… a memorial day … 後編







若い肢体が自分の体の上で、悶え、乱れる姿はひどく甘美で。
そして、切ない。
綺麗で、神々しいほど綺麗なのに淫靡で。
自分が無くした若さへの微かな郷愁と同時に直人への愛しさに俺は胸が苦しい。

胸が苦しいと感じるほどの恋をしたのはもう何年前か。
いや、そもそも、そんな恋を俺はしたことがあったのか。
自分の全てで繋ぎ止めたいと思うほどの恋を。
















「ぁ…っ…んっ」

ぎこちなく揺れる腰と肩に食い込む爪。

「は…ぁっ…ん」

途切れ途切れの喘ぎは切羽詰ってきている。

愛しい

愛しい

愛しくて、気が狂う。

「…直人」

たった、それだけの言葉を口にしただけで、全てが満たされる。

「直人…」

もう一度、呟き、体を引き寄せようと手を伸ばす。
しかし、伸ばした俺の手は軽く振り払われ、直人は切なげに微笑んだ後、俺を巻き込んで。
俺達は二人で、二人だけの世界へ堕ちて行った。
























汗が引いた裸の体にホテルの部屋の空調は少し肌寒かった。
二人で堕ちた世界から、先に現実に戻った俺の手を直人は振り払い、俺を拒絶するようにベッドの上で
俺に背中を向けた。
シーツのかかっていない肩は怒っているというより、泣いているように思えた。

「直人…?」

誰かに拒絶されることが身を切るほどの苦痛を伴うことを俺は知った。

我を失うほどの熱は体だけだったのか。
心は?
心は冷え切っていたのか?
夢中だったのは俺だけだったのか?


「直人…」

聞いたことのない男の声だった。
余裕のない声だった。
自分の名前を呼ぶ俺の声に直人は肩を微かに揺らした。

「…秘書室の向井さんとはうまくいってんの?」

なるべく感情を抑えるように。
必死に自分を制御しようとしているような声に聞えたのは、俺の勝手な思い込みか。

「言ってる意味がよく分からないんだけど」

何故、秘書室の向井君の名前が二人の時間の隙間に入り込んできたのか俺には分からなかった。

「別にいいけど」

体を起こした後、振り向いて投げ遣りに笑う直人は痛々しかった。

「安心しなよ。向井さんには言わないから。いくら、遊びだからって、男のオレなんかと
 こんなことしてるなんてバレたら、シャレになんないしね」

脱ぎ捨ててあったバスローブを羽織り、ベッドから降りる。
カーペットの上に素足で降り立った直人はベッドの上の俺に真っ直ぐ体を向けた。

「直人の言ってることの意味が分からないな」

白を切ってる訳でも、嘘をついてる訳でもない。
それは俺の正直な感想だった。

「は?」

しかし、その俺の反応が直人の中の最後の何かを確実に壊した。

「オレがガキだからバカにしてんのかよ!それともオレが男だから、遊びでも我慢してろって?
 ふざけんな!」

直人が俺に牙をむいたのは二人の始まりのあの時以来、初めてだ。

きつい言葉で俺を責め、掴んだピローを投げつける。
自分に投げられたピローを避け、直人を見つめた俺の目には、怒りのせいで息を切らした直人の涙に
濡れた瞳があった。
直人の涙を見たのは初めてだった。

いつも、どこか掴めない雲のようだった。
二人の始まりの時でさえ、直人は俺を睨みながらもどこか冷めた冷静さを残していたのに…

「直人…?」

いつも、いつでも自分の腕の中からすり抜けて、溢れて、どこかに逃げて行ってしまいそうな直人に
必死だったのは俺だった。
俺だけが必死だと思っていた。

俺だけが。


「今更…今更、どうしろって…?こんなになって…どうしろって?オレにどうしろって
 言うんだよ…」

ベッドのシーツを握り締め、直人は泣きながら微笑む。
揺れる肩は頼りなげで。
絞り出した涙に濡れた声は切なくて。

「…アンタを殺したい…オレの側にいないアンタなんて死ねばいい」

必死なのは俺で。
俺で。

「直人…」

そっと直人の肩に触れる。
直人は俺を振り払わない。
逃げない直人を抱き締める。
抱き締める俺に捨てられるのを怖がるかのように直人は俺にしがみついてきた。

「…でも、アンタを殺せない…ねぇ…オレはどうすればいい…?」

胸元から聞えてくる声に直人を更に強く抱き締める。

「向井さんと結婚すんの…?」

普段の直人からは考えられない弱々しい声に俺は直人に黙っていたことを後悔していた。

「彼女とは何もないよ」

「…ウソ」

「嘘じゃないよ」

「ウワサになってる。アンタは会長のお気に入りで後継ぎにする為に引っ張って来たって」

人の噂は無責任だ。
しかし、火のない所に煙は立たない。
直人と出会う前には自分が誰かと出会ってこんなに変わるとは思っていなかった。

「たしかに会長には可愛がってもらってるよ。会長の希望で向井さんとお見合いをしたのも
 事実だよ。だけど、その話はもう断ってる」

「…ウソ…なんで…」

俺の告白に上げた直人の顔には涙の跡があった。

「理由は言わなくても分かるだろう?」

直人の頬に添えた俺の手に直人の涙が染みていく。

「バカじゃないの…?出世のチャンスなのに…」

さっきまではあんなに俺を疑って怒っていたのに。
同じ唇から紡がれる俺を心配する言葉に俺は苦笑を洩らしていた。

「僕はそんなことをしなくてもトップに立つよ」

たしかに会長の孫娘の彼女との結婚は誰の目から見ても美味しい話だ。
直人と出会う前の俺もそれを利用しない手はないと思った。

しかし…

あの日、俺を睨む直人を見た、あの時から俺は変わった。
全ては始まった。

「ここが駄目なら、別の所に行けばいい。どこに行ってもトップに立つ自信はあるからね」

サラリと告げた俺に直人は呆気にとられた顔をする。

「…自意識過剰」

やっといつもの調子に戻った直人に俺は微笑む。

「どこでだってやっていけるよ。直人さえ、僕の側にいてくれるならね」

直人さえ、側にいてくれるなら。
生きて行く場所はどこでもいい。
直人が側にいてくれるなら、どこででも生きていける。
俺の告白に直人は複雑な顔をした後、俺の胸に顔を埋めた。

「…オレだって…アンタがいるなら、どこに行ってもいいよ」

小さな、小さな、ともすれば聞き逃してしまいそうな声の告白に俺は直人を抱き締める力を強くする。
手に入れた今でさえ、直人から愛されている実感を感じるセリフは滅多に聞けない。
強がりなのか、それとも駆け引きなのか。
簡単に全てを曝け出さない直人に焦れながらもそれさえも愛しい。

「そういえば、もうすぐバレンタインだね」

直人の髪を撫でながら、思い出したように囁く。

「チョコ、欲しい?」

浮かれた街の様相を思い出す。
物心ついた時からチョコレートを貰えないことなんてなかった。
溢れ返る甘い香りに同じように俺に甘い願いを抱く彼女達に笑い返していた、今迄は。
しかし、今、俺の腕の中には甘いだけではない愛しい存在がいる。

「チョコレートなんかなくてもいいよ。直人がいるなら、それだけで十分だからね」

キスだけで心が震える恋があることを直人と出会って知った。
全てを失っても構わないと思える恋があるということも。

「愛してるよ」


“愛してる”と相手に囁くだけで満たされる恋も。
全ては直人が教えてくれた。

「相変わらず、キザ…」

俺の告白に直人はぶっきらぼうに返す。
今日はバレンタインデーではないけれど。


“オレの側にいないアンタなんて死ねばいい”

初めて直人が心の内を見せてくれた日だから。

2月11日

世間にとって祝日の今日は俺にとって、忘れられない記念日になった。






■おわり■