… DOLCE VITE … 4










宅見の指定したシティホテルのエントランスに着いたのは約束の時間の七分前だった。
そのエントランスからホテルの中に入ろうとした俺の視線の端に一台のタクシーが
停まるのが映る。
ふいにそのタクシーが気になって顔をタクシーに向ける。
と、開いたタクシーのドアの向こうから姿を現したのは俺の待合わせ相手にして俺が、
今まで出会った人間の中で一番最悪な男だった。

「…マジかよ」

宅見もどうやら俺の姿に気付いたらしい。
さっきまで無表情だった顔に余裕の笑顔を浮かべ、宅見は真っ直ぐ俺の所に歩いて来た。

これじゃまるで申し合わせたみたいじゃないか。
いくら待ち合わせをしたからってこんなにぴったり同じ時間に着くなんて。

「偶然だな、いや、必然かな?」

「偶然だ。偶然以外あるわけないだろ」

自分の身長より十センチは高い位置にある顔を見上げる。

「予約の時間にはまだ少し早いが、行こうか」

少しだけ俺に目を合わせてから宅見はさりげなく俺をエスコートし、歩き出した。

この前と同じようなカチッとしたスーツに決して邪魔にならない微かに香る香水の香り。
性格の問題を除けば宅見は康彦さんとは又、違う意味で人目を惹く男だった。

身長は康彦さんと同じくらいだろう。
しかし、全身に纏う空気が違う。
康彦さんが優雅な物腰で周りの空間に溶け込むのに対し、宅見は洗練された鋭敏さで
自分だけの空間をその場に作ってしまう。
もし、二人を動物に例えるなら康彦さんは豹で、宅見はライオンかもしれない。

俺の隣でエレベーターのボタンを押す宅見に一瞬だけ視線を走らせる。
異国の人間がいることが珍しくないホテルで今、俺の隣に立つ男は俺が生まれてから
三番目に出会った欧米人に見劣りしない東洋人だった。































店に入ってから品のいい中年の仲居さんに連れられ、辿り着いた場所は和室の個室だった。

落ち着いた室内に何気なく飾られている調度品はどれも風情のあるシンプルな物ばかりで
流石に都内の有名ホテルの中にある店だと思った。
さりげなく室内を眺める俺の前で宅見は微笑みを浮かべている。

「本日はごゆるりとお過ごし下さい」

品のいい笑顔の仲居さんの挨拶に宅見が微笑みを向ける。

「今日はお世話になります」

宅見のその言葉に仲居さんは微笑みを深くすると「失礼致します」と丁寧に頭を下げ、
部屋を出て行った。
二人だけになった部屋で俺は宅見の顔をまじまじと見た。

「俺の顔に何か付いてるのか?」

俺の視線に宅見は不思議そうに訊く。

「…別に」

「それとも見惚れたのか?」

自分の返事にすぐに返ってきたからかうような口調に俺は宅見から視線を外した。

宅見という男が分からない。

横柄で傲慢な男だと思っていた。
他人に対して細やかな心使いなんて出来ない男だと。

そう思っていたのに。

ホテルに入ってから俺の中にあったそんな宅見という男の印象は少し変わった。
配慮のあるエスコートに仲居さんにかけたお礼の言葉。
そして、それらを相手に負担がかからないようにさりげなくこなす。
それはほんの些細なことだが些細なことだからこそ、そういったところでその人の人となりが
現れるような気がする。
もちろん、兄や康彦さんもそういうことが自然に出来る。

「煙草はいいかな?」

「別に」

俺もスモーカーなのに。
宅見は俺にことわった後、胸ポケットから取り出した煙草に火を点けた。

宅見が煙草を吸う姿は癪だが、まるで古い洋画のワンシーンのようでさまになっていた。
まるでこの世に生まれてきてからの歳月の差を思い知らされた気がする。

やはり、煙草と酒は人間としての歳月を重ねた大人に似合う。
いくら煙草を吸い慣れても少しばかり強いアルコールが飲めるようになっても俺なんかは
まだまだ子供で、そんな子供の俺が憧れる雰囲気を醸し出している目の前の男に見惚れそうに
なった俺は忘れかけていた本来のここに来た目的を思い出した。

そうだ、俺はここに呑気に食事をしに来たんじゃない。


「電話で言ってた康彦さんの話ってなんだよ?あんた、事務所にも関係あるって
 言ってたよな」

用件をさっさと済ませようと俺が切り出した時「失礼致します」という言葉が扉の向こうから
聞こえ、静かに扉が開いた。














柔らかい動きで仲居さんが俺達の前に前菜を置く。
三種類ある前菜は淡い大地の色をした角皿に飾られ、その皿に盛られることによってまるで
大地に目吹く野性の花のような清々しさを湛えている。
こういう料理に出会う度にやはり、和食は目で楽しむものだという言葉を実感する。

前菜と日本酒を並べ終えた仲居さんはさっき入って来た扉のところに戻った。

「料理長の前田がご挨拶に伺えないことを詫びておりました」

「いえ、こちらこそ。又、お時間があります時には実家に遊びにいらして下さいと
 お伝え下さい」

「はい、申し伝えておきます」

短い会話の後、恭しく仲居さんが頭を下げ、出ていく。

仲居さんが出ていくと宅見は俺の質問を忘れたかのように徳利から俺のお猪口に日本酒を
注ぎ出した。

「あんた、俺の話聞いてんのか?」

そして、自分のお猪口にも酒を注ぐ。

「その話は食事が済んでからでも遅くはないだろう?まずは一杯だ。この酒は旨いぞ。
 ここでは出していないから特別に取り寄せて貰ったんだ。飲んでみろ」

普段、俺は日本酒は飲まない。
嫌いじゃないけど悪酔いをしそうな気がして避けていた。
でも、宅見の脳天気な様子に呆れて俺は乾杯もしないまま、お猪口に注がれた日本酒を
飲み干した。

正直、驚いた。
宅見の言う通り、その日本酒は本当に美味しかった。
康彦さんとはイタリアンの店によく行ってたから自然と食事中の飲み物はワインだった。
だから、ワインやカクテルといった洋酒を飲み慣れた俺には、どこか懐かしさを感じる日本酒の
美味しさが新鮮だった。

「どうだ?美味いだろう?」

日本酒の美味しさに言葉を無くしてる俺を宅見は満面の笑みを浮かべ見ている。

「……美味い…」

「そうだろう」

ぽつりと呟いた俺に心底、嬉しそうな顔をして宅見は笑った。

本当に宅見という男が分からない。
これじゃまるで自分の好きな物を認めて貰えて無邪気に喜んでる子供みたいだ。
げんに宅見が今、見せてる笑顔は俺が見た意味深な微笑みや余裕の微笑みとは違う子供の
ような屈託のない笑顔で。
その宅見の笑顔に俺の中にあった宅見の印象は又、少し形を変えた。




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