… ヘヴン … 2










捨てられるのが怖かったのか、いっそのこと捨てられたかったのか。

もう分からない。

激しく揺さ振られ、何が怖かったのか悔しかったのか何も分からなくなって、ただ、ただ、
山本に与えられる快感に必死で縋り、よがり啼く。

「んっ…あ…ぁっ」

縋り付く山本の体からは山本の匂いがする。

「なぁ、悠、俺が一番イイだろう?」

オレを揺さ振る山本の声も掠れていて、その声に胸が苦しい。

「今迄ヤッたどんなヤツより俺が一番イイだろう?」

止めどなく与えられる快感にオレは山本の問いに答える余裕すらない。

「お前に突っ込んだヤツら全員捜し出して、ぶっ殺してやる」

冗談か本気か分からない言葉を聞きながら快楽に浸ったオレの頭には、ふと遠い昔の
記憶が浮かんだ。

そう、あれは9歳の時だ。

夕方、仕事に行く準備をする母さんの横には綺麗な女の人がいた。


『さっさと忘れな』


ドレッサーの鏡に向かい、化粧をしながら、母さんは女の人にそう言った。


『ヤクザなんかろくなモンじゃないよ』


女の人は黙って俯いていた。


『甘い言葉で近付いて、優しくして。惚れさせたら最後、骨までしゃぶる。ヤクザなんかに
 惚れたらおしまいだ』


横にいる女の人を母さんはチラと見た。


『アンタ、その内、風呂に沈められるよ』


それでも女の人は黙っていた。

バシン

緊迫した空気が数秒流れた後、母さんはドレッサーのイスから立ち上がり、女の人の
頬を叩いた。


『目、覚ましな!』


頬を叩かれ、初めて顔を上げた女の人は微笑んでいた。


『ママ、もう、遅いよ…』


泣いているにその人は微笑んでいた。
そして、何度も何度も同じ言葉を繰り返した。







『ヤクザなんかろくなモンじゃないよ』



母さんの声が頭の中に蘇る。



『甘い言葉で近付いて、優しくして。惚れさせたら最後、骨までしゃぶる』



母さん



『ヤクザなんかに惚れたらおしまいだ』



母さん


オレ

オレ…


何故、あの時、あの女の人は泣いていたのに微笑んでいたのか。
あの女の人の言った“もう遅い”という言葉の意味。
全てが分かったような気がする。

昇り詰める意識の中で、あの日の女の人の顔が頭に浮かんだ。

飽きられたら、まるでゴミを捨てるように簡単に捨てられるのかもしれない。

でも

でも


“もう、遅い”


「も…っだ…め…っ」

山本の背中に爪を立て、限界を訴える。
そんなオレに山本は微かに笑うとオレの口をキスで塞いだ。



























「ふざけんじゃねぇぞ、俺は今日はどこにも行かねぇって言っただろうが」

頭上から聞こえる山本の低い押し殺した声に目が覚めたオレはオレの隣で携帯で
話している山本を見上げた。

「とにかく俺は行かねぇからな」

オレが起きたことに気付いた山本はチラとオレを見るとそう言って携帯を切った。

「悪いな、うるさかったか?」

携帯をサイドテーブルに放り投げ、山本は携帯の代わりにタバコを手にする。

「行かなくていいのかよ」


電話の相手は多分、仁科(にしな)さんだろう。
そして、仁科さんが連絡してくる位なら断れないことのはずだ。
そう思って言ったのに。

「さぁな」

タバコを銜え、山本は飄々と答える。

「さぁな、じゃないだろ。アンタ、行かなきゃいけないんじゃないのかよ」

とても一つの組の長とは思えない山本の適当な返事に呆れ、溜め息をつく。

「俺は今日は休みなんだよ」

でも、オレの溜め息はなんの効果もなかったみたいで山本はタバコを消すと唇の端だけを
持ち上げ笑いながらオレに覆い被さってきた。

「そんなこと言いながら、ツラには行かないでくれって書いてるぞ」

「な…誰がっ」

山本のこういうところが嫌いだ。
自分は飄々として本心を見せないくせにオレの本心を探ろうとする。
オレが隠してる本心を。

「言っただろ、俺は二週間、ヤってないんだ。今日は二週間分、相手してもらうからな」

「…朝からナニ考えてんだよ」

「ナニってナニのことだろ?」

山本の彫りの深い顔がぐっと近くなり奥二重の目が楽しそうに細められる。

「まぁ、なんでもいい。とりあえず目覚めの一発てな」

あからさまな言葉の後に山本の手がオレの顎を掴みオレの顔を固定する。
捕まれてるから逃げれない。
頭で自分にそんな言い訳をしながら受け入れた山本のキスに夢中になり始めた時、
寝室のドアは開いた。

「お取り込み中、申し訳ないですが、もう時間がありませんので準備をお願いします」

山本越しに聞える冷静な声に予想はしてたけどドアを開けたのが仁科さんだと分かり、
オレは山本の体を慌てて押しのけた。

「おい、俺は行かねぇって言わなかったか」

オレに押しのけられ、上体を起こした山本は仁科さんを振り返りもしないで不機嫌な声を出す。

「我が儘言わないで下さい。昨日も言いましたが今日は会長からのお誘いなんです」

しかし、山本と長い付き合いの仁科さんはそれにも全然動じない。

「それに昨日に続き今日まで貴方の相手をさせられるなんて悠さんの体だってもちませんよ」

淡々と諌める仁科さんに山本は舌打ちをする。

「しつこい男は嫌われますよ、そうですよね?悠さん」

いきなり話を振られ、どうしていいか分からないオレの横で山本は大袈裟に溜め息を一つつくと
ベッドから裸のまま下りた。

「クソが。行きゃいいんだろが」

何も身に着けず、悪態をつき、山本はベッドルームに併設されたシャワールームに向かう。
山本がシャワールームに消えると仁科さんは溜め息をついた。

「全く、手のかかる」

少し眉間に皺を寄せ、独り言のように呟く仁科さんにオレは何故か申し訳ない気持ちになった。

「…すみません」

咄嗟に謝ってしまったオレに仁科さんは微笑む。

「悠さんが謝ることじゃありませんよ」

「でも…」

「謝るどころか悠さんがいるお陰で随分、楽になったんですよ」

オレがいるから楽になった?

信じられない仁科さんの言葉に仁科さんを見上げる。
見上げたオレと目が合うと仁科さんは優しい笑顔をオレに返してくれた。




next
novel