… 愛の大嵐 … 3










この屋敷で自分が何が出来るのか分からなくて問うた僕に峰子さんは

『じゃあ、私と一緒にお食事を作りましょう』

と、言ってキッチンに僕を連れて行ってくれた。

「晃男さんはお肉が好きなのよ」

峰子さんと一緒に僕は豆腐を切り、白菜も切った。
包丁を握るのも料理をするのも初めての僕に峰子さんは優しくすき焼きの作り方を
教えてくれた。

「香月さんは筋がいいわ。手先が器用なのね」

あきらかに危なっかしい手つきなのに峰子さんは僕を褒めてくれた。
二人で穏やかに笑い合い、時に小さく驚く。
峰子さんとの時間は僕の心に温もりをくれた。
峰子さんと過ごす時間はまるで亡くなった母と過ごしている様で。
久し振りに味わう母親の優しさに僕は心から微笑んだ。



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前日の帰宅時間よりも一時間早く、晃男は帰ってきた。
前日と同じように颯爽とした足取りで屋敷の扉から入ってくる晃男に僕は隣に峰子さんが
いることも忘れ、見惚れていた。
明らかに晃男は僕が持っていないものを全て備えていた。
高い身長にスーツの上からでも分かる逞しい身体。
そして…
まるで野生動物のような鋭い眼差しにどこか退廃的な匂い。
それらは決して、僕が晃男と同じ年齢になっても醸し出せないものだろう。
まるで、金縛りにあったように身動き出来なくなっている僕の前に晃男は歩み寄ると僕の
前に左手に持っていた鞄を差し出した。
そして、僕は条件反射のようにそれを受け取った。

「ただ今、戻りました」

受け取った鞄を胸に抱え、僕は晃男を見上げた。

「…おかえりなさい」

しかし、晃男と目があった瞬間、僕は昨晩のことを思い出し、すぐに目を伏せた。
心臓は自分の意思に反して脈打ち始める。
早く、この場から逃げ出したい。
そんな思いのまま、僕は晃男の鞄を抱え、立ち尽くしていた。



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晃男の鞄を持ったまま、部屋に向かう晃男の三歩ほど後ろを歩き、辿り着いた部屋に入る。
先に部屋に入った晃男はクローゼットの前に立ち、その扉を開けた。

「ジャケットを」

振り返って僕に言う晃男に僕は慌てて、鞄を机に置き、晃男の側に寄り、晃男の脱いだ
ジャケットをハンガーにかけた。
そんな僕の目の前で晃男はワイシャツをも脱ぎ捨てる。
自分の目の前に現れた晃男の逞しい裸の胸に僕は目を逸らした。
直視することは出来なかった。

「何故、目を逸らすのですか?」

その言葉の次に晃男は僕の顎を掴み、僕の顔を上げさせた。

「…別に……」

直視なんて出来るはずがない。
昨晩、自分が抱かれ、縋りついた逞しい身体を。

「昨日、あれほど見たのに。一晩では慣れませんか?」

晃男の口元に酷薄な笑みが浮かぶ。

「…離して下さい…」

自分の顎を掴む手を何とか離そうと僕は晃男の手を掴んだ。
しかし、その手の力は強くて…
僕は晃男の手を剥がすことが出来なった。
掴まれた顎は離されるどころか引き寄せられていく。
僕の意思に反して。
晃男はそのまま、僕の唇を自分の唇で塞いだ。



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「やめて下さい…」

まるで体の痺れるような口付けをされた後、僕は晃男によってベッドに運ばれていた。
僕の上に圧し掛かる晃男の体を押しのけることなど出来ないと分かっていながらも僕は
晃男の体を手で押し返した。
しかし、僕が予想した通り、晃男の体はびくともしなかった。
それどころか、晃男の手は僕のシャツの下に潜り込み、僕の肌を撫でまわし始めた。

「やめて…」

下には峰子さん達がいる。
晃男に抱かれたすぐ後に峰子さんの顔を見るなんて出来ない。
そんな思いから必死で抵抗をする僕を晃男は見下ろし、冷たく笑った。

「貴方はまだ、自分の立場を分かってないようだ」

冷たい笑いを形作った唇が僕の喉元に移動する。
そして、ボタンが外れ、露になった素肌を辿っていく。
ざらついた舌の感触に僕の中の何かが狂ってゆく。

「…ん…ぁ…っ…」

あれほど、嫌だとそう思っていたのに…
胸の粒に晃男の歯が軽く立てられた時、僕は昨晩と同じ、自分の耳を疑うような声を
洩らしていた。

「あ…っ…やっ…」

昨晩、晃男に抱かれた時よりも身体はあきらかに敏感になっていた。
晃男に触れられたところから僕の身体に小さな嵐が宿る。
自分の身体に埋め込まれた晃男の動きに僕は声を洩らし、喉を反らせ、晃男の背中に
爪を立てた。



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声を洩らしたのも爪を立てたのも痛みからだけではなかった。
あきらかに僕の身体は昨日とは違っていた。

怖い

怖い

怖いのに…

何かが僕の身体の奥で燻って…

その乾いた炎は自分ではどうすることも出来なくて
僕は夢中で晃男に縋った。

「あっ…あぁ…っ…どうし…っな…にっ…?」

途切れ途切れに言葉を吐く僕を晃男は怖いくらいの眼差しで見ている。

「よほど身体の方が従順だ…」

耳元で囁いた晃男の手が僕自身に触れる。

「分かりますか?ほら、貴方はこんなにも感じてる…」

それは屈辱の言葉なのに。
僕は僕自身に触れたまま、何もしない晃男に焦れて自ら晃男の手に浅ましい欲望を
擦りつけていた。



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晃男との秘め事は僕の日常になった。
さすがに連日になることはないけれど、夜遅くに帰って来た晃男が僕の肌をまさぐる感覚に
目を覚ましたのは一度や二度じゃない。
そして、そんな時には決まって晃男からは女性物の香水の香りがした。

男が同じ男を抱いて楽しいはずはない。
晃男が僕を抱くのは父に対する復讐心から男としての最高の屈辱を僕に与えたいだけで、
きっと、こんな細いだけの僕の体なんて抱いても楽しくない晃男は外で女性を抱いて憂さを
晴らしてくるのかもしれない。

僕は晃男の憂さ晴らしにすらならない。

それは分かりきったことで事実なのに。
何故か、心がしくしくと痛んだ。

憎まれてるのは最初から分かっていた。
だから、せめて軽蔑はされたくない。
そう思うのにすっかり晃男との行為に慣れた体は晃男との行為を快感だと記憶してしまっていて、
僕の心を簡単に裏切った。


『いやらしい人だ』

『街の娼婦の方が貴方より貞淑だ』


侮蔑の言葉さえも腰を打ち付けながら囁かれると快感を深める種にしかならなかった。


“欲しい”

“挿れて”


焦らされて、焦らされて。

体の奥の深い、深い場所にある衝動を晃男に満たしてもらう為にプライドも羞恥心も捨てて
晃男に唆されるまま口にし、時には晃男が触れてくれない自分の分身に自らの指を絡め、
晃男の視線を感じながらあられもない声を洩らし、欲望だけを貪欲に追う。
軽蔑だけはされたくないという願いも虚しく、晃男に抱かれる度に僕は浅ましくなっていった。

それは、いつものように晃男に抱かれた後だった。
息の整わない体でベットに沈んでいる僕の横で晃男は裸の体を起こし、煙草を吸っていた。
開け放たれたテラスに続く窓からは月明かりが部屋に入り込んでいて、その月明かりに
照らし出された無駄な筋肉のない晃男の体の美しさに僕は見惚れていた。
その僕の視線に気付いたのか晃男がテラスの向こうに向けていた顔を僕に向ける。
突然のことに戸惑った僕は目を逸らしてしまった。

「明日、夜会があります。貴方にも私と一緒に出てもらいます」

「夜会…」

屋敷にいた頃の楽しかった思い出がその言葉で蘇ってきた僕は晃男の突然の誘いに
思わず体を起こしていた。

「……あ…」

そして、急に動いた為に漏れ出た晃男の証に小さな声を洩らしてしまった。

「どうかしましたか?」

「…いえ…何でもありません…」

僕の状態に気付いていないはずはない晃男のからかうように問う言葉に僕は俯くしかなかった。

「何か、お体に不具合でも?」

からかいの笑みを含んだ声が近くで聞こえることで晃男の顔が近づいてきたことが分かる。

「…いえ…何でも…」

泣きそうな気持ちで僕は声を出す。
しかし、僕の何でもないという言葉を無視し、晃男は手をシーツの中に滑り込ませてきた。

「何でもないはずはないでしょう?こんなになってるのに。これなら、
 すぐに私を受け入れられそうだ」

まるで猫に嬲られてるネズミのようだと思う。
どれだけの月日を一緒に過ごしたところで晃男と僕の関係は変わらないかもしれない。

関係が変わらない。

晃男にとって僕は永遠に憎悪の対象でしかない。
その現実は僕を打ちのめす。

体は繋がるのに心は繋がらない。

晃男と一緒のベッドで眠るようになってから僕は何度もうなされ目を覚ます晃男を見た。
許してくれと叫びながら目を覚ます晃男を見た。

罪は罪を犯さなければならない状況に陥った時に犯したものでも神様は許して下さらないの
だろうか。

うなされ、目を覚まし僕に縋る晃男を抱き締め、背中を撫でる。
しかし、正気に戻った晃男は僕をはねつける。
そんな夜を何度も過ごし、月日だけが過ぎていくなか、僕の心は確実に変化していった。
晃男を守りたい。
例え、憎まれていても。

「貴方のお仲間方はさぞ、驚くでしょうね。私みたいな下賎の者が貴方を
 連れて歩いたら」

皮肉な笑みを浮かべ晃男が僕の上で笑う。
僕の中に残っていた晃男の証が晃男の侵入を簡単に許す。
晃男に拓かれた僕の体は確実に晃男だけのものになっていた。



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『私の財力で飾られたあなたをお仲間達はなんと思うでしょうね』

皮肉めいた調子の言葉とともに晃男から与えられたのは僕の体にぴったりと合う夜会用の
タキシードだった。
布の上質さは手触りですぐに分かった。

「まぁ…綺麗…」

僕の正装姿に峰子さんはにっこりと微笑んでくれる。

「良家のお嬢様方でさえ、香月さんには敵わないわ!」

峰子さんの大袈裟な褒め言葉に僕は照れ臭くて、どう返事を返していいか困ってしまった。

「早く!晃男さんが下で待ってるわ」

峰子さんに背中を押され、部屋から出た僕は1階に降りる階段から1階を見下ろした。
階段の下には晃男が立って、僕を見上げている。
晃男を待たせてはいけないと少し急いで階段を降りた僕に晃男の視線が向けられる。
その晃男の足元から這い上がってくる視線は、あからさまで…
服を身につけているというのに僕は裸にされてるような感覚に陥って俯いた。

「さすがに名門家のご子息だけはありますね。そんな格好をしていると
 私に組み敷かれながらあられもない言葉を口にする貴方とは思えない」

すっと晃男の顔が僕の顔に近付いてきたかと思った瞬間、耳元でそっと囁かれる。
その晃男の言葉に僕は羞恥から頬が熱くなるのを止められなかった。



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夜会に向かう車の中で、晃男はずっと黙り込んでいた。
狭い車ではないのに、密閉された空間に晃男と向かい合って座っている現実に僕は
息苦しさを感じていた。
晃男の視線や指先の動き一つ一つに胸が苦しくて…
早く夜会が開かれる屋敷に着くことを願った。

「そんなに私が怖いですか?」

緊張している僕の様子に晃男が唇の端だけ上げた笑いを浮かべる。

「……いいえ…」

短く答えて俯いた僕を晃男は軽く笑うと僕の隣に体を移してきた。
僕の隣にぐっと近付いてきた晃男の体温を体で感じる。
晃男が着けているコロンの香りに胸が苦しくなって、反射的に離れようとした僕の体は、
だけど、腰に回った晃男の手のせいで、晃男から離れることは出来なかった。
離れるどころか腰に回った手は、僕の体を晃男の体の方に引き寄せる。
密着した体から伝わる晃男の体温に息苦しくなった僕は俯いたまま、唇を噛み締めた。

「息苦しそうですね。少し、首元を緩めた方がいい」

酷薄そうな声で晃男が囁き、僕の首元のネクタイを緩める。
ネクタイを緩めた指はそのまま僕の顎の線を辿り、辿り終わると顎を掬い上げ、僕の顔を
上に向かせた。
至近距離で目が合い、心臓が速くなる。
全てを持っていかれそうな晃男の目が怖くて、もう一度、俯きかけた僕は一瞬の間もなく、
晃男の唇で唇を塞がれた。
抵抗する気力もなくなるほど、激しく求められる。

「…ん…っ…」

初めて晃男に抱かれた日からキスは何度したか分からない。
そんな数え切れないほどのキスは僕に次に来る快感を予感させる。
こんな所で、とブレーキをかけようとすればするほど、晃男は容赦ないキスを仕掛けてくる。
散々、貪られて。
体の奥が熱を持ち始めようとした矢先、晃男の唇は離れた。

「今宵の夜会で他の男に色目を使って助けを求めても無駄ですよ。貴方の体は
 もう私でなければ満足出来ないようになっているのですから」

僕の口から離れた晃男の唇が僕の耳元で囁く。

「そんな…」

助けを求めるなんて考えたこともなかった僕は、晃男の言葉に驚いた。
たしかに今の生活が辛くないわけではない。
だけど、晃男の元にいると決めた以上、全てを放り出して逃げるなんてことはしない決意は
していた。
なのに。
晃男は僕が中途半端に全てを放り出して逃げるのではないかと疑っている。
いや、そういう人間だと思っている。
それは、無理に体を拓かれた時より辛いことで。
僕は車の中で、涙をぐっと堪えた。




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