認し、返事を返す。

「お邪魔してもいいかしら?」

僕の返事に返ってきた声は年配の女性の柔らかい声だった。

「…はい、今、ドアを」

鈍い痛みを堪え、ドアまで歩いて行き、ドアを開ける。
ドアの向こうには食事を乗せたトレーを持った中年の女性が立っていた。
女性の微笑みは穏やかで目には慈しみの色が浮かんでいて僕の母に似てはいないのに
僕は母を思い出した。

「まあ、もう起き上がって大丈夫なの?」

「…え…?」

「晃男さんが具合が悪そうだから起こさないでやって欲しいって言ってたから」

「…大丈夫です」

ますます僕は晃男の真意が分からなくなった。
復讐だと晃男は僕に言った。
柳沢家を破滅させると。
なのに何故、僕の身体を気遣うのか。

「お食事を持ってきたのよ。胃に負担をかけないようにスープにしたから。
 ほら、病人はベッドに戻って」

微笑みながらも幼い子供の無理を諭すような声と言葉に僕の心は温かくなっていく。
優しい労りをむげには出来なくて僕は促されるままにベッドに戻った。

「昨日、お屋敷に来たばかりだから少し疲れが出たのね。これを食べて今日は一日、
 ゆっくりなさい。晃男さんには私が後から言っておくから」

この屋敷に来てから初めて触れる優しさと微笑みに僕は涙が溢れそうだった。



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口に入れたスープは暖かくて優しい味がして僕の心を癒していく。

「ご馳走様でした」

差し出されたスープを全て平らげて僕は女性にお礼を言った。

「まあ、全て食べたのね。偉いわね。確かお名前は香月さんだったわね。
 私は峰子って言うのよ。これからよろしくね」

「峰子さん。ありがとうございました。とても美味しかったです」

少し微笑んでお礼を言うと峰子さんはまるで日溜りのような笑顔を浮かべた。
峰子さんの笑顔を見て僕は安心した。
この人なら晃男のことを何か聞けるかも知れない。

「あの、少しお聞きしてもいいですか…」

心に思い付いたまま、口にする。

「あら、何かしら?」

峰子さんに拒否をするような態度は無かった。

「どうして、こちらにいらっしゃるんですか?晃男さんとは親しいのですか?」

峰子さんの身なりや晃男のことをご主人様と呼ばなかったことから峰子さんが使用人だとは
思えなかった。

「そうね、何から話せばいいかしら。少し時間がかかるけどいいかしら?」

そう言って、峰子さんは微笑み、僕は峰子さんの言葉に頷いた。

「その前にテラスの窓を開けていいかしら?」

峰子さんはそう僕にことわり、テラスの窓を開けた。

開け放たれた窓から暖かい日差しと一緒に爽やかな風が部屋に入り込んでくる。
その清々しい空気を僕は胸一杯、吸い込んだ。
肺に入り込んだ新鮮な清々しい空気に僕はこの屋敷に来て初めて息をしたような気持ちに
なった。
そんな僕の様子を見て峰子さんが微笑む。

「人生には色々あるわ。貴方と晃男さんのことは私には分からないけど晃男さんの
 孤独を埋めてあげられるのは貴方しかいないような気がするの」

微笑みを浮かべたまま峰子さんはそう言って晃男とのことを話し出した。



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「私には晃男さんと同じ年の息子が一人いたの。親の欲目かもしれないけど
 正義感が強くて優しい子で…」

峰子さんには晃男と同じ年の息子さんがいた。
正義感が強くて優しくて、峰子さんは親の欲目かもしれないと言ったがこんなに穏やかな
笑顔をする峰子さんに愛されて育てられた息子さんなら本当にそうだったのだろうと思う。
その息子さんは教師になることが夢で、その夢を叶える為に一生懸命勉学に励んでいた。
しかし、そんな息子さんの元に届いたのは兵士の召集のための赤紙だった。

『お父さん、お母さん行って参ります』

それが息子さんの最後の言葉だった。
日本を守ると大切な人達のいる日本を守ると。

しばらくは戦地から近況を知らせる手紙が届いていた。

『こちらでの生活にも少し慣れました。戦友と呼べる友人も出来ました』

短い手紙が峰子さんと息子さんを唯一、繋いでいた。
その手紙の中で晃男の名前は息子さんの一番の友人として綴られていた。

全てが混沌としていた時期だった。
どんどん悪くなっていく戦局に峰子さんの息子さんからの手紙も数が少なくなっていった。

戦争さえ終われば…

そんなことを思いながら峰子さんは一日、一日を過ごしていた。

そして、息子さんからの手紙が届かなくなって三ヵ月後、日本は戦争に負けた。
完全な敗戦だった。

少しずつ戦地から兵士が帰ってくる中で、峰子さんは息子さんの帰りを待ち侘びていた。
しかし、一向に分からない息子さんの安否に峰子さんが焦りを感じ始めた頃、峰子さんの
元を一人の男が訪ねてきた。
戦地から戻ってきてすぐに峰子さんの家に寄った、そんな感じのいでたちの男は突然の
来客に戸惑う峰子さん夫婦を見るや、玄関先で二人を前にして土下座をした。
そして、その男が晃男で、二人はこの時、初めて晃男と会った。


『…息子さんを止められなかった』


土下座を止めさせようとする峰子さん夫婦に晃男はその一言を言って何度も頭を下げた。
峰子さんの息子さんは自殺をした。
心の優しい息子さんは敵とはいえ、人を殺すことに耐え切れなくなった。
それが自殺の原因らしい。

『…これが遺書です』

そう言って晃男から渡された息子さんの手紙には戦争とはいえ人を殺さなければいけない
ことへの苦渋がしたためられていた。

『許して下さい。僕はもう耐えられません』

それが最後の一行だった。
人を殺すなら自分が。
息子さんの死は峰子さん夫婦にとって悲しく辛いことだったが最後まで優しさに溢れていた
息子さんの選択に二人はどうにか自分達を納得させた。

「人によっては辛いことからただ逃げただけだと言うかもしれないけど私は息子を誇りに
 思うわ。人を殺しても平気でいれるような教育を私達が息子にしなかったのだから」

峰子さんは遠くを見詰めるような瞳で少し悲しそうに微笑んでそう言った。



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息子さんの手紙を峰子さん夫婦に渡し終えた晃男は安堵の笑顔を浮かべると

『それでは失礼します』

と言って玄関の扉を開け、峰子さん達の元から去ろうとした。

「…多分、晃男さんに息子を重ねたのね」

二度と家に戻ることはない息子さんの遺書を真っ直ぐ届けに来てくれた晃男に峰子さん夫婦は
心から感謝し、去ろうとする晃男を引き止めた。
晃男に晃男の帰りを待つ家族がいないことは息子さんからの手紙で知っていた。
と峰子さんは言った。

『ご迷惑がかかりますから』

と断るを晃男を二人は

息子さんの供養の為にもと
引き止めた。

「主人も私もその時すでに心は決まってたの」

息子さんを亡くした峰子さん夫婦と両親のいない晃男。
大切なものを失ったもの同士、仲良くやっていけないだろうかと。

子供を失った峰子さん夫婦と両親を亡くしていた晃男。
まるで失くしたものを補い合うような生活は順調だった。

「私達と暮らすようになって暫くしてからかしら…」

戦争で同じ部隊にいた男のつてで晃男は仕事を貰ってくるようになったと峰子さんは言った。

「何の仕事かは教えて貰えなかったわ」

峰子さんは少し寂しそうに笑った。

「晃男さんはいつも優しかった…」

一緒に暮らし始めて月日が経ってもどこか晃男には影が付き纏っていたと峰子さんは言った。
どんどん羽振りが良くなる晃男に峰子さんは不安を感じていた。
何をしているのか。
大丈夫なのか。
晃男が心配で問う峰子さんに晃男は笑った。

「お二人には楽をして頂きたいんです。私の第二の両親ですから」

優しい笑顔で言う晃男に峰子さんはそれ以上何も言えなかった。

売りに出ていた屋敷を買って、家具を揃えて。
晃男の良くない噂を耳にしだしたのも屋敷に移った辺りからだと峰子さんは言った。

『血も涙も無い金の亡者』

世間で晃男はそう噂されていた。

「…晃男さんの中に何かがあるの。私達にも隠してる重い何かが…」

峰子さんはそう言うと寂しそうに笑った。

「酷い言い方だとはいえ、あんなに感情を出してる晃男さんを見たのは
 初めてよ」

峰子さんは優しい笑顔で僕の手を優しく握った。

「晃男さんを嫌いにならないでね。お願い…」

まるで母親が自分の子供のお願いをするような眼差しに僕は首を縦に振るしかなかった。




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