… 君を想う時、君に酔いしれる … 前






「オーダーは何になさいますか?」

カザルスに通うようになってから何回聞いたか分からない柔らかい玲の声に
俺は微笑んで答えた。

「ボウモアで」

「畏まりました」

「ボウモアって、お前、ターキーじゃないのか?」

定番以外の物をオーダーする俺に佐藤は不思議そうな視線を向けている。

「最近、好きになったんだ」

「心境の変化か?お前はバーボン一筋かと思ってたよ」

心境の変化と言うところで含み笑いを洩らす顔に苦笑で答える。

「…そうだな」

心境の変化と言えばそうかもしれない。
一回りも年下の恋人に夢中な俺は友人と飲みに来ている時でさえ恋人の存在を
感じようとしている。

クルクルと変わる表情。
嫌いと言って機嫌を損ねているかと思えば次の瞬間には俺の理性を揺さぶる
色香でキスを強請る。

目まぐるしく変わる表情に一時でも目が離せない。


溢れる香りに交互に現れる苦さと甘さ。
その油断出来ない味わいは微かな緊張感と共に溢れるほどの心地良さを俺に
もたらす。
ボウモアは俺にとってまさに直、そのものだった。










シングルモルト好きな人間が必ず通ると言われているボウモアに俺は大して興味は
持っていなかった。
シングルモルトが嫌いな訳では無いがどちらかと言えばバーボンを良く飲んでいた。
そんな俺がボウモアと出会ったのは最近のことだ。
大学の友人との約束で直が出掛けた日、俺は久し振りに一人でフラリとカザルスに
出掛けた。
カウンターに腰掛けた俺にいつものように玲が微笑む。

「今日はこの前いらした可愛い方はご一緒ではないんですか?」

何処までも穏やかな笑顔に俺は微笑み返した。

「友達と約束があるらしくてね。振られたよ」

「坂口さんが振られるなんて珍しいことがあるんですね」

「振られてばかりだよ。2年間片想いだった」

こんなプライベートな話をしたのはきっと直を手に入れた直後で浮かれていた
からだろう。

「少し妬けますね。坂口さんに2年も想われていたなんて」

悪戯な笑顔に気の効いた台詞。
直を手に入れるまで俺がいた世界のルールは今の俺には何の意味も成さない。
意味も成さないどころかあの真っ直ぐな瞳を思い出させるだけだ。

「片想いが実ったお祝いに僕からのプレゼントです」

その言葉の後に差し出されたグラスには赤褐色の液体がライトの光を受けて
輝いていた。

「有難う。お言葉に甘えて頂くよ。ところでこれは?」

「ボウモアです。ダーケストです」

「ボウモア?」

カザルスで一人の時はバーボンしか飲んだことの無い俺は玲の口から出た銘柄を
思わず聞き返していた。

「たまには違った物をと思いまして」

玲は相変わらず微笑んでいる。
たまには違った物か。
それも良いかもしれない。
そんな軽い思いからグラスを口に運ぶ。
口に含んだ瞬間から香りが拡がる。
バーボンとは又、違った心地良さに意識を解放しかけた時、俺の脳裏を何かが
掠めた。

この感覚はなんだろう。

この心地良さは何かに似ている。

思い出せそうなのに思い出せない。
ボウモアを一口飲んだきり黙り込んでしまった俺に玲は微笑んだ。

「僕の想像が当たっていればですがどなたかに似てるとは思いませんか?」

似てるという言葉に反応して頭にすぐさま浮かんだのは直だった。
そういえば。
この一筋縄じゃない奥深さは直に似ている。

苦いくせに甘い。
甘いくせに苦い。
コロコロと変化しては俺を魅了する。
そんな、直を味わっているという不思議な感覚に俺は自然に笑みを洩らしていた。

「…確かに似てる」

「お一人では寂しいでしょうから」

玲はそれだけを言うと新しい客の所に行ってしまった。

「直と離れてても直と一緒か」

粋な玲の計らいに感謝しながら俺はその日、側にいない直を想いながらボウモアと
いう直に酔いしれた。






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