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layla … 3






「…そんな事、出来る訳無いだろう」

「なんで出来ないの」

溜め息混じりに言い俺は直を見詰めた。

「友人の恋人を奪う趣味は無い。それに橋本さんはいい子だよ」

「そんなの関係無い。奪ってよっ」

「…直、彼女と佐藤を別れさせたところで佐藤がお前を好きになるとは限らない。
 人の心を自由になんて出来ないんだよ」

そう、人の心を自分の自由になんて出来ない。


「…ごめんなさい…やっぱり、あの人を愛してるの…」


何故か俺は彼女の最後の言葉を思い出していた。
彼女は夫を愛していると言った。だから夫とは別れられないと…
そして、夫のもとに帰って行った。


「奪って」

唇を噛み締め直は俺を睨み付けている。

「…人に自分の恋人を奪られるのがどんな気持か考えてみろ」

言い聞かせるように言いテーブルの上の煙草に手を伸ばそうとした俺の目の前で
コーヒーカップが直の手で払い落とされた。

ガチャンという陶器の壊れる音が俺の鼓膜に響く。

「恭介に俺の気持なんか分からない!」

床には割れたカップの破片と残っていたコーヒーが散らばっている。
割れたコーヒーカップは彼女が選んで買ってきた物だった。


「…綺麗だったから。つい、買ってしまって」


捨てようと思っていた。
のに…
壊れたカップを見た途端、俺の中で何かが壊れた。

「…いい加減にしろ!じゃあ、お前には俺の気持ちが分かるのか!人に自分の
 好きな女を奪られた気持ちが分かるのか!」

俺は何も考えず怒鳴っていた。


直は何も関係無い。

これは俺の問題だ。

それに奪られたという表現はおかしい。
彼女は戻るべき処に戻っただけだ。
頭では分かっているのに…
なのに…
俺は自分を止められなかった。

「どれだけ惨めか分かるか?好きなのに別れなきゃいけない気持ちが!」

一人っ子で可愛いがられて育った直は余り怒られたことが無いと言っていた。
突然の俺の怒鳴り声に直の体はビクッと反応し俺を睨み付けていた瞳は驚きに
見開かれている。
そんな直の怯えた表情に俺は正気に戻った。


何をやってるんだ俺は…

十三も年下の子供相手に。
それに直だって好きな佐藤を奪られた。
これは八つ当たりだ。

「…大きな声を出して悪かった…」

直は何も悪くない。

望んだことは間違っているかもしれないが只、佐藤を好きなだけだ。
好きな佐藤を奪られたくないだけだ。
直の言う通り俺に直の気持は分からない。
自分の気持に素直に奪られたくないと叫んでいる真っ直ぐな直の気持は分からない。
何故なら俺は自分の気持に嘘をついて笑顔で彼女を見送ったのだから。

「…どうかしてた…お前を怒鳴るなんて。悪かった」

自分の情けなさに嫌気がさした俺は冷蔵庫からバーボンを取り出し近くにあった
グラスに注ぐと一気に飲み干した。

「…恭介?」

心配気に俺の名を呼ぶ直の横を通り過ぎソファーに移動する。
罪悪感から直の顔は見れなかった。

「…今日は帰ってくれないか」

目を合わせないままそれだけを言いグラスにバーボンを注ぐ。

「…恭介、好きな人奪られたの…?」

奪られた?
否、それは違う。
夫婦の仲に割込んだのは俺だ。
彼女は世話になった上司の妻だった。
随分、可愛がってくれた。
そんな上司を俺は裏切っていた。
そんな彼女との関係に罪悪感が無かった訳じゃない。

でも…

彼女が好きだった。

彼女が俺を選んでくれるのなら全てを捨ててもいいと思っていた。
会社も友人も信用も全てを失ってもいいと思っていた。

彼女が側に居てくれるのなら―






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