… a refuge … 3








『お久しぶりね』


偶然街で会った彼女は少し膨らんだお腹に手を添え、僕に微笑んだ。


『あの時は本当に悲しくて取り乱してしまったけど…』


婚約までした彼女に別れを告げた僕に彼女は取り乱して僕を罵りながら泣いた。
それでも、僕は梁川さんを選んだ。


『今は幸せよ。秋には子供が生まれるの。貴方は?』


幸せ?

彼女の言葉に僕は頷くことが出来なかった。

他人を傷付けて、他人の人生を食い物にして、幸せ…?

考えないようにしていた現実が僕に囁く。

僕は

僕は…

幸せとはなんだろう…





































「芳久、俺の名前を呼べ」

僕の中に自身を埋め込んだまま、動きを止めた梁川さんが僕の顎を掴んだまま、
僕に問う。
自分の顎を掴む鋭い力に僕は梁川さんの名前を呼ぶことも忘れ、梁川さんを
見上げた。

「久し振りに会った女はどうだった?昔を思い出して情でも湧いたか?」

冷たい微笑みを浮かべる梁川さんに僕は驚いて目を見開いた。

「……どうして…?」

「答えろ、芳久。女に情が湧いたのか?」

情なんて湧く筈がない。

何故なら、今日、彼女と偶然再会するまであんなに酷い別れ方をしたのに僕は
彼女のことを忘れていたのだから。

「何故、答えない?」

僕の顎を掴んでいた梁川さんの手は僕の首に移った。

「…情なんて…」

梁川さんの目は歪な光を湛えていた。
片手でも梁川さんが本気になればすぐに僕の息は止まるだろう。
しかし、僕の首に回った梁川さんの指に力が篭ることはなかった。

「芳久、分かってるな。俺から逃げようなんて考えるなよ」


逃げる…?

それは考えもしなかったことだった。

「もし、お前が逃げたらあの女もあの女の腹の中のガキも女の親も
 お前に関わるヤツ、全てを殺してやる」

僕に関係のある人間全員を殺す。
そんなひどく残酷なことを言っているのに、梁川さんの目は傷付いているように
見えた。

「分かってるな。俺から逃げようなんて考えるな。逃げても必ず
 見付けてやる。必ず見付けて、飼い殺しにしてやる」

まるで独り言のようにそう言って梁川さんは僕の首にあった指を外すと再び腰を
動かし始めた。

なんて人なんだろうと思った。

梁川さんの残酷な言葉の裏には彼女への嫉妬と僕への甘えが滲んでいた。
殺すと僕を脅しながらも僕が彼女と会ったことに梁川さんは傷付いていた。

子供のまま、大人になった男は子供故の残忍さと純粋さを持っていた。
僕を飼い殺すと言いながら全身で僕に甘えてくる。

僕だけに甘えてくる。


「…あっ…!やっ…ぁ!」

たっぷりと含ませられていた梁川さん自身が抜かれたと感じる間もなく更に奥深く
打たれる。
引きずり出された快感に梁川さんの腕を掴む指に力が篭った。

「芳久、俺を呼べ」


俺を呼べ。

今の僕にはそれは愛してると言ってくれと聞こえる。

俺を呼べ。

貴方が望むなら。
いくらでも。


「…っ…梁川さん…!」

腕を掴んでいた手を梁川さんの首に回す。
この人を独りなんて出来ない。
それは僕の独りよがりな思い込みかもしれないけど。

「……好き…っ」

それは梁川さんと出会ってこんな状態になっても一度も口にしたことのない言葉
だった。

ううん、言葉にするのが怖かった。

自分の想いを口にすれば、愛しているから愛して欲しいと口にすれば、梁川さんを
想いながらも梁川さんに愛されることなく死んでしまった彼女のように梁川さんに
疎まれるのではないかと思って怖くて口に出来なかった言葉。

その僕の初めての告白に梁川さんは一瞬だけ驚いた顔をした後、その顔をすぐに不機嫌な
ものに変えた。

「…好きなんです…梁川さんだけが…好き…」

でも、そんな梁川さんの不機嫌な顔を見ても僕は告白を止めなかった。

彼女のように愛されなくてもいい。
例え、梁川さんの僕に対する感情が所有欲といったものでも構わない。

僕は…

僕はこの人を愛してる。

何度も好きだと繰り返す僕の腕を自分の首から離すと梁川さんは舌打ちをした。


「俺はお前になんて言った?一生脅してやると言わなかったか?俺が一生だと
 言ったら一生なんだ。お前は死ぬまで俺に脅されてればいいんだ」

乱暴な言葉を吐きながらも梁川さんの口調は優しくて…

梁川さんの手が僕の頬に触れたとたん、僕は涙を溢していた。

「…梁川さん」

「余計なことを考えてる暇があるならお前は俺の手の中で俺の名前を呼んでろ」

梁川さんの手が優しく僕の頬を撫でる。
まるで壊れ物を扱うようなその触れ方に僕は何も言えなくなった。

きっと、梁川さんはこれからも人を傷付け、人の人生を食い物にするだろう。

でも。

でも、僕はそれでもいい。

小さな一戸建ての家も子供もいらない。

幸せなんていらない。

梁川さんとなら、梁川さんと一緒なら、不幸でも構わない。

梁川さんのいない幸せはいらない。

自分の頬にある手に自分の手を重ねる。
その手の温かさに目を閉じた僕に与えられたのは愛した人の唇だった。






■おわり■