… 
miracle …










マンションの廊下を歩く足音。

だんだん近付いてくるその音で俺には音の主の機嫌が分かる。

愛の力って偉大だなぁって思う瞬間。

ほら、鍵を開ける音もいつもと違う。

「残業お疲れっした。お帰りなさい」

「…あぁ」

まるで犬のように玄関でお迎えをした俺に返ってきたのはそっけない返事。
ほんと、分かりやすいんだから。

「飯、まだですよね?」

「あぁ」

「豚汁作ったんですよ、一緒に食いましょう。だから、早くシャワー浴びて」

急かすようにスーツの背中を押し、バスルームに連れて行く。

「お前、スーツが…」

「俺に下さい。ほら、カバンも」

牧村さんのビジネスカバンと脱いだスーツを受取り、俺は牧村さんをバスルームに
押し込んだ。

スーツをハンガーに掛け、代わりにパジャマを持つ。
脱衣場にふかふかのバスタオルとパジャマをおき、俺はキッチンに向かった。

少し冷めた豚汁を温めなおし、食事の準備をする。
豚汁も温かくなり全ての準備が終わった頃、牧村さんがタオルで濡れた髪を
拭きながらバスルームから出て来た。

「腹減ったでしょ?」

椅子を引き、牧村さんを座らせる。
手早く全ての準備をし、俺は冷蔵庫からビールを取り出した。
グラスにそれを注ぎ牧村さんに渡す。

「遅くまでお疲れさまでした。乾杯」

牧村さんのグラスに自分のグラスを軽く合わせる。
牧村さんはビールを一口飲んだ後、豚汁に箸をつけた。

「……美味しい…」

俯いたままポツリと呟く。


エリートビジネスマンの恋人は不器用だ。
自分の感情を表現することが下手な年上の恋人。

もっと、我が侭になってもいいのに。


「旨いでしょ?だって、牧村さんの為に作ったんだから」

「…俺の為…?」

上げられた顔は余りにも弱々しくて抱き締めたくなる。

「そう、牧村さんだけの為。料理する時ってそれを食べてくれる人のことだけ考えて
 作るでしょ?だから、その大根もにんじんも牧村さんのこと考えながら切ったんだ」

牧村さんは俺をじっと見詰めてる。

「料理って凄いと思わない?俺の作ったもんが牧村さんの栄養になって牧村さんを
 元気にするんだ。俺の愛が牧村さんを生かしてるって感じ?」

そう言って満面の笑みを向ける。

「まぁ、俺の自惚れなんだけどね」

「……自惚れじゃない…」

少し怒ったような顔。
でも、耳まで赤い。


なんだかなぁ。


「…ありがとう…」

それだけを言うと牧村さんは又、俯いてしまった。


こういう所、思いっきりツボなんだよなぁ。

年下で良かった。
きっと牧村さんより年上だったら牧村さんは俺を警戒したはずだ。
俺が年下だから牧村さんは油断した。
その油断に俺がつけこんだことにも気付いてないんだろうなぁ、この人のバアイ。

エリートは変な所で抜けている。

でも、まぁ何でもいいや。
牧村さんが手に入ったんだから。


「嫌な事があった時は旨いもの一杯食って、ドロドロに疲れるまでセックスして眠る。
 これ、加瀬流ストレス発散法!」

「お前は猿か」

力説する俺に牧村さんは呆れた声を出した。

「猿なら牧村さんにエッチなことしていいんすか?」

「お前はああ言えばこう言う…口だけは一人前なんだな」

今更、年上の顔しても遅いよ。
さっきまであんなに無防備な顔してたくせに。

「口だけじゃ無いでしょ?一人前なのは。牧村さんが一番知ってるくせに」

「…ばかっ」

怒ったような困ったような顔。
なんでこの人はこんなにも俺のツボを知ってるんだろう。

もしかしてつけこまれてるのは俺の方かもしれない。

「大丈夫だよ。俺だけは牧村さんの味方だから。世界中の奴らが牧村さんの
 敵になっても俺だけは牧村さんの味方だから」

「……俺はお前に何もしてやれないのに?」

牧村さんは泣きそうな顔をした。


針で作った鎧の下は本当はとても弱い。


「なんで?俺、牧村さんに一杯貰ってる。俺の作った飯旨そうに食べてる時の顔だろ。
 それにマッサージして上げてる時の気持ち良さそうな顔。でも、一番嬉しいのは
 俺とのエッチで感じてくれてる時の顔かな」

「……ばか…」

不器用過ぎて弱過ぎてほっとけない。
今だって自分が泣きそうなことにもきっと気付いてない。

「俺の幸せは牧村さんの笑顔が見れること。そこまで思える相手と出会えるなんて
 奇跡だと思わない?牧村さんは俺に奇跡をくれたんだ」

テーブルの上で牧村さんの左手を引き寄せ、指を絡める。
俺の指はしっかりと握り返された。

「……これ食べ終わったら…ベッドに行こう…」

「はい!」

真っ赤になって視線を外して言う牧村さんに俺は笑顔で返事をした。


幸せなんて人それぞれだ。

俺の場合、牧村さんの笑顔を見れるだけで幸せ。
だから、牧村さんの笑顔の為になら何でもしたい。

そういう愛って凄くない?

なんて、本当は多大な見返りを頂いちゃってるんだけど。

そんなとんでもないお返しをくれてることに気付いてない年上の恋人を俺は改めて
愛しいと思った。






■おわり■




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