… DOLCE VITE … 17










「智春、久し振り」

大学時代の友人の一人の水島は大学を出てから出版社に就職した。
ビジネスからライフスタイルまで二十代後半からの男性をターゲットにした雑誌の企画メンバーに
選ばれたと嬉しそうに電話で連絡があったのは一年前だ。
その雑誌は最近よくブックストアで見かけるようになった。

ビジネスを範囲に入れているのだから何か分かるかもしれない。
俺はそう思った。



仕事帰りのサラリーマンで賑う焼き鳥屋で俺達はビールで乾杯をして焼き鳥を注文した。

「急に悪い。で、何か分かった?」

「あぁ、先輩に聞いたら速攻だよ」

これは卑怯なやり方かもしれない。
でも、どうしても知りたかった。

「すごい偶然でさ、その先輩が宅見雄吾氏の大学の後輩でそのつてで昔、雑誌の
 ビジネス特集でインタビューしたことがあったらしくてさぁ」

『株式会社豊栄(ほうえい)』上場はしていないもののノンバンク業界では大手に入る。

設立したのは宅見宗一。
宅見のお爺さんだ。

「宅見雄吾。今は亡くなってるけど前社長は宗一氏に気に入られて宅見家に婿養子に
 入ったらしい」

優秀な部下を自分の跡継ぎにする為に自分の娘と結婚させる。
それは良くある政略結婚だった。

「良くある話さ。でも、その娘には大学時代から付き合ってた男がいて…」

その男とは無理矢理別れさせられた。
宅見が生まれていることから想像はついた。

「詳しいことは良く分からないけど。その後、雄吾氏と宗一氏の娘が離婚して、宗一氏の
 娘は今、再婚してる。再婚相手はその別れさせられた男らしいぞ」


一度は引き裂かれたもののやはり昔の男を宅見の母親は想っていた…

でも、そんなに昔の男を想っていたのなら何故、宅見は生まれたのだろう。
いくら跡継ぎが必要だとはいえ愛してもいない男の子供を女性は簡単に産めるものだろうか。
それとも宅見の母親は自分の感情を押し殺して宅見の父親との結婚生活を割り切って過ごして
いたのだろうか。

「…好きでもない男の子供って産めるのかな」

頭に浮かんだ疑問を俺は思わず口にしていた。

「…さぁ、どうだろうなぁ。さすがに自分の先輩のことだから余り突っ込んだことは話して
 くれなかったけど大学の時から雄吾氏の周りには女性が絶えなかったらしいぞ。でも、
 宗一氏の娘と結婚が決まる一年位前からは一切女性の影がなくなってたらしい」

「それって…」

それはどっちにもとれる。
政略結婚を上手く運ぶ為に一時的に女性達と手を切ったか、それとも本気で政略結婚の相手を
好きになったか。

「これは俺の想像だけど雄吾氏は本気で宗一氏の娘を好きになったんじゃないかな」

「なんで、そう思うんだ?」

俺の問いに水島は頭を掻いた。

「うーん、離婚した後も結婚前と同じで女性の影が一切ないんだ。噂もないし…」

人間は信じたいことを信じる生き物だ。

「まぁ、あくまでも俺の勝手な想像だけどな」

つくねを食べ出した水島の言葉に俺は救われた気がした。


































「本当、いつも急なんだから」

実家に帰って来たのは半年振りだった。
俺が突然帰ったことに母は文句を言ったが食卓には俺の好きな物が並んでいた。
俺が家を出る前は滅多に料理なんてしなかった母の料理に俺は心が温かくなった。

父と母と俺。
大切な兄は欠けてたけど久し振りの家族三人水入らずの夕食は楽しかった。

俺にはいつだって家族がいてくれた。
父も母も兄も、いつだって俺を守ってくれた。
俺はずっと大切な家族に守られていた。

でも、宅見は…

出て行った母親が作った自分の好物を宅見は父親と食べたのだろうか。
それとも一人で、一人ぼっちで食べたのだろうか。


『今日は本当に物を食べた気がする』


初めて二人で食事をした時、宅見はそう言った。
今考えてみればその何気ないセリフには宅見の孤独が表れていたのかもしれない。

「女の人って好きでもない男の子供って産めるのかな?」

夕食の片付けが済んだテーブルで俺は食後のコーヒーを飲みながら母にそう聞いていた。

「人によるんじゃない」

相変わらず母はあっさりしている。

「そりゃそうだけど…」

「女が愛してる男の子供を産みたいって思ってるなんて男の幻想よ。それより、
 どうして急にそんなこと聞くのよ?」

この人は本当になんて言うか…

相変わらずの母に俺は苦笑いを浮かべた後、友人のことだと言って宅見の話をした。

「うーん、何とも言えないけど。私もその人の父親はその人の母親を好きだったと
 思うけど」

「じゃあ、母親は?政略結婚の相手って好きになる?」

俺の質問に微かに笑った母の顔は俺が初めて見る顔だった。

「始まりはそうでも毎日毎日好きだって言われて大切にされたら心が傾くってことも
 あるんじゃない?」

「じゃあ、仮にそうだとしたらなんで父親は他の男の所に行くのを止めなかったんだよ」

普通好きなら他の男に渡したくないと思うんじゃないんだろうか。

「本当に好きだから、でしょ」

母の言葉は俺を混乱させた。

「その人のお父さんはその人のお母さんが本当に好きだから行かせたのよ。本当に
 好きだったからその人のお母さんの気持ちを尊重してあげたんじゃないの?」


本当に好きだったから…

宅見の父親は宅見の母親の幸せを望んだ。
例えそれが自分とじゃなく他の男とのものでも。

「じゃあ、母親は?そんな簡単に別れられるの?」

ましてや子供までいるのに…

「その人のお母さんもその人のお父さんのことは大切だったんじゃない?だから、自分が
 本当に幸せになることがその人のお父さんの気持ちに応えることだと思ったのよ」


じゃあ、子供は?

急に母親が居なくなった宅見の気持ちは?


「それじゃ、子供の気持ちは?子供が可哀想だ…」

コーヒーカップを両手で握り締めて俺は思わず呟いていた。

「完璧な人間なんていないでしょ?親だって親の前に人間なんだから」

「…そうだけど」


でも…

愛し合っていない両親から生まれてきたと思ってる宅見の気持ちは…


「まぁ、まだ子供のあんたには難しいかもね。それにこれはあくまでも私の想像だしね」

コーヒーカップに残っていたらしいコーヒーを飲み干すと母はイスから立ち上がった。
母は自分の想像だと言ったけど俺には母の想像が事実のような気がした。

「あんた、その人のこと好きなんでしょ?」

シンクでカップを洗い終えた母がタオルで濡れた手を拭きながら俺に問う。

「ち、違うよっ」

母の問いを俺は慌てて否定した。

俺が宅見を好き?

それは今の今まで考えもしなかったことだった。

「ま、どっちでもいいけど。私はもう寝るからカップ、自分で洗ってよ」

小さい時にしたように母は俺の頭をくしゃと撫でるとダイニングから出て行った。




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