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layla … 4






俺はソファーに座って膝に肘を乗せ組んだ自分の手を見詰めた。


「…ごめんなさい」


謝ってなんて欲しくなかった。
俺が欲しかったのは…
俺が本当に欲しかったのは―彼女との未来だけだ。
組んだ手に落ちた一粒の透明な雫が涙だと気付くまでに数秒かかった。
俺は泣いていた。

「…恭介?」

「…頼む…帰ってくれ…」

俺に近付こうとする直を言葉で止める。
これ以上惨めな姿を見られたくなかった。
物心ついてから人前で泣いたことなどなかった。

「…独りにしてくれ…」

直が帰るだろうと思い俺は頭を抱えた。
もう帰るだろうと思った。

だが、次の瞬間、俺は直に抱き締められていた。

「…」


直の腕の中は暖かかった。


何度も何度も背中を撫でられる。
まるで幼い子供を宥めるように…


「…大丈夫だよ」


何が大丈夫なのだろう…


すぐに忘れられるから…?
他に好きな人が出来るから…?



大丈夫だよ。



しかし、そんな何の根拠も裏付けもない直の言葉が俺の心を救った。

「…大丈夫だよ」

「…好きだったんだ…」

「…うん」

「…本気だった」

「うん」

短い直の返事が直の胸から振動となって俺の頬に伝わる。
もう、泣いていることを隠そうとも思わなかった。
流れる涙を止めようとも思わなかった。


直の胸は暖かかった。


だから俺は直の胸に顔を埋めたまま泣き続けた。
そして、直はそんな俺をずっと抱き締めていてくれた。





そんなことがあったのに直の俺に対する態度は変わることはなかった。
まるで何事もなかったかのように今までのように接してくる。
子供ながらにもあの夜の出来事は触れてはいけないことだと思ったのだろう。

「なんで、あんな人がいいんだろう」

「別れればいいのに」

相変わらず俺に会う度に二人のことは愚痴ったがその口調にあの日のような激しさは
無かった。
直は少しずつだが二人のことを受け入れ始めていた。
そして、佐藤の結婚式の日、俺の心配はただの気苦労で終わった。
式の間中、堅い表情をしてはいたものの直は冷静だった。


事実は捻じ曲げられない。
逃げることも出来ない。
だからといって無理に立ち向かう必要も無い。
ただ、静かに受け入れる。

しかし、受け入れるには時間がかかる。
でも…
一つの小さなきっかけでその時間は短縮出来ることもある。
俺にとってはあの夜の出来事がその小さなきっかけになった。

彼女は俺の中で想い出になっていた。
切なくて綺麗な大切な想い出に。

そして、それは直のお陰だ。
直の佐藤に対する想いもいつかは想い出になるだろう。





結婚式に来ていた会社の連中と一緒に二次会の場所に移動しようとしていた俺は直に
呼び止められた。
一緒に帰って欲しいと言う直の言葉に二次会が気にはなったが直の方が心配だった俺は
直の両親に許可を得、直と一緒に披露宴の会場をあとにした。



「疲れただろう。佐藤の家でいいか?」

走り出した車の中で助手席の直に話し掛ける。
披露宴にいた時より直の表情は少しだけ柔らかくなっていた。

「…帰りたくない」

窓ガラスの向こうの景色を眺めたまま直は呟いた。

「…どっかに連れてって」

いつもの我が侭にいつもの元気は無かった。

「分かったよ」

俺は短く応えると車線を変更し佐藤の家に向けて走らせていた車を高速に乗せた。



久し振りに訪れたそこは何も変わってはいなかった。
辺りはすっかり暗くなって海の向こう岸に灯っている街の光がイルミネーションの
ように輝いている。
埠頭の一番好きだった場所に車を停め俺は煙草に火を点けた。






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