… 
love is … 広瀬の独り言






オイオイ、なんとかしてくれよ。

俺は心の中で一人そう呟くと今日何回目になるか分からない溜め息を吐いた。

俺の溜め息の原因、同僚の秋山武史はそんな俺の心中なんか知りもしないで相変わらず怖い位の
熱っぽい視線をまこちゃん(本当は真なんだが俺が勝手にまこちゃんと呼んでる)に向けている。
その視線といったら本当に凄くてもし視線で人を犯すなんてことが出来るならまこちゃんはもう何回
アイツに犯られてるか分からない。
アイツ、武史が変わり始めたのはまこちゃんがこの建築事務所で働くようになってから一週間くらい
してからの事だ。それは周りが驚くほどの変わり振りで俺は自分の目と耳を疑った。
大体、まこちゃんはアイツを大人で優しい奴だと思ってるがそれは大きな誤解だ。
アイツの優しさはまこちゃん限定のものでまこちゃん以外には当てはまらない。
それどころか俺は三十二年間の自分の人生の中であんなに我が侭で嫌な奴は見たことが無い。
アイツの父親、つまりこの建築事務所の社長秋山さんはそれは凄い人で日本の建築業界で
その名前を知らない奴はいないと言うほどの有名人だ。
かくゆう俺も秋山さんに憧れていた。
だからその秋山さんの息子が自分の働く事務所に来ると聞いた時は驚いたし興奮した。
実際、アイツの才能は凄い。
しかし偉大な親を持つということ、しかもその親と一緒の世界で生きるということは羨望の的に
なるのと同時に嫉妬の的にもなる。
アイツも例外では無く事務所、出社一日目にアイツが先輩から受けた洗礼は残念なことに羨望の
言葉では無く嫉妬心剥き出しの嫌味だった。

「親が有名人だといいよな、コンペにもコネで受かるしな」

実際、アイツはうちの事務所に来る前に建築設計関係の学校に通う生徒だけが受けられるコンペに
参加し数々の優秀賞を受け業界でも注目の的だった。
しかし、そのことが気に食わない先輩の嫌味に俺はアイツがどう出るのか成り行きを見守った。
そして、そんな俺の目の前でアイツは微笑みながらその先輩に言った。

「俺に嫌味言う前に自分の凡庸な才能をカバーする努力でもしてみたらどうですか?先輩」

と。それから先は説明することも無い。

アイツを殴ろうとする先輩を止めるのは大変だった。


アイツは人を煽るのが上手い。
そして、アイツは喧嘩や言い合いになった時、先に熱くなった方が敗けだということを知っている。

本当に嫌な奴だ。

年上だろうが先輩だろうが敬語は使わない。
言われた嫌味は倍にして返す。
本当に嫌な奴なのに何故かアイツの周りには人が集まる。
そして、アイツの生意気さは実力のある上の人間をも取り込んだ。

みんなアイツの媚無い強さに憧れている。

「俺、あんたの図面見たよ。あんただけはまともな設計が出来るんだな」

すぐに誉めてるとは分からないアイツの言葉に俺は笑顔を浮かべ言っていた。

「そりゃ、どーも」

と。
それがアイツとの初めての会話だった。
それをきっかけに俺とアイツは何故かつるむようになった。
仕事のことで数え切れないくらい喧嘩もした。
しかし、アイツとの喧嘩は少しも嫌じゃない。
何故ならアイツは自分と同等と認めた人間としか喧嘩はしない。
アイツと対等な位置にいる。
そのことは俺に優越感を与えた。
だからあの日、ショットバーでのアイツの言葉に俺は頷いた。

「俺、親父の事務所に行こうと思うんだ。広瀬さんも一緒に行かないか?」

そう、その言葉に俺は頷いた。

アイツは強い。
何処までも強い。
でも、それはアイツの一面であることを俺はその時、既に悟っていた。

「親父の近くに戻って親父を超える。親父は俺に抜かれる為にいる」

一見、傲慢とも取れる言葉はまるで自分に言い聞かせているようだった。
アイツはそうやって自分より遥か上にいる父親のプレッシャーと戦っていた。

親父さんの事務所に戻りもう二年が経つ。
歳月は人を丸くする。それはアイツにも当てはまるらしい。
だが、人間そう簡単には変われない。
アイツは相変わらず傲慢に走り続けていた。
父親を超える為に。
そして、その走り続けてる中、まこちゃんに出会った。
まこちゃんは本当にいい子だと思う。
まこちゃんが居るだけでその場の空気が穏やかになるのが分かる。

そして、強い。

でもその強さはアイツの持つ強さとは全く違う。
全てを受け入れて包み込む強さだ。
まこちゃんがうちで働くようになって事務所の中での言い争いが減った。
言い争いといっても良いものを造り上げていく為の意見のぶつかり合いだから後には残らないが
俺とアイツの場合ヒートアップし過ぎてお互い退けなくなる事が時々ある。
その時も些細な意見の相違から俺達はぶつかっていた。
そして、事務所に入ったばかりで初めて俺達の言い合いを見たまこちゃんにヒートアップしていた俺は
何も考えず聞いていた。

「まこちゃんはどっちがいいと思う?」

と。
今、思えばあの時のまこちゃんの返事がアイツにとっては決定打になったのだろう。
まこちゃんを好きになる。

「…そのおうちに住める方は幸せですね。自分と家族がずっと住んでいくおうちをこんなに
 一生懸命考えて貰えて…。だって、どっちも凄く素敵なプランだし…」

控え目に微笑みながら言うまこちゃんに俺達は黙ってしまった。

「すみませんっ。僕、何も分からないのに…」

急に静かになった俺達にまこちゃんは申し訳無さそうな顔をした。
でも俺達が黙ったのは怒ったからじゃない。
すかさずアイツの顔を見た俺はアイツも俺と同じ事を感じたんだと分かった。
その出来事のあった晩、俺達は飲みに行った。
そこで先にその事に触れたのはアイツだ。

「…俺、今日の真の言葉に頭殴られた気がした」

遠くを見るようなアイツの目に何を言いたいのか直ぐに分かった。

「…ずっと最高の物を造ろうって思ってた。顧客の事を考えて無かった訳じゃないけど、
 どっか心の中でどうだこれが俺の作品だって。凄いだろって…。あれは俺の作品だけど
 俺の物じゃないんだよな」

そう、俺達は大事な事を忘れていた。
俺達がぶつかりあっていたのは自分の作品の完成度を上げる為でそこに住む人間の存在は無い。

「親父を超える事ばかり考えてて大事なこと忘れてた」

苦笑するアイツに俺は頷いた。

そう、忘れてた。

それをまこちゃんが思い出させてくれた。
その出来事からアイツは変わった。
いい意味での強さを残したまま周りの意見を聞くようになった。
そう、ずっと一人でプレッシャーと戦いながら走り続けてきたアイツにとってまこちゃんは初めて感じる
安らぎだったんだろう。

うちの事務所は月一回親睦会という名の飲み会がある。
強制参加ではないのに集まりはいい。
大概、休みの前の日に開かれるそれは二次会、三次会と続き明け方近くにお開きになることも珍しくない。
一人、二人と帰る者を見送り必ず最後は俺とアイツの二人になる。
それはまこちゃんが参加するようになってからも変わらなくて必ず十一時頃まこちゃんを送った後アイツは
戻って来る。
そして、飲み始める。
そう、まこちゃんが居る間、アイツはアルコールを飲まない。
せいぜい飲んでもコロナ一本ぐらいだ。
あんなに酒好きなヤツがまこちゃんを送ることを考え大好きな酒を飲まない。
そこまでしてもまこちゃんを送って行く。
そこまでのまこちゃんへの想いをアイツから聞いたのはいつもの如く二人だけになった時だった。

「…本気なんだ」

自分のグラスを見つめアイツは言った。
何になんて主語はなくても俺には分かる。
そして何になんて野暮なことは聞かない。
何故ならこんなコイツは見たことが無い。
恋愛に関してもコイツは傲慢で来る者拒まず去る者追わずで複数の人間と同時進行なんてことは珍しく
無かった。
そして少しでも相手が独占欲を見せると平気で切る。
その余りの冷たさに以前、一度だけ俺はコイツに聞いた事があった。

「本命は作らないのか?」

と。
その俺の質問にコイツは苦笑しながらこう言った。

「一人の人間に縛られるのは好きじゃない。冗談じゃない」

そんなコイツが今はまこちゃんに好かれる為に必死だ。
高校生の時に満員電車で痴漢にあったというまこちゃんの話を聞いてからコイツは毎朝、まこちゃんを
迎えに行っている。
九時過ぎにしか出勤したことの無いコイツが毎朝、七時起きでだ。
朝に弱いコイツがだ。

「こんな気持ちになったのは初めてなんだ」

独り言のように言うアイツの話を俺は黙って聞いていた。

「誰かを本気で好きになるって怖いな」

コイツの口から怖いなんて言葉を聞いたのは初めてだった。

「お前、普通は切ないなとか苦しいなとか言うんじゃないのか?」

普通怖いなんて言葉は使わないだろ。
そう続けようとした俺はアイツの初めて見る切なげな表情に何も言えなくなってしまった。

「…すぐにでも自分のものにして誰にも触れさせたくないのに…そんなことをして
 真に嫌われたらって考えたら…」

言葉を切って苦しげにアイツがフッと笑う。

「…真に嫌われたらって考えただけで息が出来なくなる。怖いんだ」

そう、相手の一つ一つの言葉や仕草に喜んだりヘコんだり、相手の気持ちを確かめた訳でもないのに
一人でぐるぐる回る。
どうしていいか分からない。
自分で自分が分からない。
俺にも覚えがある。

「…俺はずるい。真が純粋なのを判っててわざと優しくしたり思わせ振りな事を言ったり、
 真が俺を好きになるように仕向けてる」

それで無くても相手はコイツだ。
何もしなくても人を惹き付けるコイツだ。
そんなコイツに気のある素振りをされ優しくされる、それで落ちない人間なんていない。
それに相手は恋愛に免疫の無さそうなまこちゃんだ。
まこちゃんがコイツを好きになるのは時間の問題だろう。

「…俺はずるい」

しかし、純粋なまこちゃんが相手だからこそコイツはそんな恋愛の駆け引きにすら罪悪感を感じているらしい。
平気な顔をして人を振ってきたコイツがだ。
信じられない。
俺の頭はそんな思いで埋め尽された。
だが…
まこちゃんに対する想いを話しているコイツは、コイツの顔は俺が今まで見てきた中で一番かっこ良かった。
だから、俺は笑って言った。

「本気で好きになった相手を手に入れるのにしていけないことなんて無い。
 そう思わないか?武史」

と。
俺の言葉に少し驚いた表情をした後、アイツは苦笑いを浮かべた。

「やっぱり、アンタって面白いな。アンタが先輩で良かったよ」

何が先輩だ。
先輩なんて思っちゃっいないくせに。

「お前の口から先輩なんて言葉を聞くとは思わなかったよ。気持ち悪いから止めてくれ」

そう、先輩なんて殊勝な言葉はコイツには似合わない。

「…そうだな」

お気に入りのラムを一口飲み、アイツが笑う。
俺が吐き出した煙草の煙が俺とアイツを包む。
俺とアイツに有るのはそれだけだ。
上下関係でも親友なんて胸が悪くなるような上っ面だけのものでも無い。
コイツといると面白い。
只、つまらないだけだと思っていた俺の人生も捨てたもんじゃないと思える。

只、それだけだ。


「…アンタはツレだ。先輩じゃない」

ポツリと呟くアイツを眺める。馬鹿が。

「…ツレか」

しゃれた文句に俺は喉元で笑い煙草の煙を深く吸い込んだ。

あの日から既に五ケ月が経とうとしている。
あの日からアイツはまこちゃんをまこちゃんだけを見つめている。
熱さを増すその眼差は限界が近いことを訴えている。
だが、生まれて初めての本気の恋に自分のことで手一杯のアイツは気付いていない。
気付いているのは俺だけだ。
そう、アイツの眼差しとは違うもう一つの眼差しがあることに気付いているのは俺だけだ。
その眼差しは時々、切なげにアイツを見つめている、控え目に。
だが、こちらが驚くほどの艶を浮かべて。
本当に手が掛かる二人だ。
お互い自分のことで手一杯で互いの眼差しに気付いていない。
仕方が無い、幸い今日は懇親会の日だ。
そして、まこちゃんは俺に懐いている。
ツレの為に一肌脱ぐのも悪くは無い。
だけど、武史この借りは大きいぞ。
一生、酒を奢って貰うくらいじゃ追いつかない。
なんてたってこの俺が仲人になるんだから。

自分の恋を諦めて…

オマエにとっての決定打は俺にとっても決定打だったんだ。
まこちゃんの笑顔が見られるなら相手は俺じゃ無くてもいい。

そう、俺じゃ無くても―

だから、せいぜい頑張ってくれよ。
なぁ、武史。

俺はそう心の中で呟くと今日で何回目になるか分からないが今日で最後になるだろう溜め息をついた後、
口に銜えた煙草に火を点けた。






■おわり■