… emergency call … 4






千裕が関口とキスをした。

冗談だろ?というような事実を千裕の口から聞かされたあの夜、俺は家に戻ってから一睡も
出来なかった。

興味本位で歳の近い女の子としてしまった、というなら分かる。
よくある話だ。

しかし…

十歳以上も年上の男が相手っていうのはどうなんだ。
しかも、その相手は確信犯だ。


ダメだ

ダメだ

関口は悪いヤツじゃない。

でも…

いくら考えても俺の頭にはダメだという言葉しか浮かんでこなかった。





































待ち合わせをした関口はいつものように十分ほど遅れて待ち合わせ場所のショットバーに
現れた。

税理士のくせに高級ホストにしか見えない風貌は相変わらずだ。

「久し振り、いきなりどうした?」

俺の隣に座り、いつものようにマイヤーズをオーダーした関口はそう言った。
千裕のあの様子から、きっと俺が何を言ったところで聞かないだろう。
千裕がダメなら相手に言うしかない。
そう思って俺は関口を呼び出した。

「話ってなんだ?」

事実を確かめて、それが本当ならもう一度、釘を差さなければいけない。

「千裕と会ってるって本当か?」

前置きをしてる余裕なんてなかった。

「なんだ、そのことか。そうだよ、ご飯行ったりしてるよ」

屈託なく笑い、関口は千裕と会ってることを認めた。

「それがどうかしたのか?」

マイヤーズを一口飲み、関口はタバコに火を点けた。


どうかしたのか?


飄々としたその一言に何故か俺は少し苛立った。

「…千裕とキスしたっていうのは本当か?」

苛立ちのせいで声は少し険を含んだものになった。

「……千裕ちゃんがそう言ったのか?」

関口は不思議そうな顔をした後、俺に聞き返した。

「あぁ」


千裕が言ったなら何だって言うんだ。

関口の返事は更に俺を苛立たせた。

「ばれたんならしょうがないな。したよ。キス」

千裕も千裕だがコイツもコイツだ。
あっけらかんと言いやがって。


ばれたんならしょうがない?

冗談じゃない。


「千裕はまだ高校生だぞ」


そんなことより、俺は何をこんなに苛立ってるんだ。


「まだ高校生って…今どきのガキはキスどころかセックスもしてるぞ。
 自分のこと思い出してみろよ」

確かに俺の初体験は十四の時だ。
高校時分には既にタバコも酒もやっていた。

でも、千裕は違う。
アイツはまだ子供だ。

「それに千裕ちゃんは今、一番そういうことに興味を持つ時だろ?」

「アイツはまだ子供だ。まだ、早い」

俺にオーダーしたターキーを飲む余裕はなかった。

「お前が思ってるほど千裕ちゃんは子供じゃないよ」


分かった風なことを言うな。

そう口にしかけて俺は言葉を飲み込んだ。


「千裕のことは俺が一番分かってる。アイツはまだ子供なんだ」


そうだ。

千裕のことは俺が一番分かってる。
アイツがまだちゃんとした言葉を話す前から俺は千裕を見てきた。

そう、ずっと見守ってきたんだ。


「どうしたんだ、お前。たかがキスだろ?それに俺のキスを千裕ちゃんは
 拒まなかった。千裕ちゃんは自分の意思で俺とキスしたんだ」

関口は呆れたように言い放った。


たかがキス?

千裕が自分の意思で関口とキスをした?


「誰とキスしようがセックスしようが千裕ちゃんの自由だ。千裕ちゃんは
 お前の所有物じゃない」

千裕が誰か、俺の知らないヤツと恋愛をしてキスをしてセックスをする。
今までそんなことを考えたことがなかった訳じゃない。
でも、そんなことはまだまだ先のことだと思っていた。

「そんなことはお前に言われなくても分かってる。でも、アイツは俺の
 弟みたいなもんなんだ。それにたかがキスってなんだ?」

いきなり突き付けられた現実に俺は困惑して声が荒くなった。

「弟みたいなだけで弟じゃない。お前と千裕ちゃんは他人だ。それにこれは
 俺と千裕ちゃんの問題だ。お前には関係ない。だから俺達のことは放って
 おいてくれ」

関口の声も荒くなっている。


俺達

その言葉の中に俺は含まれていない。

俺達?

いつから千裕は俺以外の人間とそういう枠に括られるようになった?


「放っておけるか。千裕はお前が今まで遊んできた人間達とは違う。
 アイツは…」


アイツは。
俺が大切に見守ってきた。
ずっと見守ってきた。


「いい加減にしろ。そうやって兄貴ぶって千裕ちゃんを守ってる振りして、
 お前は千裕ちゃんに依存してるんだ。千裕ちゃんをお前から自由にしてやれ」


誰が誰に依存してる?

俺から千裕を自由にする?

同じ日本語を話しているはずなのに。
関口の言ってることが俺には理解出来なかった。

関口は何を言ってるんだ?


「…お前が何を言いたいのか分からない」

心の底から出た正直な言葉だった。

「分からないならはっきり言ってやるよ。千裕ちゃんにお前はもう必要ない。
 お前の代わりなんて俺がいくらでもしてやる。だから、もう千裕ちゃんに
 構うな」

関口はそう吐き捨てるとマイヤーズを飲み干し、千円札を一枚、カウンターに置き
ショットバーから出て行った。

もうターキーなんてどうでも良かった。
俺は急いでチェックを済ませると関口の後を追って店を出た。





































千裕に構うな?

なんで、俺が関口にそんなことを言われなきゃいけない。

構うな

それは俺のセリフだ。


夜の繁華街で人の間を縫うように走った。
探している背中はすぐに見付かった。


「待てよ。話はまだ終わってない」

俺に肩を掴まれ関口は振り返った。

「これ以上、お前と話すことはない」


肩を掴んだ手は振り払われた。

賑やかな繁華街でいい歳をした男二人の言い合いに人々が好奇の視線を向ける。
しかし、そんな視線なんて俺にはどうでも良かった。

「お前に俺と千裕の何が分かる?十六年も俺はアイツと一緒にいたんだ!」


そうだ、俺は千裕と一緒にいた。
十六年間もだ。


「何が分かる?」

関口はシニカルな笑顔を浮かべた。

「お前よりずっと知ってるさ。キスしたのは一回じゃない。何度もした。
 キスだけじゃない。キス以上のこともした」

関口の告白に俺の頭の中は真っ白になった。

「安心しろ。初めての時は俺が今まで抱いたどんな人間より優しく抱くさ」


俺の中の何かが弾ける音が聞こえた。


俺と関口を遠巻きに見ていた人々の口からどよめきの声が洩れる。
俺の前には俺に殴られ倒れ込んだ関口がいた。

「…抱くだと?ふざけるな…」

人間、キレすぎると冷静になるらしい。
俺の声は発した俺自身が驚くほど冷静で落ち着いたものだった。

そんな俺の前で関口がスラックスを払いながら立ち上がる。
立ち上がった関口と目が合った。
と同時に俺の左頬を衝撃が走った。

関口と入れ違いに今度は俺がその場に倒れ込んでいた。
一瞬の出来事に構える余裕なんてなかった。

俺の口の中に血の味が広がる。

「これでお互い様だ。じゃあな!」

関口はそう吐き捨てると何事かと群がる人々の中を掻き分け繁華街の中に消えた。






next