… DOLCE VITE … 23










誰も傷付けたくない。

でも、それは夢にしか過ぎない。

ディズニーのような世界は現実にはあり得ない。
時には誰かを傷付けて自分も傷付いて人は前に進んでいくのだろう。


































事務所から地下鉄に向かう道を歩きながら俺は康彦さんの言葉を思い出していた。
康彦さんは明日、宅見に会うと言った。
これは俺の自惚れかもしれないけど、明日、宅見は俺とのことを康彦さんに話すつもり
じゃないんだろうか。

明日…

頭の中で繰り返して足を止めた俺のポケットで携帯が震える。
取り出した携帯のディスプレイには康彦さんの名前が浮かんでいた。
どんなに罵られようが責められようが仕方がない。
俺は通話ボタンを押した。

「…もしもし」

『…………』

電話の向こうの静けさに康彦さんがまだ事務所だということが分かった。

『…さっきは悪かった。つい、感情的になってしまって』

「…ううん」

『……智春の気持ちはもう変わらないんだね?』

「…うん」

電話の向こうで康彦さんが諦めの溜め息をついたような気がした。

「俺、初めて誰かを守りたいと思ったんだ」

それは嘘偽りのない俺の本心だった。

「俺、今までずっと皆に守られてきた。康彦さんにも。それが当たり前だって思ってた。
 でも、宅見さんは違うんだ。上手く言えないけど…俺、あの人のこと守りたい」


宅見の側に居たい。

俺があの人の側に居ることで少しでも宅見に幸せだと思って貰いたい。
生まれてきて良かったと思って欲しい。

これは宅見の為じゃない。
俺自身の為に。


『……あの日、宅見に智春を紹介した時から、こうなる予感はしていたんだ。
 認めたくなかっただけでね。智春、アイツはいい奴だよ。僕が良く知ってる。
 だから、智春は智春のしたいようにすればいい』

「……康彦さん…」


全ての人間が幸せになるなんてことはありえない。
それが現実で。
電話越しの康彦さんの優しい声に涙が出そうになった。


『僕は間違っていたのかもしれない。智春を守ることばかり考えて、本当に智春を
 大切にするっていうことはそういうことじゃなかったのかもしれない』

俺の心変わりを康彦さんは責めなかった。

『…智春、アイツを頼むよ』

責めるどころかいつもと変わらない優しい声で宅見を頼むと言ってくれた。

「……ありがとう…」

涙を堪えながら有難うと言った俺に康彦さんは

『アイツには智春から連絡してやって欲しい。今まで有難う』

と言った。





























心は既に宅見の元に飛んでいた。

明日なんて悠長なことは言っていられなかった。
マンションがある駅とは反対に向かう地下鉄に滑り込むように乗った。
行く先は決まっていた。

独りぼっちで寂しいと泣いているお姫様を救う為に。
そのでかくて強面のお姫様が閉じ込められている最上階の部屋が俺の行く先だ。

見慣れない駅の改札を抜けて見慣れない街並みを歩く。
駅から二十分ほど歩くと目的のマンションが見えてきた。

綺麗な外壁に重厚な造り。
でも、そのマンションが綺麗であればあるほど俺には冷たく思える。

物語のハッピーエンドはいつだって同じだ。
捕われたお姫様を王子様が救って二人は永遠に幸せに暮らす。

現実には永遠に幸せに暮らすっていうことは無理かもしれないけど…

お互いを全部、分かり合うなんてことは夢物語だけど。
あんたを幸せにしようとする努力は出来るから。
お互いを知ろうとする努力は出来るから。

オートロックの入り口で宅見の部屋番号を押す。
まだ帰っていないかもしれないと思った俺の予想に反して、少しの沈黙の後、聞こえてきたのは
低い宅見の声だった。





































招き入れられた宅見のマンションは前、訪れた時と何も変わっていなかった。

「俺もさっき帰って来たんだ。すれ違わなくて良かった」

少しぎこちない笑顔を浮かべて宅見は俺をリビングのソファーに導いた。
さっき帰ったという言葉が嘘じゃないことは宅見のスーツ姿から分かった。

「あんたに話があるんだ」

ソファーに座ることはしなかった。
そんな俺に宅見も俺の真正面に立ったまま動きを止めた。

「俺のものにならない?」

心は穏やかだった。
こんなセリフで誰かを口説いたのは初めてだった。

「本当に君には驚かされてばかりだ」

俺の告白に宅見は驚いた顔をした後、苦笑を浮かべた。

「驚くってことは俺と一緒にいると楽しいってことだろ?」

「…君はいつだって自信に溢れてるんだな」

返事なんて期待していない俺の口説き文句に宅見は目を細めて微笑んだ。

「俺といると楽しいよ。俺と一緒にいる限り、あんたは幸せな生活が送れると思うけど、どう?」

自分でも驚くほど俺は穏やかな笑顔を浮かべていた。

「…すごい殺し文句だな」

宅見も穏やかに笑う。
捕われのお姫様のいる冷たい最上階の牢獄に少しだけ温度が蘇ったような気がした。

「…君に愛されて君と幸せになる、そんな夢みたいなことを願ってもいいんだろうか」

宅見の穏やかな笑顔は泣きそうな笑顔に変わっていった。

「夢みたいなことじゃないよ。言っただろ?誰にだって愛されたいって叫ぶ権利は
 あるんだって」

「…智春」

一回りも年上の男は無防備な子供のような顔をした。

「…君に愛されたい。君にだけ愛されたい。他は何も要らない」

俺を見下ろしているはずの瞳は何故か俺を見上げているようだった。

「いいよ。ずっと、ずっと一緒にいよう」


あんたはもう、一人でこんな冷たい部屋にいなくていい。

俺があんたを守るから。
ずっと守るから。

二人で夢をみよう。
幸福な生活を送ろう。


「…智春」


差し延べた俺の手を握り、宅見はそれを自分の頬に持っていった。
その手の温かさに俺は目を閉じた。

これから、二人で物語を作っていこう。
最高に幸福な物語を。

人はきっと一人じゃ成長出来ない生き物だから。

夢じゃない現実の甘い蕩けそうな日々を。


あんたと二人で…








〜 DOLCE VITE 〜 和訳『幸福な生活』




■おわり■




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