… 利己的な遺伝子 …










ひとときの休憩を終え、研究室に続く廊下を歩いている俺に聞こえてきたのは
ひそひそと語られる堂本の批判だった。

「…天才なのは認めるけどね」

「もうちょっと周囲と溶け込もうとする努力があっても」

又か…

少し開いたドアの向こうから聞こえてくる声に溜め息をつく。
彼、堂本尚希(どうもと なおき)が研究所に来てからというもの彼の陰口は後を
絶たない。
弱冠24才にして破格の条件で我が研究所に迎え入れられた天才に人々の嫉妬は
集まっている。
天才の悲劇と言うものだろうか。
まぁ、本人の態度にも問題はあるが。

このまま通りすぎようか。
一瞬、考えた末、俺はドアを開けた。
開いたドアに驚いて中の二人が振り返る。

「人の批判も良いですけど、声が外まで漏れてますよ」

「い、いや、批判だなんて…」

人に見付かって慌てるぐらいならはなから黙っておけば良いものを。

「し、しかし、西崎(にしざき)さんも大変ですね。彼の助手なんて」

俺に話を振って話題を変えるつもりなのだろうか

「楽しいですよ、天才の側で働けるなんて滅多に無いですから」

「はぁ…」

笑顔で返す俺に曖昧な返事が返る。

「噂は広がるものですから」

嫌味にならない程度の注意をし、ドアを閉める。

堂本の助手で大変?
とんでもない。
こんな刺激的な毎日はない。
常人とは違う繋がり方をしているシナプスの脳から導き出される理論は俺を
沸き立たせる。
どんな努力をしたところで天から与えられた才能を持つ人間には敵わない。
俺は5年前から彼の虜だ。













堂本を初めて見た時の印象は子犬だった。
小さな顔に大きな目。
俺より20センチは低い身長に華奢な体。
実際、歳は4歳しか離れていないのにかなり俺より年下に見えるのは彼が
童顔なせいだろう。
同じ男なのに守ってやりたくなるようなそんな気持ちを起こさせる。
しかし、一緒に働くようになってそれは間違いだと分かった。

入所一日目に子犬は猫に変わった。

それも飛び切りプライドの高い、誰にも懐かない血統書付きのシャムだ。
そして、その猫は気に入らないことが有るとすぐ爪を出す。
しかも一匹で大切に育てられた為に加減を知らない。
どこまでも我が侭で気位の高い気紛れな猫。


『彼の助手で大変でしょう』


先ほど言われた言葉を思い出し苦笑する。
大変ね。
馬鹿な連中だ。
傲慢で気位が高いからこそ手に入れたくなる。
その傲慢な瞳に自分だけを写させてやりたくなる。
血統書付とは言え所詮、猫は猫だ。
爪を出したら引っ掻かせてやればいい。
加減なんてものはそのうち覚える。
そして、徐々に教えてやる。
餌をくれるのは誰かを。























「遅いっ」

研究室のドアを開けた俺を見ての第一声に苦笑する。

「部屋を出てから十五分しか経っていないですが」

怒りをかわしたのがいけなかったらしい。
大きな瞳が更に俺を睨む。

「遅いっ」

「煙草はすぐに吸い終わったんですが他の事で足留めされたので」

「なに、又、俺の悪口でも聞いたの?」

天才は感まで鋭いらしい。

「気付いているのなら少しは周りに馴染む努力をしたらどうですか」

今回で何度目になるか分からない注意をする俺に猫は詰らなさそうな表情を
浮かべている。

「何で俺がそんな事しなきゃいけないの?」

ほら、これだ。
何故、自分から擦り寄らなければいけないのか。
擦り寄るのは向こうからだと、向こうから擦り寄るのが当たり前だとその瞳は
語っている。
どこまでも我侭で傲慢な瞳。
だからこそ、惹かれる。
自分だけの物にしたくなる。

どこまでも強い光を放つ瞳。

「しょうがない人ですね」

表面上は呆れたような溜息をつきながらも俺は心の中で喜んでいた。
そう、誰にも擦り寄ることは無い。
そんな必要は無い。
いつまでも傲慢で我侭でいればいい。
この我侭な猫に餌をやれるのは俺だけだ。

「他の馬鹿な奴らなんてどうでもいいよ。あんたがいれば」

「え…?」

彼の言葉を聞き返した俺に向けられたのは悪戯に微笑む瞳だった。

「俺の理論を理解できるのはあんたしかいない。だろ?」

まいった…

気紛れで傲慢なくせにこの猫は時折、俺に喉を見せる。

ほら、撫でたいでしょう?撫でてもいいよ、と。

餌に釣られてるのはどっちだ?
餌を欲しがっているのはどっちだ?
俺に餌をやれるのは…

「随分、強烈な告白ですね」

気紛れな猫の気が変わらないうちに俺は猫の喉を撫でようとしなやかな猫の
体を抱き寄せた。






■おわり■




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