… DOLCE VITE … 18










「智春?」

突然、頭に入ってきた自分の名前を呼ぶ声に俺は我にかえった。

「あ…ごめん…」

事務所を出る時に康彦さんに呼び止められて俺は付き合っていた時に康彦さんとよく来ていた
イタリアンレストランで康彦さんと食事をしている最中だった。

昨日あるはずだった宅見からの電話はなかった。

毎週会ってた訳じゃない。
でも、律儀に毎週、木曜日に掛ってきていた電話はいつの間にか俺の中で日常になっていて
宅見の声を聞いていないことに俺は居心地の悪さを感じていた。

「何か心配事でもあるのかな?」

「う、ううん。大丈夫」

「ならいいけど」

話を聞いてなかった俺に機嫌を悪くするでもなく俺を心配する言葉を掛けて優しい笑顔を
浮かべる。
やはり、康彦さんはどこまでも優しい。
でも、俺は目の前の康彦さんよりも何故か鳴らない電話が気になった。

どうして。
もしかしたら宅見に何かあったんだろうか。


「和食の方が良かったかな?」

「ううん、美味しいよ」

ワインは俺の好きな白で料理は俺の好きな物ばかりがテーブルに並んでいた。
どの料理も康彦さんと付き合っていた時には美味しいと感じていた物ばかりだった。
ううん、今だって料理はどれも美味しい。

でも…

何故か食は余り進まなかった。

俺はワインは白が好きだ。
でも宅見は赤が好きで。
赤だ白だと言い合って、結局、二人の好みの中をとって二人で飲むワインはロゼになった。
そう最近、俺はロゼばかりを飲んでいた。

ワインは白だと思っていた。
なのに久し振りに飲んだ白は何故か味気なかった。
二人で意見を言い合って譲るところは譲り合って。
そうやって見付けたロゼワインの美味しさはとても小さなことだけど俺には大きな発見だった。


「康彦さんは食べれない物ってある?」

そんなことを聞きたくなったのは目の前に並んでる料理が俺の好きな物ばかりだったからだ。

「殆ど無いかな。強いて言えば、茄子くらいで、あぁ、そういえば子供の頃は人参と
 ピーマンが駄目だったけどね」

康彦さんが茄子が嫌いだったなんて知らなかった。

「人参…」

「人参とピーマンは子供の嫌いな物の定番だからね」


そうだ。
俺だって子供の頃は人参とピーマンが苦手だった。


「なんで、食べれるようになったの?」

俺はどうして食べれるようになったんだろう。

「母が工夫してくれたからかな。細かく切って好きな物の中に入れてくれたり、
 好きな味付けにしてくれたり。後は大人になるにつれて自然にね」


そうだ。

そうだった。
俺の場合は母じゃなくて兄だったけど…

俺が苦手な物を食べれるように工夫してくれた。
そうやって子供は苦手な物や事を克服していく。
家族や周りに助けられて見守られて。
だから康彦さんと俺は人参とピーマンが食べれるようになった。

でも、宅見は…

宅見は…

宅見が人参やピーマンを食べれるようになる前に宅見の母親は出て行った。
宅見を一人置いて。

宅見に会わなければ。


「康彦さん、俺…」

急に湧いてきた感情に帰ると言おうとした俺は自分のジャケットのポケットの中で携帯電話が
震えていることに気が付いた。




































『どうしても行かなきゃいけないんだ』

『食事が終わってからじゃ駄目なのかな?』

『…ごめん』


康彦さんに謝りながらも俺の気持ちは駆け出していた。


『…送るよ』


仕方がないといった笑顔を浮かべた康彦さんの申し出を俺は断った。




































週末の街の道路は混んでいてタクシーはなかなか動かない。
動かないタクシーの中で俺は苛々した気持ちを少しでも落ち着けようとタバコに火を点けた。


『最初は似ている人かと思ったんですけど…』

電話の向こうの涼は神妙な声でそう言った。

『安心して下さい。怪我は大したことないみたいですから。ただ…』

タクシーは又、信号に引っ掛かった。

『僕が見た限りでは喧嘩というよりは一方的に相手に殴らせていたという感じでした』

吸おうと思って火を点けたタバコは一口吸っただけで…

『一応智春さんに知らせた方がいいかと思ったんです』

一口吸ったタバコは俺の指の間で半分が灰になった。

涼が知らせてくれた場所は俺がいたレストランからそう遠くなかった。
レストランを飛び出してすぐタクシーに飛び乗った。

どうして。

涼がチンピラ風の二人に殴られている宅見を見付けたのは涼のグループが根城にしてる
繁華街だった。

どうして…

涼はその辺りを仕切っている暴力団の会長の息子と親しい。
だから、チンピラでもそこいらで涼の顔を知らない奴はいない。
止めに入った涼にチンピラ風の二人は慌てて逃げて行ったと涼は言った。
宅見の体格からいってケンカに弱い筈はない。
相手は二人だったと涼は言った。
それがどうして一方的に殴られていたんだ。
いや、涼は“殴らせていた”と言っていた。

それなら、どうして、そんなことを。

流れに乗って走っていたタクシーは又、渋滞に引っ掛かってしまった。
タクシーがいる場所から涼が知らせてくれた場所まではそう遠くない。
こんな所で足止めを食ってる場合じゃない。

「すみません。ここで降りますっ」

動かないタクシーに焦れて俺はそう口にしていた。



こんなに必死になって走ったのは久し振りだというくらい俺は走った。
涼は電話で俺が行くまで待っていると言っていた。
だから宅見の側には涼が付いてくれてる筈なのに。
何故か心は急いていた。

早く。

早く。

気持ちばかりが急ぐ。

早く宅見の所に。

早く宅見の無事な姿を見たい。
宅見に何があったのかは分からない。

だけど…

早く。

嫌な胸騒ぎを抱えて俺は夜の街をひたすら一人の男の姿を見る為に走った。




next
novel