… DOLCE VITE … 11










『君が、いつも行っている所に連れて行って欲しい』


そう言った宅見を俺はマンション近くの惣菜屋兼居酒屋の『ぼたん』に連れて行った。

『ぼたん』はカウンター席とテーブル席が二つあるだけの小さな店でカウンターの上に
並べられた大鉢に盛られた女将さん手作りの惣菜が自慢の店だ。
安い上に女将さん手作りの惣菜は、どれも美味しくて懐かしい味がする。
その上、家族できりもりしている店は常にアットホームな暖かい空気が流れていて
この町に一人で暮らし始めてから『ぼたん』は俺の行きつけの店になっていた。


いつものように暖簾をくぐって引き戸を開ける。
店の中から女将さんと娘さん達の「いらっしゃいませ」という声が聞こえてきてその声に
俺は「こんばんは」と返して宅見と一緒にカウンター席に座った。


「智春ちゃん、いらっしゃい。智春ちゃんが人と一緒なんて珍しいわね」

ふくよかな顔に柔らかい笑顔を浮かべた女将さんに俺は笑い返した。

「うん。美味しい物が食べたいって言われたからここに連れて来たんだ」

「おだてたって何にも出ないわよ。ねぇ」

俺の言葉に女将さんは少し笑うと同意を求めるように宅見を見た。

「そうですね」

女将さんに突然、話を振られた宅見は少しぎこちなく返す。

「こんなおばあちゃんにそんなに緊張しなくてもいいわよ」

宅見の緊張をほぐす為に女将さんは優しく笑い冗談を言う。

「いや…」

その女将さんのさり気ない気遣いに宅見は少し照れたみたいで困ったように俺を見た。

本当に変な男だと思う。
周りを威圧するほどの鋭い雰囲気を放っているくせにこんな些細なことで照れるなんて。

「おばちゃん、俺、生中ね。あんたは何にする?」

そんな照れて困っている宅見は少し可愛くて俺は宅見を助けるように宅見にお品書きを
渡した。

「俺も同じで」

「じゃあ、おばちゃん、生中二つね」

「はい、生中二つね」

宅見の分も注文した俺に女将さんが注文を確認する。
取りあえず飲み物の注文を済ませた俺は宅見に渡したお品書きを覗き込んだ。

「で、何、頼む?」

「君のお勧めは?」

「うーん、ここは何でも美味しいからなぁ。あ、肉じゃがは?」

「……」

お品書きを見ながら肉じゃがを勧めた俺に人参が入っていることを気にしたのか宅見は
少し眉間に皺を寄せた。

「人参は俺が食うから」

「…わざとじゃないだろうな?」

「違う違う。ここの肉じゃがは本当に美味いの」

顔を顰める宅見に俺は笑いながら返す。

「じゃあ、それにしよう」

まだ少し疑っている、という雰囲気を残しながらも宅見は頷く。

「じゃあ、肉じゃがと…後は何にする?」

「そうだな…」

次の料理を決める為に一つのお品書きを二人で見ながらあれにしようかこれにしようかと
肩を寄せ合いながら二人で悩む。
そんななんてことはない些細なことが何故か俺は妙に楽しかった。
そう言えば康彦さんとはこんな風に二人で何を頼むか一緒に悩んだことはなかった。


『智春の好きな物を頼もう』


俺の好物を知っていた康彦さんはいつもそう言って俺の好きな物を注文してくれた。
今まで考えたこともなかったけど康彦さんは何が好きだったんだろう。
そして、苦手な物はなかったんだろうか。

宅見と出会ってなければこんなことにはきっと気付きもしなかった。
何を気にすることもなく当たり前だと思っていたことは当たり前ではなかった。

康彦さんはやはり、大人で大きくて俺を優しく包んでくれていた。






























お品書きを見ながら色々言い合った末に俺達はお互いの好きな物を五品ほど選んだ。
そして俺達はそれらをあてにビールを飲みながら当たり障りのない会話を交した。

女将さん手作りの惣菜を宅見は絶賛し、嬉しそうに食べた。
ジョッキが空になる頃には宅見はスーツジャケットをイスの背にかけ、ネクタイを緩め、
寛いでいた。
その宅見の寛いだ様子に何故か俺の心も寛いでいった。

宅見は女将さんにも慣れたのか女将さんに時折、話しかけられると気さくに応じて会話を
楽しんでいた。
野菜類が苦手な宅見を女将さんはまるで自分の子供に言うように

『野菜は体に必要なのよ。自分の体を労ってあげられるのは自分だけなんだから』

とたしなめていた。

体格のいい宅見が小さな女将さんに叱られてバツが悪そうに笑う姿は微笑ましくて、
俺は静かに笑った。
全てが穏やかで和やかで楽しくて、宅見はひどく穏やかな笑顔を浮かべ、店を出る時には
女将さんに

『又、寄せて貰っていいですか?』

と尋ね

『寄せて貰うなんて他人行儀ね。いつでもいらっしゃい』

と返され、一瞬だけ泣きそうな笑顔を浮かべた。

































『ぼたん』を出た俺達は『ぼたん』から歩いて五分の俺のマンションに向かって静かに
なった住宅街を黙って歩いていた。

何故、康彦さんの保証人になったのか何故、あんなキスをしたのか。
聞きたいことはずっと頭にあるのに。
それらを口に出せないまま俺は宅見と並んで歩いていた。

お互いに会話を交すことなく黙々と歩く。

五分なんて距離は短くて。
あっというまに辿り着いたマンションの入り口の前で俺は立ち止まった。

「このマンションだから…」

「あぁ、今日は楽しかった。久し振りに寛いだ。ありがとう、君のお陰だ」

スラックスのポケットに手を入れたままで静かな笑顔を浮かべて言う宅見のありがとうと
言う言葉に何故か胸が切なくなった。

「…じゃあ」

少し間を空けて宅見が別れの言葉を口にして立ち去ろうとする。
動きかけた宅見の足を見た途端、何か自分でも説明出来ない感情が俺を突き動かした。

「コーヒーでもっ」

突然の俺の言葉に宅見は少し驚いたように俺を見た。

「…コーヒーぐらい出すから、寄ってけば」

思わずそう言って、そうだ、まだ保証人に何故なったのか聞いてない、と頭の中で急いで
付け足した。

「…いいのか?」

尋ね返す宅見に俺は頷いていた。




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