… 最後の恋 … 2






久し振りに何てことは無い穏やかな時間を過ごした俺達は今、『カザルス』を後にし、
タクシーを拾う為に大通りに向けて歩いている。


冬の夜の寒さは決して嫌いなものでは無い。
むしろ、程良くアルコールの回った体にはこの寒さが心地好い。
そんなことを思いながら、佐藤と肩を並べ二人で歩き続ける。
もう少しで大通りに出るという手前のところで佐藤は不意に立ち止まった。

「お前、今日、俺に殴られる覚悟で来たって言ってたよな」

「あぁ」

「…もし、俺が殴ってたらお前、どうしてた?」

佐藤の質問に俺は苦笑しながら佐藤を真っ直ぐ見据えた。

「…殴り返してたさ」

俺の返事に佐藤は驚いた表情を浮かべている。

「おいおい、そりゃ無いだろ」

冗談じゃないといった口調に微笑んでやる。

「俺にはその権利がある。なんたってお前はずっと直を独り占めしてたんだからな。
 殴り返してもバチは当たらないだろう?」

微笑み続ける俺に佐藤は吹き出した。

「全く、お前には敵わないよ」

「自分でも驚いてるよ。どうやら、俺は直に関しては相当、嫉妬深いらしい」

「イイ歳をしたイイ男がザマァないな」

小馬鹿にしたような台詞なのに佐藤の目はひどく優しかった。

「…本当にザマァないな、情けないくらい、はまってるよ」


そう、情けないくらいはまっている。


幼さ故の勘違いの過去の恋に嫉妬するくらい、俺は直に夢中だ。


「…ずっと、子供だと思っていたのにな。お前への想いを話している時の直は
 いっぱしの男の顔をしていたよ、…直はいつ、大人になったんだろうな」

夜空を見上げ佐藤は独り言のように呟いた。


























大通りに出、タクシーを捕まえる。
俺は捕まえたタクシーを佐藤に譲った。
開いたタクシーのドアから後部座席に佐藤が乗り込む。
佐藤はタクシーの運転手に行き先を告げると車の中から俺を見上げた。

「…直を頼むよ、あいつは我が侭で意地っ張りだけどいい子だから」

「あぁ、分かってる」

佐藤の言葉に微笑んで深く頷く。


分かってる。
直の良いところも悪いところも全て、直を形作る全ての要素を愛してる。


「…俺にとって直は最後の恋だから」


そう、言い切れる。
これは俺の最後の恋だ。


「…最後の恋か。お前にそこまで想われてる直は幸福なんだろうな」

佐藤はそう呟くように言った後、「又、飲もう」という言葉を残し、帰って行った。

























いつものように六階でエレベーターを降り、いつものように一番端の自分の部屋に
向かう。
いつもは暗い筈の部屋に時々、電気が灯っているのは最近のことだ。
灯っている電気の暖かさに独り微笑み、部屋の鍵を開ける。
カチャという音の後、開けた扉の向こうには最愛の恋人が俺を待っていた。

「おかえり」

別段、微笑む訳でも無く、何てことは無い顔をして俺に言葉を掛ける。
しかし、そんな何てことは無い顔をした直を見た途端、俺の胸には幸福が
込み上げてきた。



―お前がいれば何も要らないそうだ―



そんな感情のままに玄関先で靴も脱がないまま直を抱き締める。

「な、なに?」

驚いた声を出してはいるが俺の腕を振りほどくつもりは無いらしい。
直は大人しく俺の腕の中に収まっている。

「ただいま」

「…どっか、行ってたの?」

俺の帰りが遅かったことを言っているのだろう。

「あぁ、少し飲んできた」

「もしかして、酔ってる?」

俺が酔っているからいきなり、こんなことをしてきたと思っているらしい。
しかし、それは当たらずも遠からずというところだ。

「あぁ、酔ってる」

そう、俺は酔ってる。
お前との幸福に。
お前が佐藤に告白した俺への想いに。
それはどんなに美味い高価な酒よりも俺を酔わせる。

「…大丈夫?」

腕の中の直の心配げな問掛けに抱き締める力を少し強める。

「大丈夫じゃない」

少しふざけた口調で返す。

「…酔っ払い」

そんな俺に返ってきたのは呆れたような言葉。
だが、直の腕は俺の背中に回された。

「…直」

「…何?」

「…俺を捨てるなよ」

なんて、ずるいんだろうと自分でも思う。
佐藤に直の為なら直の前から消えると言った舌の根も乾かないうちに俺は直の
良心に漬け込むような懇願の台詞を吐いている。

何処までも卑怯な自分。


「…なんか、あった?」

しかし、そんな卑怯な俺に直は気遣うような言葉を掛けてくれた。

「…何も無いよ、ただ…」

「ただ、なに?」

「…幸福過ぎて怖いんだ」

そう、幸福過ぎて怖い。
この幸福を失うかもしれない来るかどうかも分からない未来を俺は恐れている。
一生ということがどれだけ難しいことか大人の俺は知っている。

「俺はずっとお前の側にいても良いのかな」

直から普通の幸福の可能性を奪って俺の幸福に付き合わせていいのだろうか。
アルコールのせいだろう。
何時になく弱気な言葉を吐く俺から直は体を離すと俺を真っ直ぐ見詰めてきた。

「俺の側から離れたら許さないから。恭介は俺のものなんでしょ?」

目元を少し赤く染め、怒ったように言う。
お前の強さには敵わない。
例え、それが若さ故のものだとしても構わない。
大人故に足踏みをしてしまう俺を導いてくれるのは何時だってその、何の計算も
駆け引きもない真っ直ぐな瞳なのだから。
俺を見詰める直の頬に手を滑らせる。

「…そうだな、俺はお前のものだったな」

「分かったんなら早く、部屋に入って」

照れ隠しで早口に言い、部屋に戻ろうとする直の身体をもう一度、引き寄せ抱き締める。

「…もうっ」

本当に呆れたような声を出し俺を見上げてくる直に微笑む。

「直…」

「なに?」

「大人のキスをしてもいいかな?」

キスという俺の言葉に反応し直の頬は瞬時に桜色に染まった。

「…なんで、いちいち聞くのっ。恭介がしたかったらすればいいだろ」

照れて視線を外した直の顎を人差し指と親指で軽く掴み、上に向かせる。
近付く俺の顔に直の瞳が伏せられる。

付き合い出してひと月、俺は直に触れるだけのキスしかしていない。
情けないことに手に入れた今ですら大切過ぎて手を出せない。



―イイ歳をしたイイ男がザマァないな―



本当に佐藤の言う通りだ。
深いキス、一つするのにも相手の許可を求めるなんて、情けない。
そんな情けない自分を心の中で笑いながら直の唇に触れる。
そして、直を驚かせないようにそっと舌を忍び込ませる。
優しく上顎を愛撫し、丹念に歯列をなぞる。
時間を掛け何度もそれを繰り返し、されるがままの直の舌に触れ、
それを絡め取ると俺の腕を掴む直の手に力が入るのが分かった。

「……んっ…」

無意識に逃げ腰になる直の腰を掴み、引き寄せる。
お互いの身体を密着させた状態で何度も角度を変え、舌を絡ませ吸い上げる。
そんな長い時間では無いのに初めての深いキスに直の身体からは力が抜け、
少し震えている。

初心者なのだから仕方がない。
もう少し、楽しみたい気持ちを抑え、名残惜しさを殺して俺は直の唇を解放した。
今にも崩れ落ちそうな身体を抱き締めて支えてやる。
余程、恥ずかしいのだろう。
俺の胸に顔を埋めたまま直は動こうとしない。
髪の隙間から覗いている耳は真っ赤に色付いていた。






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