… navy blue … 2






服を身につけるガキの後ろ姿を見ながら俺は煙草を吸っていた。

ガキの首から指を離した後、俺はイッた。
ガキはひとしきりむせた後、何もなかったかのように俺から体を離すと

『シャワー行って来ます』

と言ってバスルームに消えた。

ガキは抵抗しなかった。
殺されるかもしれなかったのに。
抵抗どころかガキは笑っていた。

















「どうして、抵抗しなかった」

当然の質問をする俺にガキはシャツのボタンを留めていた手を止め、ゆっくりと振り向いた。

「だって、プレイでしょ?」

ガキは苦笑を浮かべていた。
その時、俺は初めてガキの顔をちゃんと見た。
初めてちゃんと見たガキの顔はヤッてる最中に首を絞められて、それをプレイだと言うような
顔立ちではなかった。

「何故、こんなことをやってるんだ」

今まで抱いた水商売の女達にもそんな質問をしたことはなかった。
俺の質問にガキは不思議そうな顔をした。

「うーん、友達付き合いもあるし…欲しいモノも一杯あるし。手っ取り早いでしょ?」

ガキは屈託のない笑顔で言った。
精一杯作った屈託のない笑顔で。

「何が欲しいんだ?」

「うーん、色々…ブランドモノとか」

ブランドモノが欲しいと言ってるガキの服装はどう見ても安物ばかりだった。

「月いくらあったら足りる?」

「え…?」

繰り返される質問にガキはさすがに戸惑った顔をした。

「百あれば足りるか?」

「桜井さん…?」

ガキ相手に何を血迷ったことを。
そう思うのに。
俺は自分を止められなかった。

「これから店に電話して店を辞めろ。俺からも店に話は通しておく。住む所が
 いるならそれも用意する。月百、足りなかったら言え」

「それって…」

「お前と専属契約をするってことだ」

「でも…」

「安心しろ。さっきのようなことはもうしない」

ガキは呆然としていた。

「俺…」

「不満か?」

「違うけど…そんな百万も出してもらうような価値、俺にはないし、それに…」

次の言葉をガキは言いよどむ。

「それに、今日、会ったばかりの俺の言葉は信じられないか?」

「どうして、俺なのかも分からないし…」

疑ってるような、困ったような、複雑な顔。
ガキはそんな顔をした。

「お前は正しい。他人なんか信じるもんじゃない。だから俺を信じるのも信じないのも
 お前の自由だ。でも、俺もお前をからかって楽しむほど暇じゃない」

吸い終わった煙草を灰皿に押し付け消し、立ち上がる。
自分の前に立った俺をガキは見上げてくる。

「桜井さんて身長どれ位です?」

「185だ。それがどうした?」

「いいなぁ、俺なんか168しかないのに」

拗ねたようにガキは言う。

不思議なガキだと思った。
慎重なのか、単純なのか掴めない。

「変なガキだな」

「ガキじゃなくて“ルイ”なんだけどなぁ」

「女みたいな源氏名だな」

「源氏名じゃないですよ。本名」

「本名?」

「はい。えっと、琉球の“琉”に伊藤の“伊”って書くんです」

ご丁寧にガキは俺の手をとり、手の平に漢字まで書いて自分の名前を説明した。

「変わった名前だな」

「おばあちゃんがつけてくれたんです。俺の田舎、沖縄だから」

ガキの出身が沖縄だというのはガキの顔の造りから本当だろう。
しかし、今、そんなことはどうでもいいことだ。
自分の名前を説明し終わって俺の手を離したガキから離れ、椅子の背に掛けたままだったスーツの
ジャケットを羽織り、ガキの所に戻る。
そして、俺はさっきの取引き話が冗談じゃないことを証明する為にジャケットの内ポケットから
財布を出すとその中から、百万一束をガキの手に握らせた。
ガキの目はその一束を見て、大きく見開かれた。

「さっきの話が冗談じゃない証拠の手付けだ」

「こんなに貰えないよ」

ガキは慌てて、俺の手に自分が握らされたモノを返そうとする。

「好きに使え。言っただろ、手付けだと」

「でも…」

「いらないなら誰かにくれてやれ」

金を返そうとするガキに金を押し戻す。
押し戻された金を手にガキは心底困った顔をしていた。



























ホテルのメモ用紙にプライベートの携帯の番号を書き、それをガキに渡し、俺はホテルを出た。

「焼きがまわった、か…」

「何か?」

「いや、何もない」

「はい」

夜の街を走る車の後部座席のシートに深く体を沈め、苦笑を洩らす。
目を閉じると首を絞められてる時のガキの笑顔が瞼の裏に蘇ってきた。
あれは、あの笑顔は全てを諦めた人間のモノだ。
生きることに疲れきった人間の生きる義務から、やっと解放されると安心した笑顔。
そして、俺はあの笑顔を昔に一度だけ見たことがある。

そう、一度だけ。

瞼の裏に浮かんだガキの顔が懐かしい顔に変わる。
ガキに変な情をかける気になったのはガキにその懐かしい顔を重ねたからかもしれない。

ガキが何を背負ってるのかは分からない。
それに俺には関係ない。
ただ、俺を血迷わせたのは、最期に美也が俺に見せた笑顔とガキの笑顔が同じだったからだ。

何もなかったガキの時とは違い俺はいろんなモノを手に入れた。
明日、どうなるか分からない生き方は、だからこそ生きてる実感を与えてくれる。
所詮、こんな生き方しか出来ないのは、俺の中の血のせいだろう。

カネで手に入らないモノは何もない。
人の命さえ、カネ次第だ。
カネを持つ者が力をも手に出来る。
どんな綺麗事を言ったところで、それが現実だ。

底辺から這上がる為には仕方がなかった。
それは所詮、言い訳に過ぎない。
全ては己次第だ。
全てを諦めて底辺にいるか、他の人間の血を糧に這上がるか。
そして、俺は後者を選んだ。
それだけのことだ。

死ぬことは怖くない。
怖いのは惨めな底辺に戻ることだ。

走る車の窓からは上っ面だけ完璧な街が見える。
溢れ返った人間の欲望を満たす為だけに存在する街。
しかし、街が空虚であればあるほど、俺には楽園に思えた。






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