… rain … 18






『時期ってモノがあるんじゃないかな』

あの日、比企さんが言った言葉が、ふと頭の中に浮かんだ。
きっと今が俺達にとって、その“時期”なんだろう。
早くても遅くても駄目だった。

そう、きっと。





どちらからともなく誘い合うようにベッドに倒れ込んだ俺達は何度も何度もキスをした。
互いを愛おしむようなキスから貪るようなキスまで。
そんなキスを繰り返しながら梶の唇と舌は俺を追い詰めていく。
二の腕の内側や太股の内側、皮膚の薄い部分が弱い俺の身体を知り尽くしているかのように
梶はそこを執拗に責めてくる。
十二年前のたった一度のセックス。
その時も俺は明らかに慣れた仕草で俺を抱く梶に微かな胸の痛みを感じながらも与えられる
快感に無我夢中でただ梶にしがみついていることしか出来なかった。
なのに十二年経った今でも俺はあの頃と変わらず梶に翻弄されていた。

「…んっ…ぁ…っ」

梶の口に含まれた俺自身への刺激と梶を受け入れる場所に埋め込まれた指の動きに
堪えられない声が次々に零れる。

「梶…っ…もう…っ」

許して欲しい。
早く繋がりたい。
達きたい。

伝えたい言葉は浮かぶのにどれも言葉にはならなかった。

散々、焦らされて、なかされて。

梶を受け入れてからも俺は激しく空から零れ落ちてくる夕立の雨音と自分が洩らす濡れた
声を聞きながら梶に翻弄され続けた。

















十二年振りのセックスは思った以上に俺の体力を奪った。
腰に残る甘い鈍痛に起き上がることも出来ず、ベッドの上で頭だけを上げキッチンから
ミネラルウォーターを手にベッドに戻ってきた梶の姿を見た俺は頭の中から完全に抜け
落ちていたことを思い出した。

「梶!店!」

そうだ。
忘れていたけど今日は水曜日じゃない。
どうしてこんな大事なことを忘れていたんだろう。

「お前、今日、店休みじゃないだろう!早く行かなきゃ!」

すっかり慌てた俺はそれだけを言ってベッドから起き上がろうとした。
なのに俺の言葉に慌てる様子もなく梶は起き上がろうとした俺を優しく止めた。

「今日は臨時休業にしたよ」

「え…?」

臨時休業?

「真幸がシャワー浴びてる時に巧己君に電話したんだ」

巧己君に電話をして店を休みにしたと梶はあっさり言った。

「でも…」

こんな私事で店を休みにしてしまっていいんだろうか。
そう考えたことが顔に出たんだろう。
俺の顔を見て梶は苦笑いを浮かべた。

「自営業のいいところっていったらこんなところぐらいだろう?
 それにせめて今日ぐらいはゆっくり一緒にいたい」

ミネラルウォーターを手にしたままベッドに腰を下ろた梶は空いてる左手で俺を抱き寄せた。

「真幸だって早退して俺の所に来てくれたんだろう?今日はお互い様だろ?」

少しからかいを含んだ声で言われたことを俺は否定出来なかった。
確かに俺は今日、市役所を早退して梶の所に来た。
二十九歳にもなって恋愛事のために仕事を放り出すとは思わなかった。

「そうだよな」

梶の言葉に同意し笑う。
恋愛事のために市役所を早退した俺と店を休みにした梶。
二十九歳にもなった男が二人、何をしてるんだと思うと無性に可笑しかった。
だけど長い人生の中で一度くらいはこんなことをしても罰は当たらないだろう。
なぜなら、代わりの職場はあっても梶の代わりはいないのだから。
それに市役所勤めの俺とショットバー経営の梶じゃこれから擦れ違うことは目に見えている。
だから、せめて今日ぐらいゆっくり一緒にいたいという梶の言葉は俺の気持ちをも代弁していた。

「取りあえず、今日は泊まってくれるよな…?」

擦れ違ってた時間が長かったからかもしれない。
あれだけ全てを曝け出した俺を見たくせに梶は俺の様子を窺うように聞く。

「俺はそのつもりだけど?」

だけど、それは十二年前にはっきりと自分の気持ちを伝えなかった俺のせいでもあるんだろう。
だから俺は梶の首に腕を回し、梶の顔を引き寄せ自分から梶に口づけた。






















十二年間のお互いの想いを伝え合い、確かめ合ったあの日から一ヶ月が過ぎた。
あの日の予想通り俺と梶は擦れ違う毎日を過ごしている。
だけどこれまでと違うのはお互いの間に揺るぎない信頼があるということだ。
そう、あの擦れ違いの十二年間があったからこそ一緒に過ごす時間が短くても今は相手を
信頼し、相手を想う自分を信用出来る。







いつもと何も変わらない土曜日の深夜、俺はいつものように梶の店に客として来ていた。
店は変わることなく異国情緒溢れる内装にも関わらず、どこか懐かしい雰囲気を醸し出し
訪れる人達を穏やかに包んでいる。
そんな店内で俺はいつの間にか俺の指定席になっているカウンターの一番端の席に座り、
ジントニックを飲んでいた。
時刻はもうすぐ三時。
店の閉店時間を過ぎても残っていた最後のお客さんが席を立ち会計を済ませると梶は扉を開け、
そのお客さんを送り出し閉店のプレートを扉にかけると店内に戻り、扉に鍵をかけた。

「お疲れ、片付け手伝おうか?」

巧巳君は二時で上がっていた。
だから俺は自分が飲み終えたジントニックのグラスと最後のお客さんのグラスを手に
カウンター奥に入ると梶に声をかけた。

「それで終わりだから、悪いけど、それだけ頼むよ」

カウンターに近付きながら言う梶に俺はグラスを洗い始める。
俺はグラス、梶はカウンターの上とそれぞれに片付けを終えた俺達は店内の電気を消すと
梶のマンションに帰るためにスタッフルームから外に出るためのドアを開けた。
昼間はまだ夏の名残の日差しのせいで軽く汗ばむ日が続いているけどさすがに深夜三時も
過ぎると外は秋の色が濃くなり肌寒い。
しかも今日は昼過ぎから降り出した雨が雨足は弱くなったもののまだ降っていた。

「まだ降ってるな」

雨が落ちてくる暗い夜の空を見上げていた俺の横でドアの鍵を閉めた梶が呟きながら手に
した傘を開こうとする。
その梶が手にしている傘に視線を移した俺の頭には懐かしいあの日が蘇ってきて、俺は
隣にいる梶を見上げると微笑った。
そんな俺の顔を見た梶も微笑う。
言葉にしなくてもきっと梶は分かってくれている。
梶の笑顔に俺はそう確信する。

雨、俺と梶。
そして、傘は一つ。

あの日は梶が俺達二人の始まりを口にした。
だから今夜は俺が口にする。

そう、俺が。

小雨が降る中、俺達は見詰め合い、微笑い合う。
そして、俺は梶を見詰めたまま新しい俺達の始まりの言葉を口にした。

「傘、入れてくれよ」






■おわり■