… DOLCE VITE … 8










昼間とは違う人工的な明るいイルミネーションで化粧を施した夜の街は賑やかだった。
しかし、その賑やかさとは反対に俺と宅見を乗せたタクシーの中は静けさに包まれていた。
俺の一言に傷付いた表情を一瞬、浮かべた宅見はあれから黙ってしまった。
自分の分は払うと言った食事代も受け取っては貰えなくて、独りで電車で帰ると言って
いるのにタクシーで送ると押しきられて。

宅見の一瞬だけの傷付いた顔を見た俺は何故かあれ以降、宅見に強く出れなくなって
しまった。

そして、今、俺は自分のマンションに向かって走っているタクシーに宅見と二人でいる。

宅見がリザーブしたと言ったホテルの部屋がどうなったのかは知らない。
部屋をリザーブしたと言いながらもあっさりとホテルを出た宅見の様子からして、
もしかしたら部屋をリザーブしたというのは嘘なのかもしれない。

静まり返った車内でそんなことを考えながら横にいる宅見をチラと見る。
宅見は腕を組んだ姿勢で窓の外を眺めている。
何かを考え込むように黙り込んで窓の外を眺めているその横顔は凛とした野性的な
顔立ちのせいで話しかけづらい雰囲気を醸し出していた。

自信満々で傲慢な一面。
自分の好きな物を認めて貰えて無邪気に喜ぶ一面。
人参とピーマンが嫌いな子供みたいな一面。

そして、たった一言に簡単に傷付く繊細な一面。

たった二回しか会っていないのに。

次々とあらわれる宅見の一面に俺は出会った時よりも益々、宅見という男が分からなく
なっていた。

どれが本当の宅見か分からない。

いや、どれも本当の宅見でどれもが本当の宅見じゃないのかもしれない。

本当の宅見はどこにいるんだろう。

そして、俺はさっきからどうして宅見のことばかりを考えているんだろう。

きっと、あんな話をされたからだ。
いきなり、あんな話をされたからまだ頭が混乱しているんだ。

最初、出会った時は二度と会うこともないだろうと思っていた。
仮に会ったとしても口なんかきいてやるものかとまで思ったのに。

混乱している俺は無性にふてぶてしいくらいに余裕を滲ませた宅見の声を聴きたいと
思った。
何かを話しかけて会話の糸口を見つけたいのに何を話しかけていいのかが分からない。
それに黙り込んで外を眺めている宅見はまるで俺を拒絶しているようで。

俺は話しかけるきっかけを掴めないまま、宅見と同じように黙ってタクシーのシートに
身体を沈めていた。

この沈黙に早くマンションに着いて欲しいと思う自分と一言でいいからマンションに
着く前に宅見の声を聴きたいと思ってる自分。
今、俺の中には二人の自分がいた。






















黙り込んだままの俺達を乗せたタクシーはいつの間にか見慣れた通りに入った。
後、十分ほど走ればマンションに着く。
俺は静かに複雑な溜め息を洩らした。
その時だった。

「…どうして、芳賀と別れたんだ?」

宅見は唐突にそう言った。
顔は窓の外に向けたままだった。

「……あんたに話すことじゃないと思うけど…」

そんなことを聞いてどうするんだろう。
口調は自然と疑問調になった。

「……そうだな」

俺の返事に宅見は短く応えると又、黙り込んでしまった。

タクシーは徐々にマンションに近づいていく。
大きな通りを右折し、住宅が並ぶ静かな通りに入る。
その通りを少し走って左折すると俺のマンションが見えてきた。

「すみません、そこの路肩に停めて下さい」

マンションの姿を見止めた俺はそう言ってタクシーを停めてもらった。

ここからマンションまでは一方通行だから車は入れない。
だから、誰かに車で送ってもらった時、俺はいつも今、タクシーが停まっている場所で
降りていた。

路肩に停まったタクシーの後部座席のドアが俺を降ろす為に開く。
その時になって初めて宅見は俺の方に顔を向けた。


「…今日はご馳走さま。すごく美味しかった」


街灯に照らし出された宅見の表情はどこか少し寂しそうだった。


「…それと、送ってくれてありがとう…」

「…あぁ」


俺を見たまま宅見は短く答えた。
ホテルを出てから俺達は初めてちゃんとお互いの顔を見た。

外に出る一歩がなかなか踏み出せない。

しかし、いつまでもこうしている訳にはいかない。


「…じゃあ」


どうしてそんな思いになったのかは分からない。
何かを振りきるように俺は宅見に背を向けた。


「智春…――」


名前を呼ばれたのと右腕を掴まれたのは同時だった。

さっきまでしおらしかったのに。
いきなり呼び捨てで名前を呼ばれて俺は振り向いた。

そして、振り向いた俺が見たのは間近に迫った宅見の顔だった。


――この距離間を俺は知ってる


間近で見た宅見の瞳は深い夜の色をしていた。


――俺はこの距離を知ってる。


この距離は


そう、この距離は


キスだ


そう思った瞬間、俺の唇に宅見の唇が触れた。



どうして?


何故?


知ってる全ての疑問符を総動員して、自分に問掛けても答えは出ない。


どうして、俺は目を閉じているんだろう?

どうして、俺は宅見の手を振りほどかない?

どうして…



俺の腕を掴む力はそんなに強くはなくて。
腕を振りほどいて宅見を押し退けることは簡単に出来そうだった。
なのに、まるで俺は金縛りにあったように動けなくて。
タクシーの中だということも運転席に人がいるんだということも忘れ、俺は宅見のキスを
受け入れていた。

強引でも優しいだけでもない。

宅見のキスはまるで縋りつくようなキスだった。


どうして、宅見はこんなキスをするんだろう。

どうして…


自分に対する疑問と宅見に対する疑問。

二つの疑問を抱えながら宅見の縋りつくようなキスを受ける。

宅見の縋りつくようなキスに心が苦しくなるくらい切なさで浸されて…


そのキスに応える俺の頭の中は康彦さんのことも事務所のことも全てがきれいに
消えていた。




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