… 無に還るとき … 1






彼、宮本英二(みやもとえいじ)に会うのは4年振りだった。
会うといっても雑誌の取材なのだからプライベートな話しはゆっくり出来ないだろう。
しかし、仕事でもプライベートでもどちらでも構わない。
俺は純粋に昔、一緒に暴れまわった知人に会えることを楽しみにしていた。

『flexible』しなやかという意味を持つその雑誌は30代前半からの
男性のライフスタイルとビジネススタイルを提案するというコンセプトで創られた。
創刊から地道ながらも着実に売上を伸ばしている。
俺は創刊当時からのメンバーで『flexible』は今年で創刊1周年を迎える。
その創刊1周年記念として持ち上がった『現代(いま)をしなやかに生きる男達』
という企画に俺は真っ先に友人でありフォトグラファーの宮本英二の名前を挙げた。

「宮本を取材したい」

そう言った俺に編集長は快くOKをくれた。
宮本英二はまさに現代を代表するに相応しい。
しなやかな男だ。
そんな彼は5年前から東京を離れ長野に住んでいる。
最後に会ったのは4年前だ。
俺が最後に会った宮本はとても穏やかな笑顔をしていた。



























都内のホテルの一室で行われる取材の待ち合わせ場所であるホテルロビーに宮本は
待ち合わせ時間ちょうどに現れた。

「久し振りだな」

愛用のスニーカーに履き古されたジーンズ。
綿のTシャツ。
短め目の髪に無精髭。
目尻の笑い皺に歳月は感じるもののまるで悪戯坊主がそのまま大人になった、
そんな瞳を細め宮本はそう言った。

「本当に久し振りだな」

お互い久し振りと言い合いながらも心の中は違う。
そんなことは宮本の目を見れば分かる。
まるで昨夜、一緒に飲んでいたかのような会わなかった年月を感じさせない親しみの
こもった目。
何年会わなくてもきっと俺達は再会すればお互いにこの目をするのだろう。
相変わらずの宮本。
しかし、その瞳には以前には感じられ無かった穏やかさがあった。
守ることと守られることを知った瞳。
その瞳の穏やかさに俺は昔、自分が失ったものを思い出した。





















取材の準備が整った部屋で俺は応接セットのテーブルを挟み宮本と向かい合った。
宮本は寛いだ様子で応接セットのイスに座りペリエを口に含んだ後、煙草に火を
点けた。

「そろそろ、始めさせてもらっていいかな?」

「俺は構わないよ」

テーブルの上にある煙草の箱は俺の記憶の中には無いものだった。

「煙草変えたのか?」

「あぁ」

バツが悪そうに微笑う。

「やめるまでの根性は無かったんでね」

宮本の視線の先には奴の好きだったショートホープの代わりにケントの1mgがある。

「まだ、死ねない。生きることに意地汚くなったんだ」

「…そうか」

昔は生き急いでいるような男だった。
まるで何かにとりつかれたみたいに仕事をし仕事のない日は飲んでるか誰かを
抱いてるか。
落ち着くということを否定するかのように、いや、落ち着くということに
脅えているかのように。

そんな、生き方をしている男だった。





「いつもは撮る方だからな。なんか、居心地悪いな」

カメラを構える若いカメラマンを見、苦笑する。

「モデルでも通用するイイ男が何を言ってる。安心しろうちのフォトグラファーは
 プロだ。イイ男に写してくれるさ」

「スカウトが来ると困るから適当でいいよ」

俺達のやり取りに場が和む。
プロといっても自分より上の位置にいるフォトグラファーをフォトグラファーが撮る。
プレッシャーがない筈が無い。
宮本の言葉は若いフォトグラファーを気遣ってのことだろう。
俺がどう返してくるかも計算に入れた若いフォトグラファーのプレッシャーを
軽くする為の周りには分からない宮本の気遣い。
それも昔のコイツには有り得なかったことだ。

「じゃあ、始めよう。まずは写真集の成功おめでとう」

「ありがとう」

「順調な売れ行きだな。増版が追いつかないって噂だ」

「初版は5千だったからな。まさかここまでウケるとは思わなかったんでね」

「俺の知る限りじゃ軽く12万はいってる。俺も1冊買ったよ。なんていうか、
 人間の小ささを感じたよ。タイトルの『無に還るとき』もぴったりだった。
 どうして、あのタイトルに?」

俺の質問に宮本が足を組み変え微笑う。

「死んだら人間は地球に還る。無に還る。そのままだよ」

「でも、肉体は滅びても魂は生き続けると信じている人もいる」

「そう信じてる人を否定する気はないよ。だが、俺は魂が生き続けるなんて
 ことは信じてない。人間だって所詮は地球の造りだした生態系に組み込ま
 れてるに過ぎない。俺はそう思ってる」

淡々と語る。
決してその口調は熱くはない。

「地球の生態系に組み込まれてるか。じゃあ、ネイチャーフォトグラファーと
 して現実の環境破壊をどう思う?」

この取材に筋書きはない。

「聞きたいことを聞きたいように聞け」

それが唯一、編集長から出た宮本の取材への注文だった。

「俺は環境保護には興味ないね。動物の絶滅にも興味はない。滅んでゆく
 ものは滅んでいくだけだ。人間だってその例にもれない」

「お前らしいな」

「緑が溢れてる地球を美しいと思うのは人間だ。それは人間だけの価値観で
 地球の最も美しい姿は砂漠かもしれない」

「じゃあ何故、お前は森を撮るんだ?」

「ただ、撮りたいからさ。何時だって答えはシンプルだ。この自然の美しさを
 フィルムに残しておきたいからなんて傲慢だと思わないか?自分が撮りたい
 から撮る。それだけだよ」

子供のような瞳で微笑う。

「傲慢か…」

「芸術はマスターベーションに似てると思わないか?」

いつの間にか取材している俺の方が問われている。
昔からそうだった。
気が付くと宮本のペースに巻き込まれている。
周りの人間を知らない内に自分のペースに巻き込む、宮本はそんな男だった。
そんな宮本を自分のペースに巻き込んだ人間は俺の知ってる限りでは一人しかいない。
そう、俺の知っている限りでは彼だけだ。






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