… navy blue  … 1







月さえも見えない濃紺の夜だった。










「えっと、初めまして」

シティホテルの一室で“ルイ”という名前のガキは俺にそう言った。
デリヘルの男版というのだろうか。
そんなモノを利用したのは初めてだった。

「えっと、あなたのことはなんて呼べばいいですか?」

好みのタイプを聞かれ、俺は言っていた。

“目元にホクロのある、黒髪にしてくれ”

目元のホクロに黒髪。
それは、あの人だ。
あの人の代わりに。
俺はあの人を求めながら別の人間を抱く。

そう、今夜。

月の見えない今夜。


「俺のことは桜井でいい」

ベッドに腰掛けたまま言った俺にガキは不思議そうな顔をした。

「桜井さんね。桜井さんて変ってる」

大きな目はガキを幼く見せていた。

「俺が変ってる?」

「うん。だって、普通、本名ってあんまり言わないよ」

「どうして、俺が本名を言ってるって分かるんだ?」

俺の質問にガキは歯を見せて笑った。

「それ位、分かるよ。俺だって、こんな仕事してるんだから」

ガキが言うこんな仕事の割りにガキは擦れてないように思えた。
いや、高校の制服でも着て、そこら辺を歩いてたら普通の真面目なガキに見える。

「もしかして、桜井さんてこういうの初めて?」

ガキの口調にからかうニュアンスはなかった。

「ああ」

「やっぱりね。だって、桜井さんてモテそうだもんね」

今時のガキのようにガキはあっけらかんとした口調で言った。

「て、もしかして男抱くのも初めて?」

「ああ」

ガキは大きな目を更に大きくした。

「そっか…」

さっきまで大きく見開いていた目は何かを考えるように伏せられた。
そのガキの様子に表情のよく変るガキだと思った。

目元のホクロに黒髪。
どれだけ容姿が似てても、やはりあの人とは違う。
あの人は静かに笑う。
静かに、優しく。
まるで、全てを受け入れるかのように。
たった一人の為に。

そう、たった一人の為に。


















抱くとか抱かないとか、そう言った感覚とは違っていた。
強いて言うなら、真理といったモノに近い。
あの人は、絶対で俺の中で唯一だ。
あの日、ホテルの扉一枚隔てた寝室で、組長に抱かれているあの人の声を聞いても、それは
変らない。

そう変らない。


「とりあえず、シャワー浴びてきますね」

さっきまでの考え込むような顔は消え、ガキは笑って言った。

「好きにすればいい」

俺はネクタイを緩めた。

「桜井さんも一緒に浴びたりします?」

ネクタイを緩めた俺の顔をガキは覗き込んできた。

「そういうのもサービスなのか?」

うちの組ではこういった商売に手を出していない。
どんな汚いことでも手を染めるのに組長は風俗だけはやらない。
どんな人間にでも自分の中に掟がある。
破れない、破らない、掟。
それが、組長、梁川にとってはウリだ。

「うーん、サービス、かな?桜井さんだけに」

ガキの笑顔は屈託がない。

「…変ったガキだな」

「だって、桜井さん、まともそうだし」

マトモ?

ガキの笑顔は屈託がないのに、ガキの発する言葉はガキのしてる仕事がどんなモノかを俺に
知らしめた。





















ガキがどれ位この仕事をしてるのかは知らない。
だけど、あきらかにガキは慣れていた。

男の体は単純だ。
外的要因さえあれば、ヤれるように出来てる。

ガキに覆い被さり、ガキを揺さぶる。
ガキの動物じみた喘ぎ声につられ、意識は混濁し曖昧な狂喜を帯びていく。
今までガキの顔はガキのモノだったのに。
一瞬だけ閉じた目を開けるとそこにはあの人がいた。

こんなモノが欲しかった訳じゃない。
あの人を抱きたかった訳じゃない。

いや、男の下で喘ぐ、あの人を見たかった訳じゃない。

いや、違う。

違う。

組長に抱かれる、あの人は見たくない。

いや、違う。

違う、俺は…

自分の大切なモノを壊したのは他の誰でもない自分だった。

我を忘れ、俺はガキの首を絞めていた。
細い首だった。
細くて、頼りなくて。
三日月のような細い、細い首だった。
どこをどれ位の力でどれだけの時間絞めれば人間という生き物が動かなくなるかは経験で
知っていた。
いや、本能で知っていた。
あと少し力を込めただけでガキは死ぬ。
そう、あと少しで。
そのギリギリの狂喜の境界線を彷徨う俺を正気に返らせたのは、ガキの抵抗ではなく、ガキの
笑顔だった。
ガキは笑っていた。
首を絞められているのに、ガキは笑っていた。
まるで、永遠の苦しみから解き放たれたような安心した笑顔を浮かべていた。
そのガキの狂喜と隣り合わせの笑顔に俺はガキの首から手を離した。






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