… 
breathe … 1










『君と寝てみたいな』


馴染みの店で初めてみる顔に自分でも信じられないくらいスラリと言葉が零れた。

夜の世界には溢れてる華やかな美しさとは少し違う美しい顔立ちに直ぐに手に
入れたくなった。
右目の下にある泣きボクロを快楽の涙で濡らしてみたくなった。

好きだの綺麗だの、そんな口説き文句は聞き慣れてるだろう獲物の興味を惹く為に
わざとストレートに普段は言わない口説き文句を口にした。

俺の言葉をかわすセリフはそれなりだったが華やかな顔立ちに似合わず、物慣れてない
ことは何度か会話を交すうちに分かった。
ついでに相手がいることも。

相手がどんな人間かは分からないが引き下がるつもりは更々ない。

チャンスは必ず訪れる。

そして、俺はそのチャンスを手に入れた。



























「巧己君は本当にいい子だよな」

高校時代からの友人の梶(かじ)が嫌味な口調で俺に言う。

「当然だろ?俺が選んだ相手だからな」

それをさらりと受け流す。

「お前って奴は…あんなにいい子を騙してて良心は痛まないのか?」

眉間に皺を寄せて尚も俺に突っかかる友人に俺は笑みを浮かべた。

「騙す?人聞きの悪いことを言わないでくれ」

騙すだなんて冗談じゃない。

「結果的に一緒なんじゃないのか?」

梶は俺を責めながら軽い溜め息を洩らす。
どうやら、余程、梶は巧己のことが気に入っているらしい。
だけど、それも無理はない。
なんせ、巧己はこの俺が一瞬にして心を捕われた相手なんだから。

「知らない方が幸せなこともあるさ。相手の全てを知ることが幸せだとは
 限らない、だろ?」

知らなくてもいいことを無理に知る必要はない。

「さすが、法廷では負け知らずの有吉弁護士先生だ。言うことが俺のような
 凡人とは違う」

嫌味たっぷりの梶に俺は苦笑を返す。
どうやら、簡単には許して貰えそうにない。

「その優秀さを買われたからこそ、有吉先生は関東一の広域指定暴力団の
 顧問弁護士をしてる訳だ」

「悪いが顧問弁護士をしてるのは父で、俺は只の補佐だよ」

いずれはそうなるかもしれないが父はまだまだ現役だ。

「それに俺が顧問弁護士をしてるのは只の金融会社だよ」

「ナニが只の金融会社だ、興仁会のフロントだろうが」

確かに株式会社レイ傘下の株式会社フクトミは経営人に興仁会の人間の名前は
一切ないものの実際は興仁会の金庫という役割を担っている会社だ。
しかし、書類上で興仁会とフクトミは何の繋がりもない。
俺が顧問弁護士をしている株式会社フクトミは表向きは只の一消費者金融会社だ。

「尊敬してるお前がヤクザの会社の顧問をしてるなんて知ったら巧己君は
 ショック受けるぞ」

俺を批判する口調は、いつしか巧己を心配する口調に変わった。
その梶の心配を少しでも軽くするように俺は微笑んだ。

「隠し通す自信はあるさ。一生ね」

「一生…お前の口からそんなセリフが聞けるとは思わなかったよ。本気なんだな」

梶の驚いた顔が苦笑に変わる。

「一緒に住みだしたかと思えば学校にまで行かせて…確かに今までとは違うと
 思ってたけどな」

一番驚いてるのは俺自身なのに、梶は自分が一番驚いてるような口振りで言った。

「何時までもあんな所で働かせておく訳にはいかないだろう?それに学校に
 行くことは本人だって望んでたことだしな」

巧己は今、バーを辞めて、昼間にカフェを開く為のノウハウを教える専門学校に
行っている。
昼間働いて夜間の専門学校に通うと言った巧己を説得したのは俺だ。

「本人が望んだって、どうせ、お前が上手く言いくるめたんだろうが」

「人聞きが悪いな。俺と一緒にいる以上、働く必要はないだろう?勉強だけに
 集中出来る環境があるんだからそれを利用すればいい」

当初、巧己はそれを嫌がった。
俺に迷惑はかけられないと。

「それで、専門学校の費用を出してやって、自分のマンションに引越させてか…」

非難を含んだ声音だった。

「そうやってお前は巧己君から自分以外のモノを取っていく気なのか?」

梶の推理は当たっていた。

「別に全てを取る気はないさ。学校で出来た友人達と遊びに行くことも反対は
 してないし、ここでのバイトだって許してる」

“許してる”という言葉が何の違和感もなく自然に出るくらい巧己を自分のモノだと
確信してる自分に気付かないほど、俺はバカじゃない。

「許す、ねぇ。お前は一体、巧己君をどうしたいんだ?」


どうしたい?

とうの昔にそんなことの答えは出てる。

「俺の手の内にいるのなら、多少のことは構わないさ。友人と遊ぶことや
 バイトくらい…」

そう、そんなことは気にするまでもない。

「でも…」

「でも?」

俺の手の中から逃げようとしたら…

「いや、何でもない。いずれ、巧己に出させるカフェの場所も目星は付いてる」

頬杖をつき、微笑んだ俺に梶は諦めのような深い溜め息を吐いた。

「とにかく、今、ここは巧己君が来てくれてることで助かってるんだ。
 あの子は人を惹き付ける力があるからね。いずれは手放さなきゃ
 いけないことは分かってるけど今はまだ、アルバイトとは言えうちの
 従業員なんだからな」

巧己と出会った人間は必ず感じるだろう感覚を梶も感じている。

只、その感覚が恋愛になるか師弟愛のようなものになるかの違い。

「安心してくれ。巧己を傷付けるようなことはしないさ」

「…今の言葉、忘れるなよ」

梶の念押しに微笑みで返す。
そんな俺のジーパンの後ろポケットで携帯が震えた。

「噂をすれば、か」

取り出した携帯には巧己からのメールが届いていた。




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