… 詩詠い …










城に続く道並みは戦が終わり、戦場から戻ってきた兵士達を迎える民達で溢れていた。
民達の賞賛と歓喜の声が城の執務室にいる僕の所まで聞こえてくる。
その民達の声を聞きながら僕はゆっくりと目を閉じた。


『明日、戦地へ向かいます。香那斗(かなと)様は私の命に変えて守ります』


父が亡くなり、十歳で王に即位した僕に周りは冷たかった。
王位を狙っていた叔父の敵意のこもった視線に子供の僕に王位を譲った父に
対する嘲笑の視線。
そんな視線の中、蒼武(そうぶ)の目だけが優しかった。


『香那斗様、本日はどちらまで、お供致しましょうか』


蒼武の馬に乗せてもらい蒼武と一緒に国の果てにある丘に登る。
肌に感じる爽やかな風と花の香り。
そして、背中に感じる蒼武の温かいぬくもり。
剣の使い方も馬の乗り方も全て蒼武が教えてくれた。

誰か、自分以外の誰かを大切に想う気持ちも。

そう

蒼武が、教えてくれた。















目を閉じている僕の耳に割れんばかりの人々の歓声が聞こえてくる。
そして、それを追うように執務室の外にも人々が行き交う足音が聞こえ始めた。

帰ってくる。
蒼武が帰ってくる。

目を閉じても手の震えは収まらず心臓は落ち着かない。
だけど、僕の戸惑いを気にもせず執務室の扉の前で止まった足音は執務室の扉を
叩いた。

「どなた…ですか…?」

答えは分かっていた。
声が震える。

鼓膜の奥に残っている。
懐かしい。
懐かしくて。
力強い。

「蒼武です」

穏やかな。
僕を守る声。

「構いません…ドアを開けて、入りなさい」

愛しい。
この世に、たった一つの声。

蒼武の声…


「失礼致します」

ドアの開く音に合わせ閉じていた目を開ける。
開けた目の先にいる人の姿に僕は椅子から立ち上がった。

「ただいま戻りました」

僕の前に進んできた蒼武は足をおり跪きながら頭を下げる。

「よく無事で戻りました。ご苦労様でした。顔を…顔を上げて下さい」

立ったまま労いの言葉を述べた僕は蒼武に顔を上げるよう告げる。

「ありがとうございます」

その僕の許可に蒼武は顔をゆっくりと上げた。

少し頬の肉が削げていた。
だけど戦と旅に疲れた顔をしてはいるものの蒼武の顔は生気に満ちていた。

「香那斗様」

名前を呼ばれただけで十分だった。
蒼武の声で名前を呼ばれるだけで。

「皆の為に宴席を整えています。故に宴が開けたら、今宵はゆっくり体を
 休めて下さい…」

「ありがとうございます。香那斗様、お手を」

優しく穏やかな蒼武の声に導かれ、請われるまま右手を差し出す。
差し出した手は蒼武の手に支えられ恭しく蒼武の唇が触れた。

微かな手の震えは止められなかった。

手の甲に蒼武の唇が触れ、離れる。
それは一瞬の出来事なのに永遠のような気がした。

「…少し痩せられましたね。たった一年なのに。すっかり大人になられた」

僕の手から唇を離した蒼武が顔を上げる。
懐かしい穏やかで力強い瞳。
今すぐ。
今すぐ、蒼武の手を握り、蒼武を抱き締められたら。
何もかもを捨てて。
だけど、それは永遠に叶わない夢だ。
今の僕では叶わない夢。

「蒼武も少し痩せましたね…」

己が命を落とすか相手の命を奪うか。
蒼武の顔にはぎりぎりの中をかいくぐってきた一年が刻み込まれていた。

「…もう一度、名前を呼んで頂けませんか」

蒼武の目が苦しげに細められる。
その様に僕は涙が溢れそうになった。

「蒼武…」

蒼武の名前を呼ぶ声も震えた。

「香那斗様に、もう一度、名前を呼んで頂くことが私の夢でした。その為だけに
 戻って参りました…ありがとうございます…」

蒼武の苦しげだった目に温かい光が宿る。
その光が何を意味しているかは聞かなくても分かった。
いや、言葉は必要なかった。
僕と蒼武の間に言葉は何の意味も持たない。

「…それでは、名残惜しいですが失礼致します」

「…」

行くなとは言えない。
言えば、それは命令になる。

何もかもを手に入れることが出来るのに、欲しい、たった一つのモノは手には入らない。
王でいる限り手に入らない。

執務室を下がるといった蒼武に頷く。
僕の無言の返事に蒼武は軽く頭を下げると執務室を出て行った。
そして、蒼武が消え一人になった執務室で僕は蒼武のかさついた唇が触れた手を
何時までも見詰めていた。






■おわり■





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