… DOLCE VITE … 16










オムライスを食べたいと言った宅見のキッチンの冷蔵庫にはオムライスを作る為に必要な
物はトマトケチャップしか無かった。

冷蔵庫だけじゃない。
俺のマンションとは比べものにならない広さのリビングにも余計な物は一切ない。
シンプルというのとも違う。
人の気配のない温もりのないただただ寝に帰る為だけの部屋。
それが俺の宅見の部屋に対しての正直な感想だった。

オムライスを作ろうにも材料がないと作れない。
シャワーを借りた俺は宅見を連れて近くのスーパーへ出掛けた。

必要な物を買い揃えマンションに戻った時には時間は既にお昼になろうとしていた。
ダイニングテーブルに買ってきたばかりの材料を広げ、シャツの袖を捲る。
広げた材料の中から玉ねぎを掴み、それをまな板で切り出した俺の後ろから宅見は物珍しそうに
覗き込んできた。

「上手いもんだな」

包丁を動かす俺の手先を見つめ宅見が言う。

「あんたは料理しないの?」

「料理はしないな」

「案外やってみると面白いよ」

料理はどこか絵を描くことと似ている。
鮮やかな食材の色を絵の具に見立て色んな色で一つの作品を仕上げる。

大抵の男は凝り性だ。
良く男が料理にハマるというのも凝り性な性分からきているのかもしれない。

「俺の兄貴はもっと上手いよ。イタリアンから中華まで作るし…」

「知ってる。君が料理を教えてもらったのもお兄さんからなんだろう?」

「…え…?なんで…」

なんで宅見がそのことを知ってるんだろう。
玉ねぎを切る手は驚きで止まった。

「覚えてないのか?」

言葉で答える代わりに頭を縦に振った俺に宅見は苦笑した。

俺は全然、覚えてないけどどうやらタクシーの中で宅見のマンションに着くまで俺はずっと兄の
自慢をしていたらしい。
それは兄がどれだけ優しいかから始まって料理を教えてもらったこと遊んでもらったこと、果ては
その兄に恋人が出来たことまで。


「君のお兄さんは何でも完璧らしいな」

シンクに凭れ、オムライスが出来る行程を眺めながら目を細めて話す宅見に俺はフライパンを
動かし続けた。

「…どうせ俺はブラコンだよ」

フライパンからは素材を炒める音と美味しそうな匂いが漂ってきている。

「別にそんなことは言ってない」

変わらず宅見は微笑んでいる。

「ただ、そこまで君に想われてる君のお兄さんが羨ましいと思っただけだ」

「…そういう冗談はもういいって」

昨日といい今日といい、一体何の冗談なんだ。
少しムッときて宅見を見上げる。

「冗談じゃなく、本気だと言ったら?」


見上げた先には真剣な目をした宅見の顔があった。

手を伸ばして少しだけ背伸びをすれば。

そうすれば…

宅見の唇に触れるだろう。

ふと浮かんだ考えは誘惑に変わろうとしていた。


「…智春…」

きっとバターで炒めた玉ねぎは辛味がなくなって甘くなっている筈だ。
その甘い玉ねぎはトマトケチャップの酸味のある甘さと絡まって一つの作品に仕上がる。

トマトケチャップを纏った玉ねぎと宅見の唇。
どっちがより甘いんだろう。

間近にある宅見の顔に。
あの夜と同じ距離間に戸惑いはなかった。
































「…あんたのせいだからな」

「十分、美味い」

「……」

炒め過ぎた玉ねぎは甘いを通り越して苦くなってしまった。
トマトケチャップのお陰で何とか食べれる物にはなったけどオムライスは微かな苦味の
あるものになってしまった。

全部、俺の目の前で嬉しそうにオムライスを食べている宅見のせいだ。

玉ねぎの焦げ付く匂いに慌てたのは俺で。

俺の唇が宅見の唇に触れることはなかった。


「…母もよく失敗していた」

少し苦味のあるオムライスを食べながら懐かしそうな口調で言う宅見の母という言葉に
オムライスが宅見にとって意味を持つ食べ物だということが分かった。

何故なら宅見は“失敗するんだ”ではなく“失敗していた”と過去形で言ったんだから。


「あんたのお母さんって…」

「母は俺が九歳の時に家を出て行った。学校から帰ると台所のテーブルの上に俺の
 好きな物ばかりが並んでいた。父と母が離婚するなんて子供の俺には知らされなかった」

苦笑を浮かべながらの口調は淡々としたものだった。

「元々、政略結婚みたいなものだったからな。あっさりしたものだ」

結婚は好き合った者同士がするという俺の中の常識は宅見には常識には思えないんだろう。

「…あっさりって。そんなの分からないだろ?お袋さんとは会ってないのかよ」

出ていく前に子供の好物を残していく母親があっさり子供への気持ちを断ち切っていたとは
思えない。

「母とは会っていない。母には男がいたんだ。今もその男と一緒に幸せに暮らしてるさ」

会ってはいないものの母親の近況は分かるらしい。
宅見の言葉から俺はそう思った。

「どこにいるのか分かってるなら尚更、会ってみてもいいんじゃないのか?」


きっと宅見は誤解してる。

他人の家のことに口出しするのはどうかと思ったが俺は思わずそう口にしていた。

「今更、母親を恋しがる歳でも無いだろう」

「でも…」

「食事中に詰まらない話を聞かせて悪かった」


年齢なんて関係ない。

母親に拘りがないならどうして食べたい物を聞いた時に普通のオムライスじゃなくて母親が
良く作っていたオムライスと答えたのか。

一番食べたい物が母親が自分の為に作っていたオムライスだなんて。
宅見の心に少しでも母親のことが残ってるからだ。

そう、自分でも気付いて無いだけだ。


「君の家族の話を聞かせてくれないか?」

言いたかった言葉は宅見が話を変えたことで口には出来なかった。




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