… 無に還るとき … 8






何か繋がる、いや、縛るモノを無意識に俺は求めたのかもしれない。
自分自身ですら気付かない深いところで。


純の誕生日プレゼントに俺は携帯を選んだ。
受け取れないと言う純に俺は万が一の時の為にと言ってそれを渡した。

万が一ってのはなんだ?
急に俺の前から純が消えた時のためか?

バカバカしい。

そう思って笑い飛ばしたかった。
そう、笑い飛ばせるはずだった。

三ヶ月前、純と出会ったばかりの頃なら。





























“街はジャングル”

古臭い歌の陳腐なフレーズが俺は好きだ。

仕事の為に“街”に出た俺は当てもなく“街”という名のもうひとつの“森”を歩いていた。
規則なく並ぶビルという木々に街を走る車という獣。
賑やかにはしゃぐ人間達の声は森に木霊する猿や小動物の鳴き声に似ている。

“森”と“街”は眠らない。
いつまでも、いつまでも眠らない。
それはまるで呼吸のように。
事切れるのを恐れ、眠らない街と、次の生命の為に眠らない森。
異質であるからこそ、それらは俺には一緒に思えた。



街から見上げた空に星はない。
しかし、星の代わりに人工的なネオンが星を嘲笑うかのように瞬いている。
アジアの街の毒どくしい癖に懐かしいネオンとは違い日本のネオンは大人しい。
ヨーロッパのように気位ばかりが高いわけでもなければ、アジアのように吐きけがするほどの
エネルギーもない。
プライドもなければ、エネルギーもない、空っぽの日本のネオンが俺は好きだ。
何故なら、空っぽは俺を責めない。
生きることにプライドもエネルギーもない俺を街は責めない。
ただ、息をする為に生きている俺を責めない。



星の代わりにネオンが瞬く空や、廃墟となって飾りたてられた街から蔑まれているビル。
そして、都会では一番“生”を感じられる路地裏。
血管のように街の中を走る道路。
吐き出す人のなくなった地下鉄入り口の階段。
誰かが飲み干して用済みになったペットボトル。

何の温度も感じられない、まるで、誰かが造ったプラスチックの箱の中にある模型のような
“森”を俺はカメラに収めていった。
指が動くままにシャッターを切っていた俺が我に返った時には空が白み始めていた。
見慣れた、泳ぎ慣れた街にどっぷり漬かり、温度のない小さなウソのような世界の空気で肺を
満たす。
それは慣れた、当たり前の今までなのに。
無性に体が冷えていた。
マンションに帰りたいと思った。
冷えた体に今、必要なのは36℃の生温い温度だと思った。

まるで、雪山で遭難したかのように冷えた体を抱え、タクシーを拾って帰ったマンションでは、
純が眠りにつく準備をしていた。

「何かあったんですか…?」

マンションに戻った俺の顔を見るなり、純は心配げな顔をして言った。

「別に何も」

「それなら、いいんですけど…」


俺はどんな顔をしてるんだろう…?


「…何か作りましょうか?」

純の顔はまだ心配そうだった。

「いや、いい…」

だから、俺は無理に笑った。

「英二さん…」

純は困った顔をした。

「俺、そんなに変な顔してるかな?」

自分では分からない自分の顔を俺は純に聞いた。

「…何か僕に出来ることがあったら言って下さい」

俺の言葉には答えず、純は心配げな顔でそう言った。

欲しいのは温度だ。
生温い。
36℃の。
誰かのではなく、純の。


「頼みがあるんだ」

純を見て、苦笑を洩らす。

「何もしないから、純と一緒に眠りたい」

他人に何かを求めたことなんてなかった。
求めて期待する苦痛が嫌いだから。
だけど、俺は今、純を求めていた。

「……僕でいいんですか…?」

躊躇いがちに口を開いた純は困ったように少し笑った。

「純がいいんだ」

まるで駄々をこねるような俺に純は笑い、温かい手で俺の頬に触れた。

「あったけー…」

その純の手に俺は自分の手を重ねた。
目を閉じると純の手が触れたそこから生命が蘇ってくるような気がした。


























小さな小さなプラスチックの箱の中の小さな世界で、俺は生きている。
冷たくもなければ温かくもない。
人工的に造られたコンクリートで囲まれた四角い空間の中で、俺は“森”を感じる。
その俺の腕の中の森はどこまでも深くて温かくて。
俺はその森に包まれながら、全てを赦される夢を見た。


街を隅々まで徘徊し、集中力が切れるまで、シャッターを切っては、マンションに帰って、
純を抱いて眠り、又、シャッターを切る為に街に戻る。
俺はそんな毎日を送るようになった。

街で垂れ流した温度を純を抱いて眠ることで掻き集めては、又、垂れ流す。
そんな、コピーペーストのような毎日は不思議な安堵感を俺にもたらした。

人間は生まれた時から、死に向かって、生きている。
ひたすら、無に還る時に向かって。

死んだ後も魂は残るなんてことを俺は信じない。
有機体で出来ている限り、人間だって、他の生物と変わらない。
滅んだ体はやがて朽ち果て、土に、大地に還る。
そして、大地に溶け、大地とひとつになる。
そんな、幾万、幾億年、繰り返してきた生物のコピーペーストの一部に俺は過ぎない。
それは溜め息が出るほどの不毛な繰り返しなのに。
その繰り返しこそが俺には唯一に思えた。






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