… アマイドク … 1






「鹿島のばかっ。もういいっ。鹿島よりカッコイイ人と浮気してやる!」

怒ってるというよりは泣き声に近い声で怒鳴って恋人は携帯を切ってしまった。
普段は有り得ない恋人のキレ方に慌ててリダイアルをする。

しかし、携帯から聞こえてきたのは何の感情もこもっていない携帯会社の留守電の
メッセージだった。

「…嘘だろ…?」

喧嘩をしたのは今回が初めてじゃない。
でも、ここまで観月が怒ったのは初めてだ。
それくらい観月は傷付いている。
携帯の電源を切られたことよりも観月を傷付けたことの方が俺の心を重くした。



金曜日の夜だけあって繁華街は行き交う人々で賑やかだ。
こんな賑やかな街で観月は独りで二時間も俺を待っていた。


一年に一度の自分の誕生日に独りで。


そんな観月の心細さを思い、携帯を手に握ったまま俺は観月を見付ける為に人混みの中を
走り出した。








































「誕生日は二人で祝おう」

付き合いだして初めて迎える四月四日の観月の誕生日に俺はそう提案した。

「本当?一晩中、一緒にいれる?」

「鹿島と一緒にいれるなら他には何もいらない」

まるで子犬のような笑顔を浮かべ、大きな瞳を輝かせてとても嬉しそうに観月はそう言って
喜んだ。

「…でも、鹿島より先に十八歳になるんだよね」

以前、四月生まれが嫌だと観月は言ったことがある。
新学期にはクラスメイトの誰よりも早く一つ歳をとってる。
それが嫌な理由だと言っていた。
俺にしてみればなんてことは無い理由だが本人にとっては一大事らしい。

「鹿島は七月生まれだから分からないんだよ」

そう言って膨れた姿が子供ぽくて、観月らしくて俺は

「今年は俺が一緒だろ?楽しい誕生日にしよう」

と言った。


















プレゼントも買った。

ディナーを買い込んでワインも買って、ケーキも買って観月が行きたいと言っていた
ブティックホテルで朝まで一緒に過ごすはずだった。

のに…

今、俺は独りで夜の繁華街を走っている。
観月が行く所なんて分かり切ってる。

「浮気してやる!」

最後の捨て台詞に思い浮かんだのは俺達が出会ったクラブだった。
自分が居た場所からそう遠くないそのクラブの場所に向けてひたすら走る。

必死だな、と自分でも思う。

どうしてこんなに必死になってるんだ?

待ち合わせに遅れた原因の説明もさせてもらえず携帯を一方的に切られ、浮気宣言まで
されて今までの俺なら自分が悪くてもきっと、勝手にすればいいと無視しただろう。

なのに、俺は走ってる。

ひたすら走ってる。

理由は簡単過ぎて今更、認めるのも馬鹿らしい。

簡単過ぎる答え――

それは相手が観月だからだ。


観月と出会ってから俺は観月に振り回されっぱなしだ。
悪気なく俺を誘惑し、悪気なく俺を振り回す。
悪気がないだけに余計、タチが悪い。
観月はタバコの代わりに俺の精神安定剤になると言ったけどそれは無理な話だ。
観月が俺の精神安定剤になることは多分、一生ないだろう。

あんなに甘くて心臓に悪い精神安定剤なんてあり得ない。


精神安定剤どころか俺を痺れさせる、観月は甘い毒だ。














































辿り着いたクラブの入り口に続く階段の周りには金曜日の夜にしては珍しく人が少なかった。
階段を3m先にし、立ち止まって息を整える。

半地下になっている入り口に向けて一歩踏み出そうとした俺の目に映ったのはホスト風の
男と一緒に丁度、階段を上がってきた観月の姿だった。

男はしきりに観月に何かを話し掛けている。
その男を無視するように少し俯いて俺がいる方向とは反対に歩き出した観月に男は
しつこく纏わり着いている。

二人とも俺には気付いていない。


見付けた。

やっと出会えた観月の姿に俺の口からは安堵の溜め息が洩れていた。

「…まったく」

心配させて。

ちゃんと遅れた理由を説明して二人で誕生日を祝おう。

そんなことを考えながら苦笑し観月を連れて帰ろうと二人に近付く。
観月を呼ぼうと口を開きかける。

「…やっ、なにっ…!」

そんな俺に聞こえたのは男に強引に身体を引き寄せられビルとビルの間に連れ込まれそうに
なった観月の抵抗の声だった。



…心臓が凍るかと思った。



観月の腰に回された男の手にその男への殺意が湧き起こる。

俺は生まれて初めて人を殺してやりたいと思った。

数え切れないくらいケンカもしたが他人に対してそこまでキレたことは無かった。

今、この場所に冷静な俺は存在していなかった。


「…離せよ…」

二人に近付き男の肩を掴んで振り向かせる。

「鹿島…?」

「なんだ、お前?」

俺の名前を呼ぶ観月の声と男の声が重なる。

「嫌がってるだろ」

「お前に関係ないだろーが」

肩を掴んだ手は払い落とされた。

「鹿島、違うからっ」

俺のケンカを一度だけ見たことがある観月は俺を止めようと俺に抱きついてきた。

「なんだよ、お前ら知り合いかよ。やってらんねー。誘ってきたのそっちだろ?
 物欲しそうな目で見てきたくせにさぁ」

その男の言葉は簡単に俺を煽る。

「…もう一度言ってみろ」

観月を押し退けた俺に男はふざけた笑いを浮かべた。

「熱くなんなよ。あんたもその可愛い顔に騙されてんじゃねーの。案外、二股とか
 してたりしてさぁ」

顎で観月を指し示し観月を侮辱する言葉を吐く男に辛うじて残っていた理性は跡形もなく
消えた。

「お前…!」

男のシャツの襟を掴み拳を振り上げる。

頭の中は男を殴ることしかなかった。

だが、その感情のままに男の顔面めがけて振り上げた拳は男に当たる前に背後から伸びて
きた誰かの手によって止められた。


男の仲間ならそいつも殴ってやる。

そう思い振り返る。

しかし、振り返った俺が見たのは男の仲間の姿ではなく、悪友の涼の姿だった。






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