… 散歩 …










『散歩しましょう。そう、散歩!決定!おむすび作って…そうだ!唐揚げも入れて』



何がそんなに楽しいのか、冬の日の日溜まりのような暖かい笑顔を浮かべ、
出流(いずる)はそう言った。

酔いの回った頭の中でそれは散歩じゃなくてピクニックだろ?と突っ込みながらも
俺は余りにも楽しそうな出流の勢いに押され頷いていた。

それが、昨日の夜。

なのに、俺はベッドから起き上がれずにいる。
時計は既に昼の1時を差している。
俺がベッドから起き上がれない理由。

それは…

思い出しただけでも顔にカッと血が集まる。

酔っていたとはいえ、おぼろ気ながらも昨晩の記憶はある。
誘ったのは俺の方だった。







『…明日、起き上がれなくなりますよ』


少し、困った顔で出流は笑った。
その出流の首に腕を絡め、俺は自分の唇を出流の唇に重ねた。
自分からそんなことをしたのは初めてだった。
戸惑う出流の口に自分の舌を差し入れ、出流の舌に自分の舌を絡める。


『……ん…っ』


洩れ出た俺の吐息を合図に出流の舌が俺から主導権を奪い、俺の理性を攫ってゆく。
俺の身体は痛いくらいに抱き締められて。

そこがソファーだということも忘れ、俺達は互いの体温を求め合った。




























どうせ、あの顔でクライアントも所長もタラシ込んでるんだろう』


そんな言われ慣れた言葉がその日に限って心に沈んだ。
いっそ、女に生まれれば良かった、等と詰まらないことを考えるくらい。

頑張れば頑張るほど、周りの風当たりは強くなる。
昔から人付き合いは苦手だった。
俺にだって責任はあるんだろう。
でも、今更、変われない。
周りとの軋轢を埋められるほど、大人になれない自分にも苛々する。


『負け犬の遠吠え。優れてるからやっかまれるってね』


そんな同僚の相川の慰めの言葉でも心は晴れなかった。

沈んだ心を抱えて電車に乗り込む。

人に頼るのは嫌いだ。
人に慰められるのも。

なのに。

無性に出流の顔が見たいと思った。

電話をしようか。
アイツのことだから、俺が“会いたい”と一言言えばすぐに飛んで来るだろう。

でも…

最後の最後で年上というプライドが邪魔をする。

電話をするかしないか。
散々、悩んで。
気付けば俺は出流のマンションの前に立っていた。

たった一言。

“会いたい”

そのたった一言さえ素直に言えない自分に溜め息をつき、出流の部屋を見上げる。
見上げた先には明かりのともった温かい逃げ場所がある。

でも。
やはり、最後の最後で邪魔をしたのは年上のプライドで…

上げた目を伏せると俺は自分のマンションに帰ろうと温かい明かりに背を向けた。




『牧村さん!』

名前を呼ばれたのは自分のマンションに帰ろうと1歩、足を踏み出したその時だった。
伏せた目を上げた俺が見たのはスーパーの袋を右手に持って俺の方に駆け寄って来る
出流の姿だった。







スッゲェ偶然。やっぱり、俺と牧村さんって運命で結ばれてるんだ」

切り終えた鍋の材料を手に出流がテーブルに戻って来る。






『豚しゃぶしようと思って。用意出来たら、牧村さんに電話しようと思ってたんですよ。
 さぁ、早く俺の部屋行きましょう』


出流はそう言って空いてる左手で俺の背中を優しく押した。


『ジャケット、ハンガーかけときますね』

『先、風呂入って下さい』

『ビールでいいですか?』


まるで、新妻のように俺の世話を焼く出流に勧められるまま、シャワーを浴びて袖を
通したパジャマは出流が俺の為に用意したものだった。
他人の家に自分の為に用意された物がある。
そのことに最初に感じたのは居心地の悪い違和感だったのに。
今ではそれは、心を撫でる安心感になっていた。

指先が、唇が出流に触れた途端、怖いくらいに充たされていく自分がいた。
そして、心がささくれだっていた理由が分かった。

出流に触れていなかったからだ。
ずっと、出流に触れられなかったから。

出流の匂いも体温も汗も全てを感じたい。
俄かに湧き出した欲求に逆らう術はなくて。
まるで、ブレーキの壊れた車のように俺は出流を求めた。
自分から唇を合わせて、自分から身体を開いて。
何度も何度も出流を欲しがって。
気を失うように俺は眠りについた。






















『牧村さん…そんな顔は反則だよ…』


俺を貫きながら優しい瞳で困ったように笑う出流は年下のくせに一人前の大人の男の
色気を漂わせていた。
甘え上手で優しくて、包容力もある。
その気になれば、どんな女性でもよりどりみどりな筈なのに。
そんな男が自分と同じ男で7歳も年上の俺を好きだと、愛してると言う。
俺と出会えたことが奇跡だと。

でも、一番驚いているのはその“奇跡”を信じ始めてる自分がいることだった。


























「散歩行けませんでしたね」

ベッドの端に座り、まだベッドのシーツに埋もれている俺に出流は申し訳なさそうな声で
言った。

お前のせいじゃないだろう?

お前を離さなかったのは俺なんだから。


「すみません。俺、がっついちゃって…昨日、牧村さん、なんかいつもと
 違ってたから…なんか、ありました?」

俺を気遣う出流の優しい声と言葉に俺は黙って出流を見つめていた。

「……大丈夫ですよ。俺がずっと、牧村さんの側にいますから。牧村さんを
 独りにはしないから」


誰かに頼るのは嫌いだ。
甘えるのも。

なのに…

シーツの上から俺の背中を撫でる出流の手は大きくて温かくて。
今の俺は今まで出流無しでどうやって生きてきたのかさえ分からなくなっていた。

「ずっと、牧村さんの側にいるから。二人でずっと散歩しましょう。途中で
 立ち止まったりしながら、ゆっくり、二人で」

7歳も年下の男の一時の情熱からのプロポーズのような台詞に何故か涙が出そうに
なった。

他の人間との約束なんて信じないのに。
どうして、お前との約束だと信じられる気がするんだろう。
信じたいと思うんだろう。

シーツからそっと手を出し、出流の手を握る。

お前は俺に“奇跡”を貰ったって言うけど、それは違う。
だって、握り返されるお前の手の温かさに救われたのは俺の方だから。


「……手、離すなよ」


ずっと、一人ぼっちだった俺に“奇跡”をくれたのはお前だから。


「はい。離せって言われても離しませんから。覚悟して下さい」


満面の笑顔が俺に近付き、俺の額に出流の唇が触れる。


「散歩、今日は無理ですけど、必ず行きましょうね」

「あぁ…」


明日でも、明後日でも、十年後でも。


「おにぎり作って、唐揚げも持って」

「…あぁ」


お前となら。
未来さえも信じてみようと思うから。

唇に繋いだ出流の手を寄せる。
出流は俺の手に引き寄せられてそっと俺に身体を重ねてきた。




























… おまけ …


「それよりも、ずっと気になってたんだけど…」

「はい?」

「おにぎりに唐揚げって、それって散歩じゃなくてピクニックじゃないのか?」

「え…?」

出流が黙り込んだのは数秒だった。

「あ…」

小さく呟くと出流はバツが悪そうに視線を外した。

「……なんで、もっと早く教えてくれないんですか…」

急に7歳年下の顔に戻って拗ねる出流が愛しくて。
俺は出流の額にキスをした。

「どっちでもいいよ、この際。お前と行けるなら」

お前と一緒なら。
散歩でもピクニックでも。

「今、言いましたよね?俺と行けるならって」

途端に年下の顔が隠れ、代わりに大人の男の顔が現れる。

「……え…?」

「一緒にイキましょう。何回でも」

口の端を上げ、笑う出流の“イク”の発音が漢字からカタカナに変わったような気がしたのは
俺の勘違いではなくて。

自分の言った言葉に後悔する間もなく、俺は完璧なくせにどこか抜けている年下の男の
体温に溺れていった。






■おわり■




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