… 誘惑 …








誘惑だと分かっていた。

なのに。
抗えなかった。



薄闇に浮かび上がる白い裸体は触れると薄っすらと汗ばんでいた。

「あ…っ…んっ」

不規則に前後に腰を揺らしながら、未森(みもり)は俺の上で濡れた声を洩らす。
その声に誘われるように少し浮いた未森の腰を掴み、ぐっと引き寄せると未森は
小動物の死ぬ間際のような切ない声を上げた。

依頼主の愛人と弁護士。

それが、俺と未森の関係だ。
そして、その依頼主はひと月前に72歳で亡くなった。
死因は心臓発作。
表向きは自宅で入浴中の不慮の死となっているが、実際は違う。
事実は愛人、未森怜二(みもりれいじ)とのセックス中の突然死。
つまり腹上死だ。
72歳の田原完治(たわらかんじ)氏との年の差44歳。
心臓発作を起こすほどの激しいセックスがどんなモノか俺には想像出来ないが、
未森のマンションのベッドの上で横たわる田原氏の死に顔は幸せそうだった。



小刻みに震える身体を自分の腕で抱き締め、未森は吐息を吐く。
その肩に手で触れると未森は身体をビクンと反応させた。

「だめ…」

イった後の身体が敏感になるのは男も女も一緒だ。

「私はまだ、なんですが」

先に独りだけ達したことをからかう言い方をした俺を未森は濡れた目で見下ろしている。

「自分だけっていうのは、ズルイんじゃないんですか?」

まだ達した余韻から抜け出せてない未森の肩を掴み、体勢を入れ替える。
俺の身体の下で達した余韻から抜け切れていない未森の膝の裏に手を差し入れ、
足を広げながらぐっと身体を折り曲げる。
未森の膝が胸に付くほど身体を曲げ、俺を呑み込んでいる場所を目の当たりにした俺は
喉を鳴らすと我を忘れ、未森を貪った。



田原完治は不動産業を主体に手広く事業をしていた。
その田原氏の遺産は42億。
本妻の美知さんは5年前に亡くなっている。
そして、二人には3人の子供がいるが田原氏は1年前に遺言書を作成していた。
遺産の半分を未森怜二に残すと。

ざっと見積もって21億。

28歳の青年は4年の愛人生活の末、21億を手に入れる予定だ。
そして、田原氏の遺産を無事、未森に渡すことが俺の仕事で。
それが、生前の田原氏の俺への依頼だった。



次のアポの為、身支度を整える俺を未森はベッドで俯せに寝転がり、煙草をふかしながら
眺めている。

「ベッドでのタバコは控えて下さい」

「でも、何か終わった後のタバコっておいしくない?」

上体だけを起こし、未森は裸のまま微笑む。

「それだけにして下さい」

同じ年齢なのにまるで未森の保護者のような自分に内心、苦笑する。

初めて未森に会ったのは1年前だ。
父と田原氏はビジネスを通じて知り合い懇意になった。
そして、父から俺の話しを聞いた田原氏は娘婿の顧問弁護士から情報が洩れることを
危惧し、遺言書の件を俺に依頼してきた。
初めて田原氏が俺の事務所を訪ねて来た際、田原氏は未森を同行させていた。

資産家の祖父と造りもののように綺麗な顔をした孫。
それが二人を初めて見た時の俺の印象だった。
しかし、それが違うと分かったのは事務所の応接セットに二人が腰掛け、ものの5分も
しない内だった。
ソファーに腰掛けた未森の太股の内側を撫でる田原氏の手。
そして、その手は時折、掠めるように未森の足の付け根さえも撫でる。
明らかに愛撫と分かる田原氏の手の動きはわざと二人の関係を俺に知らしめているような
気さえした。


誘惑

何故、俺を

俺が田原氏の子供達側に寝返らないように?

まさか。

俺の注意にタバコを消し、未森はベッドの上で俺に身体を向ける。
その綺麗に描かれた裸の腰のラインに薄く付いている鬱血の跡に俺は狼狽した。
こんなに強く掴んだつもりはなかった。
跡を残すほどに。

「なに?」

腰の薄い鬱血の跡を眺めている俺の視線に気付き、未森が上半身を起こす。

「跡が」

「うん?…あぁ、いいよ、別に」

そして、自分の腰に付いた薄い鬱血を眺めると未森は微笑った。

「ですが…」

跡を付けたことにも気付かないくらい夢中になった。
その事実が余計、俺を狼狽させた。

「…意気地なし」

「え…?」

心の中で説明の付けられない現実に舌打ちをしていた俺に未森がぽつりと洩らした
言葉はよく聞こえなかった。

「何でもない。オレが気にしなくていいって言ってんだから、気にしなくていいって。
 それにお互い様だし」

「お互い様?」

台詞の意味を問い返す俺に未森は悪戯に微笑う。

「オレ、夢中になり過ぎて支倉(はせくら)さんの背中に爪立てちゃった」

俺を試しているのか。

俺の反応を待つ未森の口元は微笑っているのに目は微笑っていない。

「それくらい構いませんよ。それどころか、背中に爪を立てられるほど貴方を
 喜ばせられたのなら男冥利につきます」

営業用の笑顔にリップサービス。
慣れたやり取りに、しかし未森は吹き出した。

何故、ここで笑うのか。

相変わらず未森は俺にとって不可解以外の何者でもない。

「爪跡があっても怒られる相手がいないか。もしくは、そんなことくらいじゃ怒らない
 オトナな人か。支倉さんの容姿からして可能性としたら後者の方が高いよね」

職業柄、人を探ることは得意だが人に探られるのは苦手だ。
それがプライベートなら尚更。

「私の私生活に興味がありますか?」

「うん、大アリ」

未森の真意を計る為に振った問いに未森は即答を返す。
しかし、お互いの好奇心を満足させるには時間が足りなかった。

「残念ですがタイムアップです。次のアポは私の未来がかかっていますので」

「残念」

詰まらなさそうにぼやく未森を横目にスーツジャケットを腕に掛け、ブリーフケースを
掴む。

「私が出たら、すぐに鍵をして下さい。それと何時までもそのままの格好でいないこと。
 解りましたね?」

「はーい」

俺の話しを聞いているのか気のない返事をする未森を背にワンルームマンションの
玄関のドアを開ける。
20時を過ぎているのにマンションの外は都会特有のむっとした熱気で溢れていた。

どこまでが本気で、どこまでが冗談なのか。
田原氏に対して情はあったのか。
それとも割り切っていたのか。

そして

何故、俺を“誘発”したのか。

未森にとって俺と寝ることに何の意味があるのか。
そもそも俺達のセックスに意味はあるのか。

いや、違う。

疑問の根底はもっと単純だ。

そう、もっと。

何故、俺はそこまで未森の真意を知りたいのか。

未森のワンルームマンションの駐車場に停めていた愛車に乗り込み、キーを
差し込む。
地下駐車場のせいか、車の中は外に比べ、幾分か涼しい。
次の約束の場所迄はここから40分。
次のアポ相手から送られたオメガの腕時計の針は休みなく動いている。


『もしくは、そんなことくらいじゃ怒らないオトナな人か』


大人な人ね。

俺が独立出来たのは、彼女のお陰だ。
彼女からは公私に渡って色々、世話になった。

若い頃はそれを恋だと錯覚した時期もあったが、今は完全にビジネスパートナーだ。
彼女から送られたモノは数え切れない。
なのに未森が田原氏から手に入れたモノは4年間で、ひと月10万の手当てのみ。
そして、田原氏が亡くなった今、自分に残された遺産の受け取りさえ未森は
拒否している。

「何を考えているのか」

普通なら諸手を上げて喜ぶだろうに。

エンジンをかけ発進させた車の中で独り、呟く。
未森に遺産を受け取らせること。
それが、田原氏から俺が受けた依頼だ。
だから、未森が遺産を受け取る迄、俺は未森から離れられない。

そう、離れられない。

頭の中で反芻した言葉はどこか言い訳じみた色合いを帯びていて。
不可解な未森と説明出来ない不可解な自分の気持ちを振り切る為に俺は車の
アクセルを踏み込んだ。





■おわり■




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