… DOLCE VITE … 2










康彦さんがいなくなった今、康彦さんだけが接点の俺と宅見には沈黙が流れた。
もとから宅見とは何も話す気はない。
初対面の人間に気安く名前を呼ばれるのも嫌いだし、初対面のくせに馴れ馴れしい人間も
嫌いだ。
そして、宅見はその俺の地雷をいとも簡単に踏んだ。
あんなに優しくて思慮深い康彦さんの友人の中に宅見みたいな人間がいることが
俺には信じられなかった。

横にいる宅見の存在を無視し、メンソールをシガレットケースから取り出し、口に
銜えて火を点ける。
そんな俺の仕草を宅見は楽しそうに眺めていた。

「芳賀とはもう、長いのか?」

「…は?」

質問の意図がわからなかった。
その意図を知る為に俺は宅見に顔を向けた。

「付き合ってるんだろう?」

もう一つ追加。
初対面のくせに人のプライベートを探る奴も嫌いだ。

「あなたに答える必要はないと思いますけど?」

俺は不快を隠さなかった。

「あいつの君を見る目を見れば分かる。あいつは優しい奴だが、誰にでもあんな目を
 向ける訳じゃない」

因みに人の話を聞かない奴も嫌いだ。

「もし、そうだとしてもあなたには関係ないと思いますけど?」

「あいつは優しいだろう?色んな意味で」

「何が言いたいんですか?」

まるでわざと俺の神経を逆撫でするように宅見は笑った。

「あいつとは、もう寝たのか?」

無神経な質問に俺の中の実際はそんなものがあるのか分からないが堪忍袋の緒が
切れた。

「あんたに関係ないだろう」

こんな男に敬語を使っていたことを後悔した。

「怒った顔もなかなかそそられる。あいつと君を共有するのも悪くないな」

まるで独り言のように宅見は笑いながらとんでもないことを言った。

「頭、おかしいんじゃないの?共有するって何だよ」

怒りで吐き捨てるように俺は言った。

「つまり、君と寝てみたいってことだ」

こいつは絶対、壊れてる。

まるで天気の話でもするように平然と宅見は言った。

「あんた、馬鹿じゃないの!」

まだ半分以上は残ってる二杯目のギブソンを頭から掛けてやろうと俺がグラスを
掴んだ時、康彦さんが帰ってきた。

「悪かった…と、智春?」

俺と宅見の間に流れるピリピリとした空気に気付いて康彦さんが俺に声を掛ける。
立ったままの康彦さんに俺もイスから立ち上がった。

「康彦さん、俺、もう帰りたい。康彦さんのマンションに帰ろう」

もう、宅見という男と一緒の空間にはいたくなかった。
康彦さんのジャケットの裾を掴み、少し表情を和らげて強請る。

「分かったよ。宅見、悪いな」

康彦さんは少し困ったような笑顔で俺の腰に軽く手を添えると宅見に謝った。
こんな奴に謝ることなんてないのに。

「俺は別に構わない。一人で、もう少し飲んで帰るよ」

さっきまでの態度が嘘のように宅見は愛想いい笑顔を浮かべてる。
しかし、目だけはまるで俺を挑発するような光を湛えていた。






























「あの人、本当に康彦さんの友達なの?」

繁華街の光を横目に走るタクシーの中で俺は康彦さんの横顔を見つめながら尋ねた。

「あぁ、どうしてかな?」

「…だって、なんか康彦さんの他の友達と雰囲気が違うから」

さすがに宅見にされた質問や言われた言葉を康彦さんに言う気にはなれなかった。
自分の友達が自分の元恋人にセクハラまがいのことを言ったなんて。
この俺でもいい気はしないのに康彦さんが知ったらきっと優しい康彦さんは俺に悪いと
思うだろう。
それに本人がいない場所で康彦さんに康彦さんの友人の悪口を言いたくはない。

「…あいつは物事をはっきり口にするから誤解されやすいけど、凄い奴なんだよ。
 僕には無いものを沢山持ってるからね」

あんな無神経な奴なのに康彦さんは宅見のことを誇らしげに話した。
しかし、一瞬だけ康彦さんが見せた自嘲気味の表情を俺は見逃さなかった。

康彦さんは周りに気を使い過ぎるところがある。
人とぶつからない為に自分が引くことも。
そんな康彦さんにとって宅見は自分とは全く反対の生き方をしている人間なのだろう。

人間は自分にないものを持っている人間に惹かれる。
ないものねだりだと言われてしまえばそれまでだが。

康彦さんと宅見、二人は正反対だからこそお互いにないものに惹かれあって友人という
関係を築いているのかもしれない。
だが、俺は康彦さんがさっき一瞬だけ見せた自嘲気味の表情が気になった。

「でも、俺は康彦さんの方が好きだけど」

これは俺の本心だ。

確かに時々、優し過ぎる康彦さんに歯がゆさを感じる時もある。
でも、短所と長所は紙一重だ。
全てにおいて完璧な人間なんていない。
だって、完璧に近い俺の兄にだって短所はあるのだから。

康彦さんが宅見に引け目を感じる必要はない。
そのことに気付いて欲しくて俺は康彦さんの手を握った。

「ありがとう。智春にそう言って貰えると元気が出るよ」

康彦さんはそう言って俺の手を握り返すと静かに笑い、顔を俺に向けた。

広くないタクシーの中で俺と康彦さんの視線が絡む。

「ところで、本当に僕のマンションでいいのかな?」

視線を絡めたままで困ったように笑いながら康彦さんは俺に訊いてきた。
俺の怒りから出た言葉を捕えて康彦さんは俺を追い詰める。

「俺はそう言ったと思うけど?」

俺の返事に俺の手を握る康彦さんの力が強くなる。

「…あぁ。そうだったね」

少しだけ康彦さんの笑顔に切なさが混じる。
俺が逃げないことを計算に入れて俺を追い詰めておきながら辛そうな笑顔を浮かべる
康彦さんはずるい。

でも…

そのずるさと切なそうな顔に気付かない振りをする俺はもっとずるいのかもしれない。

その夜、俺は久し振りに康彦さんのマンションに泊まった。




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