… emergency call … 1






彼女の唇まであと五センチだった。

知り合ったのは二週間前の合コンだ。
肩までのセミロングで、シックなワンピースを着ていて、エルメスのカバンを持っていて
ショパールの小振りの腕時計をしていて。

仕事は社長秘書だと言った。


「会社を創って君をヘッドハンティングしようかな。でも、君が秘書だったら
 仕事にならないか」


美人で清楚な振りをしている社長秘書は、そんな詰まらない俺の口説き文句に堕ちた。

二週間、適度なメールと電話で、俺は彼女との一晩を手に入れた。

彼女のプライドを潰さない程度のレストランで食事をし

「朝まで君を独り占めしたいな」

と甘い微笑みを浮かべ囁いて、ブティックホテルに車を滑り込ませ、これまた彼女の
プライドを潰さないようにキスから始めようと思い、彼女の髪を撫でながら唇を近付けた
時だった。

女の子うけするようにデザインされたシックな部屋の中に“子連れ狼”のテーマソングが
流れたのは。


――しまった携帯を切るのを忘れていた。


「…変わった着信音ね」

「…いや…ハハ…」


笑うしかなかった。


しかもなんで“子連れ狼”なんだ?
そう言えばこの前は“水戸黄門”だったな。
その前は確か“必殺仕事人”で。

その前は…

いやいや、今はそんなことを思い出してる場合じゃない。

「…あの、ずっと鳴ってるけど」

鳴り続ける“子連れ狼”に彼女はそう言った。

「あぁ、ごめん」

慌てて“子連れ狼”を止める為に携帯を取り出し、電話を繋げる。
美味しそうな餌が目の前にあるのに俺は電話を無視する気はなかった。

「…もしもし」

相手は誰か分かってる。

『遅いっ!今、どこにいんの!』


―始まった


「…お前なぁ」

『早く来て!洋平(ようへい)が来なきゃ、俺、死ぬから!』


出た。

必殺の“死ぬから”攻撃。

俺は千裕(ちひろ)のこの攻撃に何度、いいトコロを邪魔されたか分からない。

何故、家が近所なだけの十一歳も年下のガキに振り回されなきゃいけないのか。


「いい加減にしろ、そうそうお前に付き合ってばかり…」

『本当に死ぬから。それで一生、洋平にとりついてやる!』


どうやら、俺の話を聞く気はないらしい。
これも毎回のことだ。


「…とりつくってなぁ」

『いつもの所にいるから早く来てっ!絶対、来て!』

俺のあからさまな溜め息を無視して千裕は一方的に電話を切ってしまった。
いつもの所とは俺と千裕の家の近くにあるファミリーレストランのことだ。

近頃のガキは分からない。
大体、こんなに美味しそうな餌を目の前にして、なんで俺が近所のガキの我侭に付き
合わなきゃいけないんだ。

「…何かあったの?」

ほら、彼女の瞳だって少し媚を浮かべてる。

バストはDカップぐらいでウエストは60ぐらい。
ヒップは85といったところで…

「相川さん…?」

こんな清楚な振りをしてる女ほどベッドでは乱れる。

そう。
こんな女ほど。

あんなことやこんなことをして貰って。
一晩お互い、大人のセックスを楽しんで

それで…


「…ごめん」


何を謝ってるんだ。
俺は


「いや、何か友達が急用らしくて」

急用って何だよ。

「え…?」

そう言えば宿泊で入ったんだよな、このホテル。
宿泊ってのは朝までだよな。

朝まで。

その言葉を頭の片隅に追いやり、俺は何度も彼女に謝りながらホテルを後にした。

そこそこの所で食事をして、適当に飲んでホテルに行って。
何もしないでホテルを出た。











































俺の今日のスケジュールを全ておじゃんにした高校生のガキはファミレスの窓際の席で
チョコレートパフェを食っていた。

「遅いよ!」

美味しそうな餌を捨ててまでこのファミレスに来た俺にそれは無いだろ。

しかも、どうやら食ったのはチョコレートパフェだけじゃないらしい。
テーブルの上にはもう一つ空いたパフェグラスが置いてある。
よくそんな甘ったるいだけの物を二個も食えるもんだ。

上目使いで俺を睨む千裕に俺は溜め息をついてイスに腰を下ろした。

「…お前なぁ」

タバコを吸おうとテーブルの端に置いてある灰皿に手を延ばし、自分の前に持ってくる。
そして、俺は取り出したタバコに火を点けた。

「俺にもちょうだい」

パフェのスプーンをパフェに差し、テーブルの上に放り出した俺のタバコに千裕が手を
延ばす。

「何が俺にもちょうだいだ。ガキが十年早い」

タバコの箱に延ばされた千裕の手を軽く叩く。

「ケチ!」

何がケチだ。
タバコなんて吸ったこともないくせに。

ここ、二、三年とみに千裕は俺に憎まれ口をたたくようになった。
昔は可愛いかったのに。

いや、容姿だけなら今でも十分そこらへんを歩く女の子よりは可愛いけど…

まだ、半分は残ってるパフェを食べている千裕を眺める。
本当にいつからこんな生意気な口をきくようになったのか。


千裕を初めて見たのは千裕がまだ一歳の時だった。
俺の父と千裕の父親は同じ会社の同期で卒業した大学も一緒だった。
そんな偶然が重なった二人は親しくなり無二の親友になった。
そして、二人揃って新興住宅地に家を買った。
隣同士で。

先に引っ越しを済ませてた俺達家族に二週間ほど遅れて千裕の家族が隣に引っ越して来た。
その千裕の家族の引っ越しが終わった日、二組の家族は引っ越し祝をすることになった。
そして、俺の家に父親の腕に抱かれて来たのが千裕だった。


天使だと思った。


天使のようだとかじゃない。

千裕は天使だった。

その時、まだ十二歳の子供だった俺はどうして千裕の背中に羽根が生えてないのか不思議で
仕方なかった。

白い肌も大きな黒い瞳も小さな手も小さな足も全てが愛らしくて。
全てが奇跡のようで

俺の指をぎゅっと握り返す千裕の小さな手に子供ながらにも俺は一生、千裕を守ってやろうと
心に誓った。






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