… DOLCE VITE … 14










曲は五感を沸騰させるような音楽からまるで五感を蕩けさせるような音楽に変わり、それに
合わせ、俺の周りで踊っていた人々の身体の動きは変わった。

特に踊りたいという気持ちがあった訳じゃない。
只、カウンターから離れたかった。
一成の宅見に寄せる艶を含んだ視線とそんなことには慣れているのかそれをサラリとかわす
宅見に何故か苛立ったから、踊ってくる、なんて言ってフロアに出てきただけの俺は周りに
合わせダラダラと身体を動かした。
俺と同じように俺の周りの人間も気だるげに身体を動かしている。
全てがフロアに向けられているおぼろ気なライトと混同して、まるで印象派の絵画のようで俺は
一滴のアルコールも口にしていないのに酔ったような感覚になった。
そんな不思議な感覚が楽しくてさっきまで意識して見ないようにしていたカウンターに目を
向ける。
フロアからそう遠くないカウンターでは独りになった宅見がカウンターに肘を付き、煙草を
指に挟んだ姿で俺を見ていた。
その宅見の俺を見る目は怒っているようで困ってるようで。
宅見の複雑な表情に俺の訳の分からない苛立ちは治まっていった。
苛立ちが治まってきたことと久し振りに人の熱気に当てられ少し疲れた俺はもうカウンターに
戻ろうと思って足をカウンターの方に踏み出した。
その時だった。

「お久し振りです」

背後から掛けられた聞き覚えのある声に俺は振り返った。

「あぁ、久し振り」

「最近、智春さんに会えなかったから寂しかったんですよ」

柔らかい微笑みを浮かべ俺を見下ろしているのは三年前にここで知り合った涼だった。

「寂しい?嘘ツケ」

「酷いな。嘘だなんて」

まだ二十歳にしかなっていないのに世の中の仕組み全てを悟り切ったような涼しい顔をして涼は
笑った。

「お前は嘘臭い」

「久し振りに会えたのにつれないなぁ」

わざとらしく傷付いた表情を浮かべながらも涼の腕はさりげなく俺の腰に回された。

全てがさりげなくて嫌味がない。
涼のこういう洗練された動作と掴み処の無さを俺は気に入っていた。


「相変わらずキレイですね」

漢字の“綺麗”ではなくカタカナの発音で“キレイ”と言う。
そのどこか投遣りな物言いに俺は微かに笑った。

「又、フラれたのか?」

「……智春さんには敵わないな」

涼しげな大人びた表情が一瞬だけ年相応の表情になる。

「又、前みたいに慰めてくれますか?」

「やだね」

その気の無い涼の言葉遊びをあっさりと切った俺に涼は年相応の微笑みを浮かべた。

昔、俺は一回だけ涼と寝たことがある。
若気のいたりというか酔った勢いというか…
しかも知り合ったその日に。

何故だかは思い出せないが俺はその日かなり酔っていた。
酒自体は楽しい酒で、たまたま近くにいた涼に俺は自分から話し掛けていた。
その後のことはうっすらと憶えている。
散々、涼と飲んで盛り上がって気が付いた時には涼のマンションのベッドの上にいた。

『フラれたんです。慰めて貰えますか?』

涼の皮肉めいた笑顔とは裏腹の泣きそうな声に俺は自分から涼を引き寄せ唇を重ねていた。

世の中には不思議な縁というものがある。
自分でも不思議だけどセックスをしたのに涼には恋愛感情を抱かない。
それは涼も同じようで誘うセリフを口にはするものの恋愛感情がないのは涼の口振りから
分かる。

そう、俺達の間には友情しか存在しない。
セックスから始まった不思議な友情だけ。


「…あの人のせいですか?ツレナイのは」

まるで猫がじゃれつくように軽く俺に体を寄せると涼は俺の耳元で囁いた。
涼の言葉に視線を又、宅見に向ける。
さっきまで困ったような顔をしていた宅見は一転して射るような鋭い視線をこっちに向けていた。

「殺されそうだ…」

涼は唇を俺の耳元に寄せたままで又、囁くとクスクスと笑い出した。
見掛けも実際もイイ所の坊っちゃんの癖に涼は捻くれている。

「まだ死にたくないので今日のところは智春さんを諦めます」

涼はすっかり二十歳のガキになっている。
言葉にも顔にも楽しくてしょうがないといった雰囲気がありありと現れている。

「…ガキ」

その涼の様子に呆れて溜め息混じりに吐き捨てた俺の額に涼はわざとらしくキスをすると

『今度は怖い人がいない時に会いましょう』

という言葉を残してフロアから離れていった。




































カウンターの俺の横で宅見はさっきから押し黙ったままバーボンのロックを飲んでいる。
こういうのを分かり易い奴っていうんだろう。

俺はというと不機嫌モロ出しの宅見の横顔を肴に好きなギブソンを三杯飲み干し、四杯目も
もう無くなろうとしているところだ。

四杯目のギブソンは確実に俺の身体に染み込んで脳にまわってきたアルコールに心も身体も
ふわっと軽くなっていく。

何故だか無性に楽しくなってきた。
急に楽しくなってきた理由をアルコールに浸された頭で考える。

そうか。

ずっと振り回されてると思っていた宅見を振り回すことが出来て楽しいんだ。
ここに宅見を連れて来てから見た宅見の困った顔と不機嫌な感情剥き出しの顔に宅見を自分の
ペースに巻き込めた気がして俺は楽しいんだ。

脳が導き出した答えに俺は又、楽しくなって宅見の肩に凭れ掛かり、宅見の顔を覗き込んだ。
急に現れた俺の顔に宅見は少し顔を顰めた。

「あんたってまるでゴッホの絵みたいだよね」

薄暗いクラブのライトが宅見の顔の上に微妙な陰影を作って不思議な雰囲気を醸し出している。
しかし、それは印象派のようなぼやけた雰囲気ではなくゴッホの絵のようなどこか不器用ながらも
存在感のある雰囲気で、俺はまるで子供が珍しい物を発見して怖いと思いながらも触れずには
いられないように無意識に宅見の顔に手をのばしていた。

「…おい?」

訝しがる宅見を無視して指で宅見の顔の輪郭をなぞる。

「ライオンみたいだ」

朝に剃っただろう髭が少し伸びて少しだけザラッとした肌の手触りに俺は又、楽しくなってきた。

「…酔ってるのか?」

しかし、俺の指の冒険はすぐに宅見の手に掴まれ止められた。

「酔ってない」


俺は酔ってない。

多分…


「ライオンのくせにネクタイしてるなんて変だ」

思い通りにさせてもらえないことが癪で俺は宅見の手から自分の手を引き抜くと宅見のネクタイを
ふざけて外した。

「おい…」

ネクタイを手に持ちクスクス笑い出した俺を宅見は困ったように見ている。
しかし、宅見は怒りはしなかった。

「君には驚かされてばかりだ」

困ったように笑う宅見の目尻に笑い皺が出来る。

「日本酒じゃ酔わないのにギブソンだと三杯で酔うのか?」

苦笑したまま俺の手から宅見が自分のネクタイを取り返す。

酔う?
俺が?

そう言えばさっきから身体がフワフワと気持ちいい。
宅見の困った顔が楽しくてしょうがない。


「…わかんない…でもあんたと初めて飯食った時は警戒してたから…」

気を張って飲んでる時は人間は酔わないものだ。

「じゃあ今は警戒してないのか?」


じゃあ今は…?

今は…

返事をしようと思うのにすぐに言葉が出ない。

今は

俺は宅見を警戒していない?


「…わかんない」

宅見のスーツを握ったまま俺は宅見を見上げた。

「…君は残酷だな」

そこには少し切なそうなゴッホの絵に似た宅見の顔があった。




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