… deep in a dream … 9






「よう、久し振りだな。元気でやってるのか?」

夏の日差しが降り注ぐ街中で偶然、出会った元同僚の吉田に僕は曖昧な笑顔を浮かべた。


「時間、有るか?もし、大丈夫ならそこの喫茶店でコーヒーでも飲まないか?」


吉田の誘いを受けたのは早く夏の日差しから逃れたかったのと久振りに見た顔に幾ばくかの
懐かしさを感じたからだろう。




















近くにあった喫茶店に吉田と入り、店員に案内された席に座る。

注文したアイスコーヒーが来る前に吉田は水を一口飲むと気まずそうに口を開いた。

「…お前…その、大丈夫か…?」

「え…?大丈夫って?」

何故、吉田が俺を心配しているのか分からなかった。

「…いや、さぁ。実はこの前、偶然お前見かけてさ、声掛けようと思ったんだけど…」

「お待たせ致しました」

話し出した吉田を遮るように店員が俺達の前にアイスコーヒーを並べる。

「失礼致しました」

役目を果たした店員の立ち去る姿を見送ると吉田は続きを話し出した。

「…なんか、声かけられない雰囲気で…」

「…そう…」

きっと、伊原さんと一緒のところを見られたのだろう。

「…お前と一緒にいた男。親しそうだったけど、いつから知ってるんだ?」

「…いつからって…」

何故、吉田がそこまで伊原さんのことを聞きたがるのかも分からない。

「…お前、その…知ってるのか?」

「…知ってるって何を?」

吉田の探るような言葉に曖昧に返事を返す。

そんな俺の態度に吉田は困ったように溜め息をついた。

「お前と一緒にいた男の顔、俺、どこかで見たような気がしてさ。ずっと、
 引っかかってて…」

アイスコーヒーにシロップとフレッシュを入れ、ストローでそれを混ぜながら吉田は続けた。

「二ヶ月前になんかヤクザ殺されてただろう?そのヤクザの葬式の弔問客が
 ワイドショーで写っててさぁ、俺、たまたまそれ見てて、その弔問客に
 お前と一緒にいた男がいたんだよ」

「……」

グラスの中で氷がカランと音をたてる。



驚きはなかった。



「…お前、大丈夫なのか?」


邪気のない親切心。

吉田の顔は街に溢れている平均的な親切心を持った普通の人の顔だ。
彼等は何も悪くはない。
彼等に罪はない。

そう、その親切を必要としていないのは俺の方で彼等は何時だって善人だ。
そして、その善人達の考え出した常識は夏の日差しのように何処に行っても降り注ぎ、
逃れられない。

自分が善良だと常識だと疑わない善良な彼等には彼や彼に惹かれている俺は自分の価値観を
揺るがす許しがたい異分子なのだろう。



もう、此処に俺の居場所はない。


此処は俺の居場所じゃない。


早く、俺の居場所に帰りたい。


そう、俺の監獄に。



俺だけの監獄に。








































適当に吉田をはぐらかし、当たり障りのない会話をして俺は吉田と別れてマンションに帰る
為に車に戻った。

後部座席のシートにもたれ目を閉じる。

「どうかされましたか?」

自然に洩れた溜め息に運転席の片山さんが反応する。

伊原さんと暮らし始めてから俺の外出には片山さんが必ず付いて来てくれていた。

「…いえ、久し振りに外に出たので少し疲れてしまって…」

「そうですか」

ルームミラー越しに俺を気遣う視線を送りながらも深くは追及してこない。
そんなサラリとした気遣いが俺には嬉しかった。

伊原さんがその世界の人だというのなら伊原さんの秘書だという片山さんも同じ世界で
生きている人なのだろうか。

そんなことが頭に浮かび、運転席でハンドルを操る片山さんの背中を眺める。

しかし、ここふた月、常に俺と行動を共にしてくれている背中に恐怖はなく、有るのは
感謝や申し訳無いといった感情だけだった。


マンションに向けて走る車の窓から流れる景色を眺める。

普通の人々が行き交う姿を眺めながら何故か俺は片山さんと話をしたいと思った。


「…片山さんはどうして、伊原さんの下で働いているんですか?」

どうしてそんな質問をしたのか自分でもわからなかった。

いや、本当は“常識”という普通の人々が作り出した足枷にうんざりしながらもそれを
完全に無視出来ない弱い俺は誰かに伊原さんといることを肯定して欲しかったのかも
しれない。


「…すみません…変なことを聞いてしまって…」

返っては来ない返事に俺は馬鹿なことを聞いたと後悔した。

暫しの沈黙が車内に流れる。

目の前の交差点の信号が赤に変わり車は静かに停まった。


「…伊原には“力”が有ります。」

停まった車内で少しだけ顔を横に向けると片山さんはそう言った。

「…力?」

「常識といった下らないものに惑わされない。迷いの無い“力”です。だから、
 貴方も伊原に惹かれたのではないですか?」


片山さんが助手席にいる車の後部座席で俺は何度も伊原さんとキスをしたことがある。
だから片山さんは俺が伊原さんにとってどういう相手なのかということを知っている。
俺が伊原さんの愛人だと知っているうえでの片山さんの言葉を俺は頭の中で繰り返した。


そして、全てに気が付いた。


何故、片山さんに答えを求めたのだろう。
何故、片山さんに肯定して貰おうなんて思ったのだろう。
俺がこれから、片山さんの運転で帰ろうとしている所はどこだ。

青に変わった信号に動き出した車の後部座席で苦笑する。

俺の帰る所は俺を夏の鋭い日差しから救い出してくれる伊原さんの腕の中だ。
其所には鋭い日差しも偽善もない。
有るのは俺を自由にする魔法の言葉と快楽だけだ。

とっくに答えは出ている。

俺も片山さんと同じように伊原さんの“力”に惹かれた。


「…そうですね」

後部座席に身体を再び沈め、返事を返す。

夏の名残りの日差しに顔をしかめながら歩く人々をエアコンの効いた車内から眺める。

残暑は始まったばかりで秋はまだまだ、来ないだろう。


だけど。


もう、俺の上に日差しが降り注ぐことはない。


そう、そんな日差しを気にすることはない。



もう、二度と。



その安堵感と少しの寂しさに俺は小さな息を吐くとゆっくりと瞳を閉じた。






■おわり■