… DOLCE VITE … 20










「…お早う」

バツが悪そうにそう言って起きてきた宅見を俺はバスルームに押し込めた。

シャワーを浴び終えた宅見に宅見が寝ている間に買ってきたTシャツとトレーニングパンツを
渡して胃に優しい野菜のスープを二人で食べた。

宅見の気持ちが落ち着くまでここに居ればいい。
だって、宅見のあのマンションは一人で居るには広すぎて、冷たくて。
あんな所に宅見を一人にはしておけない。

そう思った。

「DVDでも見る?」

「あぁ…」

少しでも宅見の気晴らしになればいい。
そんな気持ちで俺は宅見の前に数本あるDVDを並べた。
































「…しかし、ものの見事にディズニーだけなんだな」

自分の目の前に並んだDVDに宅見は微笑んでそう言った。

「俺、好きなんだ。ディズニー」

子供の頃にはアメリカアニメの豊かで賑やかな色彩に心を奪われた。
分かり易い物語にも夢中になった。

「ディズニーってさ、本当に“夢”だろう?現実なんてさ、正義が勝つとは限らないし、皆が
 幸せになるなんて奇跡に近いし。だからせめて作り物の中では夢みたいって思わない?」

大人になった今はそう思う。
実際の社会では正義が勝つとは限らない。
むしろ正義が負けることの方が多いような気がする。
それに正義が一つとは限らない。
自分にとって正義だと思っていることも他人にとっては正義じゃないこともある。
人の数だけ正義はある。

「面白い考え方だな」

「そうかなぁ」

「君は不思議だ。君といると驚くことばかりだ」

苦笑する宅見に俺も微笑んだ。

「どうする?観る?」

「そうだな、たまには夢を見るのもいいかもしれない」

尋ねる俺に宅見はそう言って穏やかな笑顔を浮かべると数本あるディズニーのビデオの中から
一本を選んだ。
































数本あるディズニーのDVDの中から宅見が選んだのは『ライオンキング』だった。

二人してベッドに背中を預けて俺達はコーヒーを飲みながらそれを見た。
ビデオは最初の山場に差し掛ろうとしていた。
自分の命を掛けて父親のライオンが息子を救う為に懸命になっている場面がブラウン管に
映し出されていた。

二回ほどDVDを見た俺は結末がどうなるか知っている。
何度見ても悲しくなる最初の山場が終わった時、俺の横に座っていた宅見はおもむろに立ち
上がった。

そして、急に立ち上がった宅見はハンガーに掛けてあった自分の喪服のジャケットの内ポケットを
探ると中に入っていたらしい何かを手に持って又、俺の横に腰を下ろした。


「…これを」

宅見はそれだけを言うと手に持っていた物を俺に差し出した。

宅見の手から差し出された物。
それは古びた封筒だった。
封筒の封は開けられていた。

「俺…?」

俺に中を見ろというのだろうか。
そう思って宅見の顔を見る。

「あぁ…」

俺の言いたいことが分かったのか宅見は短く返事をすると頷いた。
宅見の真剣な顔に俺は差し出された封筒を自分の手に取って封筒の中を見た。
覗き込んだ封筒の中から便箋を取り出す。
もう一度、確認の為に宅見の顔を見てから俺はその手紙を読み始めた。
その手紙には男らしい肉厚な文字が並んでいた。





前略、新しい住所を知らせてくれて有難う。
君が元気でいてくれていることが分かり、安心しました。
僕の方は相変わらずな日々を送っています。
恥ずかしい話だけれど君に手紙を書こうと思ったのは僕の最後の未練かもしれない。
僕は本当に君に出会えて良かったと思ってる。
君に出会っていなければ僕はきっと誰かを大切に思うなんてことを知らないまま
死んでいったはずだ。
君には本当に感謝している。
君と過ごした十一年間は僕にとっては何物にも代えがたい大切な時間だった。
野上さんは素晴らしい人だから君は君の選んだ人と幸せになって欲しい。
君が幸せになる、それだけが僕を幸せにします。
では、体を大事に。
野上さんにもよろしく。
そして、最後に雄一を僕に託して欲しいと言った僕の我が侭をきいてくれて有難う。
君と過ごした証の雄一を僕は大切に育てていきます。





受取人は野上有美子。
差出人は宅見雄吾。

それは宅見の父親から宅見の母親宛てに書かれた手紙だった。
薄茶けた便箋が過ぎた年月を物語っていた。


「…葬式で野上さんに渡されたんだ」

手紙を読み終えて顔を上げた俺に宅見は静かに言った。
手紙の宛名が野上有美子だったから宅見の言う野上さんとは宅見の母親の再婚相手なんだろう。

「…保険のことも野上さんから聞いた。父のことも野上さんは素晴らしい人だと言っていた」

宅見の母親という一人の女性を愛した二人の男は年月を経て同じ女性を愛した者同士として
親近感を持ったのだろう。
そして、二人の男に愛された宅見の母親は二人の男を愛した。

「…ずっと、寂しかったんだ。誰にも愛されてないと思うくらいに」

小さな誤解から宅見は自分が両親に愛されてないと思い込んでしまった。
それはほんの小さな擦れ違いだった。

「人間と動物の違いって分かる?」

「いや…」

俺のクイズに宅見は分からないと答える。

「人間は想像が出来るんだ。あ、想像って空想の方の想像ね。俺はあんたの両親は
 愛し合ってたと思う。例え、始まりは政略結婚だったとしてもあんたのお袋さんは
 あんたの親父さんを大切に思ってたんだよ。だから、あんたはちゃんと愛し合った
 二人から生まれてきたんだ。ま、これは俺の勝手な想像だけどね」

母に言われた時には理解出来なかった宅見の母親の気持ちが今の俺には理解出来た。
宅見の母親は二人の男を愛した。

「ずっと誰かに愛されたかった。でも、どうすればいいのか分からない…」

今なら宅見の母親の気持ちが分かる。
泣きそうな顔の宅見の頬に俺は手を伸ばした。

「愛して欲しいって、好きになって欲しいって言えばいいんだよ。誰にだって
 愛される権利はあるんだから…」

愛されてることを意識したことなんてなかった。
俺の中でそれは当たり前にあったから。
俺には当たり前で簡単なことが宅見には一番難しいことなんだ。
そう感じた途端、胸が詰まった。

「…愛される権利?」

「そう。あんたは叫んでいいんだよ。愛されたいって」

「…俺は、俺は…」

まるで子供が知らない言葉を教えてもらい戸惑っている。
宅見はそんな顔をした。

「俺は愛されたい…ずっと、愛されたかった」

小さな声で呟く宅見の言葉を聞いた瞬間、俺は宅見を抱き締め宅見の額にキスをしていた。

俺に迷いはなかった。
俺の心は決まった。

宅見の母親は昔愛した男を選んだ。

でも、俺は。

俺の背中に腕を回した宅見の瞼にもキスをした。

もう、あんたは独りで泣かなくていい。
あんたが分からないっていうならあんたが分かるまで一緒に頑張ろう。


「…智春」

俺の名前を呼ぶ声に、抱き締める腕に、見つめる瞳に。
宅見の全てに。
あの日のキスが重なる。
まるで助けてくれというような縋り付くようなキス。
あの日のキスの意味が分かった。
そして、何故、あの日のキスがずっと気になってたのかも。

あの日、あんたは俺に助けを求めたんだろ?
誰でもない俺に。

やっと、気付いたから。
あの日のキスの意味に。

無意識に宅見は俺に助けを求めて、俺はそれを受け入れた。
あの日、俺は受け入れたんだ。

俺は宅見の髪を撫でた。
唇は自然に重なった。
全てが自然で当たり前のようで。

俺達は互いの衣服をゆっくりと剥ぎ取り、お互いの肌の温もりを求めて抱き合った。




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