… DOLCE VITE … 12










「ミルクと砂糖は?」

「いや、ブラックで」

俺のワンルームマンションで少し所在なげにベッドに背中を凭れ掛けている宅見の
前に俺は淹れたてのハワイコナのコーヒーを置いた。

スーツのジャケットを皺になるからハンガーにと言った俺に宅見は構わないと言って
自分の隣にそれを置いた。


「煙草を吸ってもいいかな?」

律儀に俺に許しを問う宅見に俺はテーブルの端にある灰皿を宅見の前に引き寄せた。
宅見は灰皿が差し出されてからマルボロのボックスから煙草を一本取り出すとそれに
ライターで火を点けた。

立ち去ろうとする宅見の背中につい引き留める声をかけてしまったけど何から話を
切り出せばいいのかなんて考えてなくて。
無言で煙草を吸う宅見に俺も黙ってコーヒーを飲み始めた。

俺と宅見、二人の間には静かな空気だけが流れた。

だいの男が二人、八帖程の部屋で向かい合って黙ってコーヒーを飲んでいる光景は人が
見たら不思議に思うだろうと思う。
しかし、そんな妙な沈黙が俺は決して嫌ではなかった。

静かに黙って煙草を吸う宅見もその宅見の隣にある軽くたたまれたスーツジャケットも
まるで一枚の絵のようで。
自分の部屋の中に当たり前のように存在している一枚の絵を俺はコーヒーを飲みながら
観覧者のように眺めていた。

そんな俺のコーヒーが半分ほどに減って宅見が煙草を吸い終わった時だった。
自然に何の気負いもなく穏やかに俺は宅見に尋ねていた。

「…保証人、なったんだって?」

俺の質問に宅見は俺を見るとふっと笑った。

「始めから保証人にはなるつもりだった」

俺の質問への答えのようで宅見の返事は俺の質問への返事とは微妙にニュアンスが
違っていた。

「じゃあ、なんであんなこと…」

最初から保証人になるつもりだったのならどうしてあの日、宅見は俺にあんな条件を
出したのか。

保証人になって欲しかったら自分と寝ろだなんて…


「芳賀が一番大切にしてるものを奴から奪ってやりたかった」


康彦さんの一番大切にしてるものを奪る?

静かに話し出した宅見の言葉に驚いて俺は宅見を見詰めた。
康彦さんと宅見は高校時代からの友人の筈だ。
それに康彦さんの一番大切にしているものが俺とは限らない。

「バーで初めて君を見た時、芳賀が君をどれだけ大切にしているかはすぐに分かった」

「だからって、なんで…?」

仮に康彦さんの一番大切にしているものが俺だとして、そんなことをして宅見に一体、何の
得があるんだろう。

「アイツはすごい奴だ。誰にでも平等に優しくて。教師ですら見捨てた俺にもなんの
 打算もなく接してくれた」

本当に大切な友人のように康彦さんのことを話す宅見の口振りは嘘には思えなかった。

「そんな俺とは正反対のアイツが羨ましくて、俺が持っていないものを持っているアイツに
 憧れながらも俺はずっとアイツを妬んでた」


憧れながらも妬んでいた。

そう言った後、自嘲気味に笑う宅見の顔はどこか寂しそうだった。


「しかし、大切な友人だと思う気持ちも嘘じゃない。だから、アイツから事務所が
 危ないということを聞いた時には本気で心配した。でも、本気で心配しながら心の
 どこかで喜んでいた…」

今までの掴み処のない表情でも言葉でもない。
今の宅見は本当の何の誤魔化しも繕いもない宅見だった。

「アイツの大切にしてる君をアイツから奪ってやればアイツに勝てるんじゃないかと思った。
 アイツに勝ちたかった。最低な男だろう?俺は…」

初めて繕いのない宅見の言葉を聞いた俺はあの日のタクシーの中での康彦さんの言葉を
思い出していた。
あの日の康彦さんのあの台詞は宅見の台詞とダブっていて。
宅見と康彦さん、二人の微妙な関係を俺は悟った。

お互いの持っていないものをお互いに見い出し、二人は相手に対しコンプレックスを
抱き合っていた。
それは俺が感じたことのない感情で、俺は軽く溜め息をついた。

「あんただけじゃないよ。康彦さんもあんたと同じことを言ってた。あんたは自分に
 無いものを沢山持ってるって」

「…芳賀が?」

宅見の顔には驚きの表情が浮かんだ。

「あんたも康彦さんもさぁ、なんで、そんな風に考えるんだよ。あんただって
 康彦さんだって同じ人間じゃないんだから違うのは当たり前だろ?」

驚いた表情のまま宅見は俺を見ていた。

「康彦さんには康彦さんのいい所があるし、あんたにはあんたのいい所がある。
 あんたのいい所は康彦さんには無いだろうし、康彦さんのいい所はあんたには
 無い。それでいいんじゃないの?」

俺だって他人に嫉妬を感じたことがなかった訳じゃない。
美大に行ってた時も社会に出てからも俺なんかでは創造出来ない作品を見ると羨望を
感じる。
同じ人間なのに何故、そんなすごい発想が湧き出るのかと。
でも、いくら嫉妬したところでその作品を創った人間になれる訳じゃない。
それに俺がその作品を創れないように俺の創る作品だってその人には創れない。
それでいいんじゃないんだろうか。

友達なのに互いに引け目を感じ合ってコンプレックスを抱きあってるなんてナンセンスだ。
そう思って言った俺の顔を宅見は、まじまじと見てから苦笑を洩らした。

「…君は強いな。芳賀が君に夢中になるのも分かる気がするよ」

ぽつりと呟かれた宅見の言葉と俺を見つめる切なげな瞳に何故か俺は居心地の悪さを感じた。

「別に強くないよ。あんたと康彦さんが、ごちゃごちゃ考え過ぎなんだよ」

宅見の切なげな瞳に自分でも説明出来ない不思議な感情が湧いて来て。
その感情に戸惑って、俺はわざと素っ気無い言い方をした。

「…旨いな」

自分の中のわだかまりを全て曝け出したからなのか宅見は微かに微笑うと冷めただろう
コーヒーを飲み出した。

余裕のある笑顔も不躾な言葉も全ては劣等感を隠す為の強がりかもしれない。

静かに俺の煎れたコーヒーを旨いと言って飲む宅見を眺めながら俺はそう思った。
本当は劣等感だらけの少年のようだと考えながら宅見を見るとこのワンルームに不似合いな
宅見の纏っている高そうなスーツは劣等感だらけの宅見を守っている唯一の鎧のように思えた。




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