… 秘密基地 …










『パーティ、抜け出さない?』

クリスマスパーティというよりはほとんど飲み会に化けたどんちゃん騒ぎに俺の耳元で
海斗(かいと)がそう囁いた。

「俺達、二人ぐらい抜けたってわかんないって」

「でも…」

俺の返事も聞かずに海斗は俺の腕を掴んだ。

今日ぐらい海斗の我が侭をきいてやろう。
そう思ったのは今日が特別の日だったから。

そう、今日は特別の、神様が生まれた日だった。
































「オイ、手、離せよ」

一年に一度のイベントで盛り上がってる街を海斗は俺の手を握ったまま歩いていく。

「いいじゃん。誰も気にしてないよ」


俺が気にするんだ、バカ。


あっけらかんと笑いながら言う海斗を見上げ、俺は心の中でそう呟いて溜め息をついた。

物心ついた時から俺の横にはコイツがいた。
理由は母親同士が幼馴染みだからっていう単純なものだった。
一緒に言葉を憶えて、一緒の幼稚園に通って、一緒の小学校に通って。
そして来年からは同じ大学に行く。
俺にとってコイツが俺の横にいることは息をするのと同じくらい自然なことだった。
そう、コイツが俺の横からいなくなるなんてことは俺には想像すら出来ないことだった。


































見慣れた地元の街を海斗は俺の手を引きながらずんずん歩いて行く。

「どこ、行くんだよ?」

俺は海斗に引かれながら尋ねた。
パーティを抜け出してまで海斗がどこに行きたいのか俺にはわからなかった。

「ついてからのお楽しみ。友(ゆう)ちゃんは俺に着いて来ればいいの」

子供の時からの呼び名で俺を呼び、海斗は歩いて行く。

友樹(ともき)という俺の名前に周りはみんな、俺をトモと言う。
俺のことを“ゆうちゃん”と呼ぶのは海斗だけだ。

『ゆうちゃんって、ゆうちゃんを呼ぶなっ。ゆうちゃんって呼んでいいのは俺だけ
 なんだからっ。ゆうちゃんは俺だけのゆうちゃんなんだからっ』

幼稚園の時に俺のことをゆうちゃんと呼んだ友達を海斗は泣きながらそう言って怒った。



『友ちゃん、大好き』



小さい頃から何百回、何千回と言われ続けた特別な言葉は言われ過ぎた為に
特別じゃなくなった。
まるで、おはようやおやすみの挨拶のように“大好き”と繰り返す海斗に俺はいつしか
素直になれなくなっていった。

きっと海斗の“大好き”は抱き慣れて手放せなくなったぬいぐるみに対するものと一緒だ。

俺が海斗がいなくなることを想像出来ないように海斗も俺がいなくなることを
想像出来ないだけだ。

ただ、それだけだ。

他に意味はない。
そう、意味はない。

一緒にいすぎた為に、近くにいすぎた為に、離れることも近付くことも出来ない。
真綿で首を絞められる、そんな例えがぴったりの状況の中で俺は浅い呼吸をしていた。































見慣れた風景を歩いて辿り着いた場所は新築の家を建てている現場だった。
そこには完成間近らしい家が二つ並んでいた。

「友ちゃん、ここ憶えてる?」

高校までは俺より下だった目線が俺を見下ろし微笑む。

「…あぁ、憶えてる」


そう、憶えてる。

俺達が子供の頃、ここは空き地だった。

「二人で秘密基地作ったことも?」

「…うん」

何もないこの空き地が俺達の最高の遊び場だった。
家にあったダンボールや使わなくなった家具を持って来て俺達はここに俺達の秘密基地を
作った。

そう、ここは俺達二人だけの秘密基地があった場所だ。


「親父に頼み込んでカギ借りて来ちゃった」

懐かしさで黙り込んだ俺に海斗はダウンジャケットのポケットからなんてことはない
カギを取り出し、それを俺に見せて笑った。
































新築の家の中は木屑がまだ残っていた。
その木屑を簡単に手で払い、出来立てのリビングに俺達二人は座った。

「クリスマスらしくね」

海斗はそう言って、ここに来るまでに寄ったコンビニで買ったロウソクを取り出し、それに
ライターで火をつけた。

薄暗いリビングに灯ったロウソクの灯りは幻想的で俺はまるで小さい頃に戻ったような気が
した。

海斗がいて、俺がいて。
ただ、毎日が楽しくて。

海斗の“大好き”という言葉に“僕も海が大好き”と素直に答えていた俺。

二人だけの秘密基地で二人だけで過ごした時間を俺は思い出していた。


「なんか子供の時に戻ったみたいだね」

「うん」

海斗も俺と同じことを考えてる。
そう思うと俺は少しだけ素直になれそうな気がした。

「俺、いっつも友ちゃんのこと追い掛けてた。友ちゃん、走るの速いからさー。
 鬼ごっこしても何しても友ちゃんに追い付けなくてさー」

懐かしそうに話す海斗に俺は微笑んだ。

小さい頃、海斗は俺より小さくて、俺よりとろくていつも半泣きになりながら俺の後を
追い掛けて来ていた。

「ずっと、いつになったら友ちゃんを捕まえられるんだろうって、そればっかり
 考えてた」

懐かしそうに海斗はそう言って、それきり黙り込んでしまった。

何も話さない海斗に俺も何を話していいか分からなくて。
俺達は黙ったまま、ロウソクの灯を見つめていた。

どれくらいそうしていたかは分からない。

ただ、ロウソクの灯を見つめている海斗の笑顔は少し寂しそうで切なそうで。
俺は、そんな海斗の横顔に何故か不安になった。


「…俺、もう、友ちゃんのこと追い掛けるの止めようと思うんだ」


ロウソクの火が微かに揺らいだ時だった。

海斗はロウソクの灯を見つめていた瞳を俺に向け、そう言った。


「……」


俺の横で真っ直ぐ俺を見つめて言う海斗に俺は目の前が真っ暗になった。

…とうとう、海斗は気付いた。

気付いたんだ。

俺がただの抱き慣れたぬいぐるみだって。
二人だけの秘密基地以外の場所があるんだって。
秘密基地以外に楽しい場所があるんだって。

どうしよう。

どうすればいい。


握り締めていた手が震えた。

その手の震えは寒さのせいじゃなかった。

きっと、これはバツだ。

俺が素直じゃなかったから。
神様が俺にバツを与えたんだ。

ぬいぐるみでもいいから海斗の側にいたいって、素直に自分の本当の気持ちを
伝えなかったから。

泣きそうなのを気付かれたくなくて俺は唇を噛み締めた。

ロウソクの灯りだけで良かった。
リビングが明るくなくて良かった。

だって、明るかったらきっと海斗に気付かれるから。
俺が泣きそうなのを気付かれるから。

寒さのせいで震えた振りをして俺は泣くことも笑うことも出来ず、海斗を見つめていた。


「…俺、もう、友ちゃんを追い掛けるんじゃなくて捕まえたい」

しかし、絶望に打ちひしがれながら海斗を見つめていた俺に聞こえてきた海斗の次の言葉は
俺を混乱させた。


…捕まえたい?



「友ちゃんのこと捕まえていい?」

冗談ばかり言っている普段の海斗からは想像出来ないほど海斗は真剣な顔をしていた。

「逃げないと捕まえるよ」


海斗が俺を捕まえる?


俺が考えたこともないようなことを言っている海斗の顔はすごく真剣で、男らしくて、
まるで知らない人のようだった。

そんな海斗にさっきとは別の意味でどうしていいか分からなくて動けなくなった俺の唇に
海斗の唇が触れたのは海斗が俺を捕まえると言ってから一分も経たないうちだった。

すごく冷たいのにすごく熱い唇だった。

触れるだけのキスに俺の心臓は海斗に聞こえてしまうんじゃないかと思うくらいうるさく
騒いだ。

でも、緊張してるのは俺だけじゃなかった。
俺の腕を掴んでる海斗の手も微かに震えていた。

海斗も緊張してる。

小さい頃から一緒にいてお互いの口癖や小さな癖まで知ってる。
手も繋いだし、子供の時には一緒にお風呂にも入った。

なのに俺達はただお互いの唇が触れるという行為にひどく緊張していた。

人によっては十八歳にもなって、と笑うかもしれない。
遅すぎると言ってバカにするかもしれない。

でも。

でも、唇が触れるだけのこのキスは俺達のファーストキスだった。

近すぎた俺達は近すぎた為に近寄れなかった。
この関係が壊れるのが怖くて臆病になっていた。

冷たくて熱い海斗の唇は少しして離れた。


「捕まえちゃった。なんてね」

照れ臭さを隠す為に海斗は笑ってそう言った。

「……」

驚きや嬉しさや恥ずかしさ、いろんな感情が入り混じって。
俺はただ、海斗を見つめていた。

「…友ちゃん、もしかして怒った…?」

黙っている俺の顔を海斗は不安そうな顔で覗き込んできた。

怒ってなんてない。

びっくりして、嬉しくて。

そう、嬉しい。
海斗が俺と一緒の気持ちだったのが嬉しい。

俺は慌てて頭を横に振った。


「……俺」

「俺、友ちゃんが好きなんだ。友達とかそういうんじゃなくて」

海斗は切なそうな笑顔を浮かべた。

「ずっと言いたかった。でも…」

「…分かってる、分かってるから」


今の関係が壊れるのが怖くて。
一歩が踏み出せなくて。
俺達は足踏みをしていた。


「大学に行ってもずっと友ちゃんの側にいたい。来年のクリスマスもその次の
 クリスマスもずっと一緒にいよう」

大学に行って、社会に出たらお互いの世界は広がる。

海斗が俺達の秘密基地以外の場所を見付けて秘密基地を出ていくかもしれないと俺が
怖かったように海斗も俺が秘密基地を出ていくかもしれないと怖かったんだ。

「子供の時の秘密基地はなくなったけど、俺が大人になったら俺と友ちゃんの
 秘密基地を作るから」

少し照れ臭そうに言う海斗に俺の心には目の前にあるロウソクの灯のような灯りが灯った。
それは小さいものだったけどとても柔らかくて暖かかった。


「…ばか…秘密基地は二人で作るもんだろ?俺達、二人の秘密基地なんだから」

「…友ちゃん…?」

子供の時の秘密基地は知らない人が住むだろう家になったけど俺達はこれからいくらでも
俺達の秘密基地を作れる。

そう、二人で力を合わせれば。


「…俺も海がずっと好きだった」

素直な言葉は俺をも幸せにした。

「もう、とっくに俺は海に捕まってる」


暖かい心に満たされ微笑む。
俺の微笑みに海斗も微笑む。

俺達は見つめ合って微笑み合った後、ロウソクの灯りの中で二度目のキスをした。






































あのクリスマスから八年が経った。

あのクリスマスの約束通り俺達はあれからずっと一緒にクリスマスを過ごしていた。

大学を出た後、海斗は海斗のお父さんの不動産会社で設計の仕事をしている。
そして、俺は司法書士事務所で司法書士を目指して勉強中だ。

あれからいろいろあった。
ケンカも沢山した。
別れの危機もあった。

でも。

でも、俺達は一緒にいる。

海斗のキスにあの日のように心臓が海斗に聞こえてしまうくらい騒ぐことはなくなったけど
その代わり、心は穏やかになっていく。

俺達の中で相手を求める“恋”は相手を見守る“愛”に着実に姿を変えていった。





































クリスマスソングが流れる街を俺はケーキを片手に歩いていた。
今日は俺達が幼馴染みから恋人に変わって八回目のクリスマスだった。

「こんばんわ、今日も寒いわね」

「本当に寒いですね」

「天気予報で言ってけど、雪降るみたいよ。どうりで寒いはずよね」

「本当ですね」

「風邪ひかないようにね」

「はい」


マンションの入り口でマンションの管理人さんとそんな会話を交わし、エレベーターに
乗り込む。

エレベーターはケーキを持った俺を乗せて上昇する。

他人にとってはなんてことはないこの小さい箱は俺にとっては秘密基地に帰る為の大切な
乗り物だ。

その大切な箱は八階で動きを止め、扉を開けた。

開いた扉から一歩ずつ秘密基地に入る為の扉に近付く。

そうして辿り着いた扉の前で俺は秘密基地に入る為の秘密の鍵を取り出した。

そう、俺達は二年前にこの秘密基地を見付けた。

なんてことはないただの二LDKのマンションだけど。
小さい頃の秘密基地とは違うけど。

ここは俺達が俺達二人で見付けた二人だけの新しい秘密基地だ。

いろんなことが変わった。

身長も伸びたし、社会に出て自分の思い通りにならないこともあると知った。
笑いたくない時に笑わなきゃいけないこともあった。
怒りたい時に怒れない時もあった。


でも。

でも…


秘密の鍵を鍵穴に差し込み鍵を開ける。

開いた扉の向こうには俺がただいまを言う前に俺が帰ってきたことに気付いて玄関に迎えに
来た海斗の「おかえり」という言葉と小さい時から変わらない海斗の笑顔があった。

八年前のクリスマスに俺に起こった奇跡はとても小さくて、他の人に言わせれば
なんてことはないものだけど。

でも、その奇跡は俺の今まで生きてきた人生の中で一番暖かくて素晴らしい奇跡だった。





■おわり■




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