… emergency call … 9






「俺が諦めてやるんだから千裕ちゃんを諦めるなよ」

「千裕ちゃんを泣かしたら許さないからな」


散々、二人で飲んだ帰り道、関口は酔った振りをして何度もそんなことを口にした。

関口がどれ程飲んだかは覚えていないが大抵の量では酔わない関口に明らかにそれは
酔った振りだと分かったがその関口の嘘を暴く気は俺にはなかった。

千裕という存在に二人して夢中になっているからかもしれない。
俺達は妙な親近感で結ばれてしまった。


「どうして、女の子とイイ感じになった時に千裕ちゃんから電話が掛かってくるか
 教えてやろうか?」

悪戯な目をして関口は笑った。

「俺が教えたんだよ」

考えてみれば千裕が電話を掛けて来た時に一緒にいた女の子は全員、合コンで知り合った
女の子ばかりでその合コンには関口もいた。

「…お前なぁ…」

俺は関口の種明かしに深い溜め息を吐いた。

「しまいには呆れると思ったんだけどなぁ」

悪びれた様子も見せず関口は笑って言った。

「ほら、俺って頭脳派だから。こう、傷付いた千裕ちゃんを慰めてって感じで
 計画立ててたんだけどなぁ」

おどけて言う関口を俺は黙って見ていた。

「女にだらしなくて、いい加減でもお前がいいんだとさ…」

まるで自分に言い効かせるようにそう言って関口は苦笑した。

「……」


悪い。
済まない。

どれも違うような気がした。
どれを言っても卑怯な気がした。


「そんな顔すんな。いずれお前だって振られるかもしれないだろうが。だから、 さっさと
 手に入れてこい。いつまでもぼーっとしてると横から誰かにかっさらわれちまうぞ」

俺の頬を軽くペシペシと叩く関口に俺は笑い返した。

「その誰かってのはお前のことか?」

「さぁ、どうだろうなぁ。その可能性も無くはない」

皮肉っぽい笑顔を浮かべ関口は笑う。
その関口の笑顔に俺は精一杯の笑顔を作り、笑い返した。











































週末の最終電車ということもあって電車の中はそれなりに込み合っていた。
その最終電車に一時間ほど揺られて地元の駅で降りた俺は家まで独り歩いた。
駅から家までは十五分ほどだ。

千裕が隣に住む家に一歩近付くごとに千裕への想いが胸を充たしていく。
その想いは好きだとかそんな簡単な言葉じゃ言い表せない。

もっと深くて。
全ての根幹のようで。

失いそうになってそれに気付いた間抜けな自分を俺は心の中で笑った。

千裕と初めて会ったあの日に俺は千裕を守りたいと思うことで自分の生きる意味を
見い出したのかもしれない。









































十五分ほど歩いて着いた家の玄関を俺が開けることはなかった。

家の前で千裕の部屋を見上げて電気がついていることを確かめた俺はそのまま車に
乗り込み車を発進させた。

行く先は決まっていた。
千裕に無理矢理キスをした公園だ。

時刻は深夜の一時近くてこんな時間に千裕を呼び出すのは少し躊躇われたが今日しか
ないような気がした。

これ以上、離れているのは俺が限界だった。

シフトをパーキングにしサイドブレーキを上げた。
まるで自分を勇気づけるように千裕と一緒に何度も聞いたスティングのCDを通話の
邪魔にならない音量でかけた。

携帯を取り出していつものように着信履歴から千裕に電話をかけようとして千裕の
電話番号が一番上にないことに違和感を覚え、独り苦笑した。

こんな些細なところにまで千裕は常に俺の近くにいた。
側にいてくれた。

ごめん、千裕。

近すぎたんだ。

十六年間も当たり前のように一緒にいてくれたから。
お前が側にいるのが当然のことだって思ってたんだ。

携帯を手に持ったまま俺は何故か泣きそうになった。

あれは、あの今までの千裕からの電話は千裕から俺に非常事態を伝える為の電話だった。
自分の存在を思い出してくれ、そして、気付いてくれと。
“死ぬから”というセリフも嘘じゃなかった。
早く気付いてもらわないと俺を好きな自分の心が死んでしまうという意味だった。

自分以外の人間と一緒にいる俺に千裕はどんな思いで電話をかけてきたんだろう。

独りでどんな思いで。

千裕

千裕…

遅くなったけど、やっと気付いたから。

だから。

だから、頼むから、俺を見捨てないでくれ。

かけ慣れた筈の電話に何故か手が震えた。
一回目のコールが鼓膜に伝わる。
電話のコールの音と一緒に自分の心臓の音が鼓膜に響く。
鳴り続けるコールに俺は心の中で祈った。

頼む。

頼む、千裕出てくれ。

声を聞かせてくれ。

祈る俺に十三回目のコールが聞こえる。

目を閉じて深く空気を吸い込むと目の裏に電話に出ることに戸惑っている千裕の姿が
浮かんだ。

電話に出る気がないなら電源を切るか留守電にしてる筈だ。
これだけコールが鳴ってるのに留守電にならないのは電話に出ることを戸惑っているから
だろう。

そう思うと少し心が楽になった。

千裕が電話に出てくれるまで何時間でも待とう。
そう心に決め、携帯を握りしめた時だった。
二十四回目のコールの途中だった。

電話は繋がった。


「…千裕…?」

『…………』


俺の呼び掛けに返事はなかった。

お互い黙ったままで静かに時間が過ぎていく中で俺の耳には俺のかけているCDとは違う
スティングの曲が聞こえてきた。
曲は俺の好きなムーンライトバーボンストリートだった。

独りの時ですら俺の好きな曲を聴いている千裕に胸が苦しくなった。


「…千裕、話がしたいんだ」

『…………』

さっきと変わらず電話の向こうからはスティングの曲しか聞こえてこなかった。

「…今、公園にいる。話がしたい。会いたい」

『…………』

何の反応もない千裕に苛立ちはなかった。
なぜなら、口をきいて貰えないくらい酷いことを俺はずっと千裕にしてきたのだから。

「…お前が来てくれるまで待ってるから。ずっと待ってるから」

これは初めて俺が千裕にかけた非常事態の電話だった。

『………俺、行かない…』

しかし、俺の非常事態の電話に千裕の返事は今まで俺が千裕にしていた返事と同じだった。

「…死ぬぞ」

『………嘘つき』

「嘘じゃない。死ぬから。お前に会えなくなったら生きててもしょうがない」

『……俺、行かない』

「じゃあ、死ぬよ」

俺の言葉に千裕は黙ってしまった。

『………ずるいよ』

沈黙の後の泣きそうな声に俺は希望を見い出した。

「…来てくれなくても待ってるから。ずっと待ってるから」


それだけを言って俺は電話を切った。

千裕の家からこの公園までは歩いて十分もかからない。
千裕の電話での様子からここに来るだろうという予測は出来た。

車のオーディオの音量を上げる。
来てくれる確信はあるのに。
携帯を握り締めた俺の手は何故か少し震えていた。






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