… 利己的な遺伝子 … 2










猫の機嫌は最悪だ。

大阪で開かれた学会に参加し交流会を終え、時間は夜の12時。
やっと人々から解放され、辿り着いたホテルで俺に投げつけられた言葉はトゲの
あるものだった。

「俺の近くに来んなっ」

近くに来るなと言われても二人だけの出張なうえ、ホテルの部屋は一緒だ。
この状況で近寄るなというのは無理な話だ。
そう思い、俺は溜息をついた。

俺の記憶にある限り、交流会までは猫の機嫌は良かった筈だ。
だとすれば機嫌を損ねるようなことがあったのは交流会でということになるが
全く思い当たるふしがない。

「怒っている理由は教えて貰えないのですか?」

下手に出て尋ねてみる。
しかし、そんな俺に返ってきたのは不機嫌丸出しの言葉だった。

「うるさいっ、あんたなんか嫌いだ」

俺の近くに来るなから今度は嫌いか。

「…理由は?私のことを嫌いな」

なるべく穏やかな声のトーンで側に寄ろうとした俺に彼の脱いだジャケットが投げつけられる。

「うるさいっ、俺に近寄んな」

言葉の次はジャケットか。

「理由が分からなければ対処のしようが無い」

少しずつ距離を詰める俺に今度はネクタイが飛んでくる。

「嫌いだっ」

嫌いだと言いながらも俺を睨み付ける瞳は機嫌を取れと言っている。
自分の不機嫌の理由を探し出し機嫌を取れと。

「ジャケットとネクタイの次は何ですか。スラックスでも投げるつもりですか」

投げつける物はもう無いだろうと予想し距離を30センチまで詰めた俺に飛んできたのは
物ではなく、彼の平手だった。
静かな室内にパシンという頬を打つ音だけが響く。
俺が避けると思っていたのだろう。
堂本の瞳は驚きに見開かれている。

「…なんで」

「気が済みましたか?」

俺を睨みつけていた瞳は傷付いた色を浮かべている。

全く、これじゃどっちが殴られたのか分からない。

「手は痛みませんか?」

少し乱れた前髪を左手で掻き揚げ、尋ねる。
そんな俺から堂本は顔を背け唇を噛んでいる。

「…あんたなんか嫌いだ」

嫌いだと言いながらも声のトーンが下がっている。
反省しているのだろう。
そう思い、細い体を抱き寄せる。
いつもなら暴れる筈の体は俺にされるがままだ。
抱き締めたまま背中を撫でる俺の胸元から微かな呟きのような声が聞こえてくる。

「…あんたも嫌いだけどあの女はもっと嫌いだ」

あの女?

誰のことかと思いを巡らせた俺の脳裏に浮かんだのは交流会で久し振りに会った
大学時代の後輩だった。
そういえば堂本が少し席を外している間、彼女とお互いの近況報告と懐かしい大学時代の
話をしていた。
だが、それは他愛もない会話に過ぎない。
なのに、どうやらこの猫はそれが気に食わなかったらしい。

「彼女は只の大学時代の後輩ですよ」

そんなことで俺は散々嫌いだ寄るなと言われ、物を投げられ殴られたのか。

「…楽しそうだった…」

「後輩に話しかけられて嫌な顔が出来ますか?」

呆れたように言った俺の胸を両手で押し堂本は俯いてしまった。
本当になんて我侭な猫だろう。
俺が自分以外と話をしていることも楽しそうにしていることも気に食わないらしい。
滅多に喉を見せることも擦り寄ることもしないくせに俺が自分の傍にいるのは当たり前で
少しでも俺が他に注意を向けると不機嫌になる。
なのにその不機嫌というものがどういう意味を持つものか解っていない。

大切に可愛がられて育った猫は我侭で傲慢なくせに変なところで初心だ。
嫉妬という言葉を知らない。

だから、初めての嫉妬に自分の感情をどう処理していいか分からなくて爪を立てた。
そして、その立てた爪に俺は引っ掻かれた。

「もう、今日は寝ましょう。貴方も疲れているでしょう」

まだ、俯いたままの堂本に場の空気を変えようと告げ、彼から離しかけた俺の腕を彼の
手が掴む。
突然、上げられた瞳には涙が滲んでいた。

「あんたは俺のモノなのに…!」

本当になんて猫なんだろう。

嫉妬も知らないくせに俺を狂わせるような瞳で最高の誘い文句を言う。


あんたは俺のものか。

なら、貴方は…


「私が貴方のものなら貴方は私のものですか?」

微笑んで尋ねる俺に堂本は黙ったままじっと俺を見詰めている。

「否定しないのなら肯定していると取りますよ?」

「俺があんたのモノになったらあんたは俺のモノになる?」

オウム返しのような言葉と真剣な瞳に心臓を鷲掴みにされる。

あんたは俺のモノになる?か。

何を今更。

5年前から俺は堂本のモノだ。
この体も心も全て出会ったあの日に彼に全て持っていかれた。

「…もう、私は貴方のモノですよ」

苦笑しながら告げた俺の言葉に堂本は真剣な瞳を俺に向けたまま告げた。

「じゃあ、俺もあんたのモノだね」

と。






■おわり■




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