… deep in a dream … 2






二十分程走ってタクシーが滑り込んだ場所は都内でも有名なホテルのエントランスだった。

タクシーの運転手に男が告げた行く先をよく聞き取れなかった俺は又、どこかのバーででも
飲み直すのだろうと思っていた。


それなのに何故、ホテルに。


不思議に思い視線を隣の男に向ける。

俺の視線を受け止め、男は軽く微笑む。

「私の部屋で飲み直すのは嫌かな?」

男はホテルの部屋を自分の部屋だと言った。


住む世界が違いすぎる。


そんなことが頭をよぎる。

「君にいい返事を貰えれば嬉しいんだがもし迷惑なら、このまま送って行こう」


口調は変わらず優しいのに何故か突き放されると思った。


この誘いを断れば二度とこの男と会うことは無いだろう。
そんな気がした。

そして、それは耐えられないことのように思えた。

出会ってまだ、三時間も経っていないのに。

俺は男にどう表現していいか分からない感情を抱いていた。

「…いえ…僕は構いません」

このまま、会えなくなるのは嫌だ。
そのことしか俺の頭には無かった。

「いい返事を貰えて良かった。では、私の部屋に案内しよう」

男はそう言って微笑んだ。

























エレベーターを降り、男の少し後ろを歩く。
少し歩いて辿り着いたドアの前で男は慣れた仕草でカードキィを取り出すとそれをドアに
差し込んだ。

男の手によってドアが開けられる。

「どうぞ」

男のその言葉と視線に促されるまま俺は部屋の中へ足を踏み入れた。

背後から聞こえる微かなドアの閉まる音に何故かこれで後戻りは出来ないといった考えが
頭をよぎったがそんな考えは部屋の中を見た途端、きれいに消えた。

男が自分の部屋だと言った部屋は俺の住んでいるワンルームのマンションなんかよりも広くて
豪華だったからだ。
右側にある扉の向こうには豪華な調度品がセンス良く配置されているリビングルームが見えている。
しがない三流大学を出て小さな商社で働いている俺とこのホテルの部屋を自分の部屋だと言う男。

こんな場所にそんな男と一緒にいる。

それはまるで夢みたいで…

一瞬でもこの男とこれからも会えるかもしれないと思った自分を俺は身の程知らずだったと
後悔した。


全ては今日限りの夢だ。

深くて淡い今宵限りの夢――


この男の気紛れに付き合ってこの部屋を出れば又、明日からはいつもと何も変わらない日常が
俺を待っている。
そう、きっとこれから先、俺の人生の中で今日みたいな出来事は起こらない。
それは当然のことなのに。
何故か少し心の奥が痛んだ。

「どうかしたのかな?」

突然、湧き起こってきたいたたまれない気持ちに部屋の中で立ち尽くす俺に男が問掛ける。

「…いえ…驚いてしまって…まるで、夢を見てるみたいで…」

何か返事をしなければと慌てて言葉を紡ぎ出した俺に男の軽く笑う声が聞こえる。

「…夢か。じゃあ、これも夢かな?」

俺の真後ろにいた男の手が俺の肩に置かれる。
男の言葉を聞き直そうと振り向いた俺の唇は振り向いたと同時に男の唇で塞がれていた。

明らかに女性とは違う唇の感触。
同性とキスをしたことなんて無かった。

やんわりと抱き締められ唇を軽く吸われる。
自分と同じ男で出会ってまだ四時間も経っていないのに。
不思議と嫌悪感は無かった。

いや、本当は分かっていた。
この部屋に入った時からこうなるのではないかと頭の隅で俺は予測していた。
そして、俺はこの男とこうなる事を無意識に望んでいたからこそ、男の誘いを受けた。

全てはこの男をバーで見た時から始まっていた。


「驚かせてしまったかな?」

短いキスが終わり男の唇が離れる。
優雅に微笑む男の顔を俺は見詰めたまま動くことも答えることも出来ずにいた。

「そう言えばまだ、名前を聞いていなかった。君の名前は?」

「……清水美希(よしき)…です」

「どういう字を?」

「…美しいの美に希望の希…」

「美しい希望か、いい名前だ」

俺の唇を親指でなぞりながら聞く男にお互いまだ名前さえ知らなかったことに俺は気付いた。

「私は伊原政貴(まさたか)。先に自己紹介をするべきだったかな」

「…伊原さん…」

「政貴で構わない」

「…政貴さん…どうして…?」


俺なのか。

男の俺なんか相手にしなくても綺麗な女性は沢山いた。

あのバーでその沢山の綺麗な女性の視線を集めていたのに…

何故、俺なんかを。


「…あの…」

そういう嗜好の持ち主なのだろうか。
それならそれでもっと彼の気を惹きそうな人間もいたのに。

「運命には逆らえないと思わないか?」

それは答えのようで答えにはなっていないような気がした。

「…僕は」

「同性と関係をもったことは?」

「…ありません」

俺をはぐらかすように彼は問掛ける。
俺の唇をなぞっていた指は離れ、代わりに彼の手が俺の頬を包んだ。

「君は何も心配しなくていい。全て私に任せていればいい」

どうして良いか分からず彼を見上げた俺に彼はそう言った。

「…全て?」

「そう、全てだ」




―全て私に任せていればいい―



その彼の言葉が俺の心を捕える。

小さな頃から何かを創造するということが苦手だった。
例えば、教師いや親でもいい、に白い画用紙を渡され言われる。



「自由に自分の好きなように書いていいよ」



まるで貼り付けたような笑顔で大人達は俺を見ている。
その笑顔と言葉に俺の頭は渡された画用紙のように真っ白になる。
自由に好きなようにということが分からない。


どうして、誰も教えてくれないのだろう。

俺は書きたいものなんて無いのに。

誰かが教えてくれればいい。

俺が描くべきものを。

大人達が笑顔の下で俺に期待しているものを誰か教えて―



画用紙は白いままでそこに線が色が俺の世界が描かれることは無かった。



創造するという行為の前で戸惑い、身動き出来なくなる俺を親は諦めた。



「好きにしろ」

親の望んだ大学の受験に失敗し、滑り止めの大学に辛うじて合格した俺に父はそう言った。

自ら何かを創りだすことも出来ないうえに期待にも答えられない。

この社会の中で俺は必要のない人間のような気がした。






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