… DOLCE VITE … 3










インパクトの強い出来事は記憶に残る。
いいことでも悪いことでも。

そんな当たり前のことからあの夜以降、時々、ふとした時に俺の頭には宅見という
不躾な男の顔と言葉が浮かんでくることがあった。

プライベートで出会った初対面の人間にあんな態度をとられたのは初めてだった。
しかもそれが元恋人の友人なんだから、尚更だ。

「……最低なヤツ」

本当に最低なヤツ。

思い出せば思い出すほどあの自信満々な余裕の笑顔がムカつく。

「誰が最低なの?」

独り、パソコンの画面を見ながらあの夜のことを思い出し、悪態をついた俺は隣に
事務の川端さんが来たことに気付かなかった。

「え?!あ…別に…」

驚いてしどろもどろになってる俺に川端さんは苦笑を浮かべた。

「坂口君に電話よ。なんか考え込んでるようだったから」

そんなに事務所は広くない。
だから、いつもは電話がかかってきたら川端さんのデスクから声をかけられる。
つまり、川端さんのいつもと違う行動はいつもと違う電話だということだろう。

「どこからですか?」

クレームか何かだろうと思って尋ねた俺に川端さんは首を傾げた。

「それがね、名前を言ってくれないのよね。とにかく、坂口君に代わってくれって。
 代われば分かるからって。落ち着いた話し振りだからクレームとかじゃないと
 思うんだけど…とにかく一番だから」

川端さんは少し困った顔をするとそう言って自分のデスクに戻って行った。
名前を言わない時点でクライアントではないのだろう。
友人なら携帯にかけるだろうし。

「…お待たせ致しました。坂口ですが…」

電話をかけてきた相手が誰か分からないまま、俺は受話器をあげた。
少しの沈黙の後、くくっと笑う声が受話器の向こうから聞こえる。

「もしもし?」

悪戯か?

声は自然とけんを含んだものになった。

『電話だとしおらしいんだな』

低めの声と不躾なものの言い方に相手は誰かすぐに分かった。

「…あんたか」

『声だけで俺が誰か分かるのか?』

楽しそうな声に怒りは呆れに変わった。

「なんの用?やす…芳賀さんなら出てるよ」

康彦さん、と二人の時の呼び名を口にしかけて俺は急いで芳賀さんと言い直した。

事務所の人達は俺が康彦さんになついていることを知っている。
小さな事務所だから皆、仲がいい。
俺はここが初めての職場だから他の事務所がどうなのかは知らないが同じように
美大を出て勤めている友人達の話を聞く限りでは俺はかなり職場の人間関係に
恵まれているようだ。

もっとも、代表者が康彦さんだからだろうけど。
だからこそ下手に康彦さんと俺の関係が皆に知れて周りに気を遣わせるのは嫌だった。

『芳賀に用があるなら芳賀に電話をしてる。君に用があるからかけたんだ』

そりゃ、そうだろう。

わざとはぐらかした言葉は軽くかわされた。

「俺はあんたと話すことなんてないね」

『そんなに毛を逆立てなくてもいいだろう?』

俺は猫か。

笑みを含んだ声と俺の反応を揶揄する台詞に抑えていた怒りが復活しかける。

「あんたと遊んでる暇はないんだよ。下らない話をする気なら切るからな」

『遊んでるつもりはない。君に用があると言っただろう』

この前といい、今日といい、宅見という男がどういうヤツか読めない。

「何の用だよ」

『デートの申し込みだ。大事な話がある。今週末にでも会って話がしたい。で、君の
 都合を聞く為に電話した。この前は携帯の番号を聞く前に帰られてしまったからな』

「…は?」

本当にこの男が読めない。

デートの申し込み?

『今週の土曜日は空いてるか?』

「ちょっと待てよ」

何が何だか分からない。

しかし、これで口説かれてると思うほど俺は自惚れ屋じゃない。

「ふざけるのもいい加減にしろ。なんで、あんたと会わなきゃいけないんだ」

この前、宅見は俺に康彦さんと付き合ってるんだろうと聞いてきた。
そして、俺はそれを否定していない。
つまり、宅見は俺と康彦さんが付き合っていると思ってるはずだ。
なのに自分の友人と付き合っている人間に二人で会いたいと言っている。
俺はもしかしてからかわれてるのだろうか?

『言っただろう?デートの申し込みだと』

声はさっきとなんら変わらない。
その冷静なのに笑みを含んでいる声に神経が毛羽立っていく。

「…あんたと会う気はない。もう切る」

本気だった。
本気で電話を切ろうとしていた。

『芳賀に関する話でもか?いや、芳賀だけじゃないな。事務所に関わる話でも?』

突然、出された康彦さんの名前に電話を切ろうとしていた俺の手は止まった。

『大事な話だ。電話で済ませられる話じゃない』

宅見の声は俺が自分と会うだろうと確信しているような声だった。

「…本当だろうな?」

『嘘をついても仕方がない。さぁ、どうする?今週の土曜日は空いてるか?』

宅見は電話の向こうで俺の返事を待っている。
きっと、あの日見た余裕の笑みを浮かべた顔で。

「…分かった。何時にどこに行けばいい?」

その顔が頭に浮かんで俺は苛立った。
でも、ここ何ヶ月か顔色のすぐれない康彦さんの顔がその苛立ちを抑えた。

あの日、久し振りに康彦さんを飲みに誘ったのは康彦さんの様子が最近おかしかったからだ。

俺以外は誰も気付いていない康彦さんの異変。

康彦さんと付き合っていた俺だけが気付いた。
結局、あの日は何も聞けなかったけど。

宅見の口振りからして宅見は何かを知っているのだろう。
そう思って宅見に返事を返した俺に告げられた待ち合わせ場所は名の知れたシティホテルに
入っている日本料理店の名前だった。




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