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layla … 9






「お待たせ致しました」

スッと自分の目の前に差し出されたグラスの中の夕焼けに直は目を細めている。

「…夕焼けみたい」

どうやら直は知らないらしい。
シンガポールスリングがどういうカクテルなのか。

「シンガポールスリングは夕焼けをモチーフにして作られたカクテルだからな」

「そうなの?」

俺に向けられた瞳は穏やかなライトの光を受けて綺麗に輝いている。

「あぁ」

だから、それを選んだ。
初めて二人で夕日を見たこととお酒を飲めるようになった記念に

「乾杯しよう。直」

「うん」

コロナの瓶とグラスを軽く合わせる。
チンとガラス同士がぶつかる音がする。

あの日、初めて直と会った日、直とこうして酒を飲める日が来るとは思わなかった。
直と出会ってから五年が経った。
長いようで短かかった五年は俺と直の関係を変えた。
佐藤に甘えながらも直の瞳は時折、俺に向けられている。



―憧れと恋は違うのにね―



そう、憧れと恋は違う。
そんな幼さ故の勘違いに俺のレイラはいつ、気付いてくれるのだろうか。




































「大丈夫か?」

「…うん」

アルコール度数が低いことに油断していた。
助手席の直の弱々しい返事に苦笑する。
こんなにアルコールに弱いとは。
これじゃ、おちおち、飲みにも行かせられないと思いながら瞳を閉じ、助手席の
シートに沈み込んでいる直にシートベルトを掛けてやる為に近付く。
直に覆い被さる形でシートベルトを掴みそれを引こうとした俺の目に映ったのは
シャツの隙間から覗く桜色に染まった細い鎖骨だった。


まるで何かに取り付かれたのようにそこから視線を外せない。


それは一番近くに在るのに一番触れられない―


「…どうしたの?」

舌足らずな口調で問掛ける直の声に俺は我に返った。

「…何でもないよ」

まだ、そこに止まろうとする視線を引き剥がし直のシートベルトをはめる。
運転席に戻ろうとした俺を止めたのはゆっくりと開かれた瞳だった。

「…恭介の…」

「うん?」

「…恭介の匂いがする…」

きっと俺のつけているアルマーニの香水のことだろう。
アルマーニは昔から気に入ってつけている。

「…ねぇ…バラの代わりにそれちょうだい」

どうやら、成人式のプレゼントを強請っているらしい。

「まだ、お前には早いよ」

そう、直にはまだこの香りは早い。

「…それが欲しい」

「香水が欲しいなら今度、二人で買いに行こう」

「嫌だ、それがいい」

俺の示した妥協案を受け入れる気は無いらしい。

「えらく、気に入ったんだな。滅多にこんなものつけないくせに」

運転席に体を戻し、シートにもたれ苦笑しながら煙草に火を点ける。
どうせいつもの我が侭だと思っていた。

そう思っていたのに…


「…恭介がずっと側にいるみたいだから…」

直の言葉に俺は言葉を失い直を見詰めた。

「…だから、それが欲しい」

アルコールのせいだろう。
普段の直なら言わないだろう素直な言葉は無意識に囁かれる口説き文句に
他ならない。
そして、それは俺が今まで経験してきた中で一番甘美な誘惑だった。

「…分かったよ。今度、一緒に買いに行こう」

「恭介の使ってるやつがいい。今日、欲しい」

車の時計に目をやる。
時間は夜の十一時。

「今日はもう遅い、だから今度でいいだろう?」

宥めるように言い、シフトに手を乗せる。
シフトを動かそうとした手は服の袖を掴んだ直の手で止められた。

「…恭介のマンションに行きたい。連れてって…」


酔いのせいで少し濡れた瞳。

紅い唇から漏れる誘う台詞。

直の仕掛けた無邪気な罠に捕われて逃げられない―

罠にはまった俺の運命は全て直の手の中だ。


直の考えひとつで俺は天国にも地獄にも行ける。






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